おおみち礼治のてくてく日記
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2001年12月03日(月) おかしい文章とクールな文章。

 おかしい――笑えること、普通ではない変なこと、ちゃんちゃらおかしいというように揶揄を含んだものなど、ひとことに「おかしい」といってもいろいろな意味があるし、人によっても受け取り方は違う。
 おかしな文章は、少し才能があれば書ける。
 しかし、俺は好きではない。いまは、まったく軽い時代であるから、人生を舐めきったワカゾーが才能に任せて暴走した結果が受けることもある。おかしくて、さらに自身の主張なり独自の視点がもりこまれた文章――ステレオタイプの主張はお手軽で扱いやすいが、そうではない、一貫した独自性のあるものとなると、見たことがない。
 当たり前のことを書いてもおかしくはないので――たとえば、朝起きて朝食をとり、会社に出かけて仕事して、帰りに同僚といっぱい酒を飲んで無事かえってきました――なんて文章を書いても見向きもされないから、小説なら事件を起こし、エッセイなら普通ではない出来事を題材にする。それでいいのだが、物語(文章)の中で何を語りたいのか――主題がないのだ。
 たしかにおかしい。だが、言いたいことは何なのか判然としない。飛んで跳ねて騒いでいるだけである。たまにはいいと思っていたのだが、このところそんな文章ばかり見せられてあきてしまった。まるで中身もないうちから借り物の主張と手法で目立っても続かない。自身を磨くのが先だ。

 それとだな。
 人の暗い面ばかりをとらえたり、なんともクールな……といえば格好いいけれども、冷めた視点で、だってそうでしょう? と開き直りにも似た結論を導き出す文章がある。頭のいい人なんだなと思わされるが、後味の悪い、希望や自信なんて言葉は地中深く潜り込んでその痕跡すら見つけられないといった気分になる文章である。
 流行なのかもしれないが、嫌いだ。
 そんなことをいわれたって困りますよ……といじけてしまう。
 だが、諦めてはいない。
 いましばらくは、主題のないおかしな文章と、困る文章を多く見ることになると思うけれども、そういう風潮のなかから、力強く人間を肯定したり、厳しく中心を問い正す作品が顕れ出でることを期待しています。


おおみち礼治 |MAIL

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