おおみち礼治のてくてく日記
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2001年10月17日(水) 白い粉

 いつものようにいつものごとく、マスコミがあおることで愉快犯がたくさん現れるだろう、ということは見えていた。人の窮状を作り物のエンターテイメントであるかのように楽しんで、ヘラヘラ嗤っているのだ。他人にどれほどの迷惑をかけ余計なことをさせてしまうのかなどまるで考えず――いや、もしかしたら考えており、それすら楽しむための余興として、さらに世の中を混乱させる事をしたりする。ほとんどその心情は理解できないのだが、ろくでもない者なのは間違いがない。そうやって批判する者すら嘲笑うのだから手に負えない。
 白い粉のことだけでなく、たとえば以前、校門前に被害者の首が置かれていた事件が起きたときに、花束を持って校門前に行って手を合わせてしまうような連中も同じだ。あれは、他人事として楽しんでいるのである。
 本当に自分(の人生)を大切なものとして取り組んでいる人間が、そんな余計なことはしない。だいたいは、自分自身にまるで目が向かない人――おそらく「救いようのないほど空っぽで何もできない」自分に無意識のうちに気がついていて、そういう自分に対する勇気がないため(自分のことに身を入れることができず)、結果として、外側のものに必要以上に関わる――というかバランスを欠いた関わり方をせざるを得ない人々なのだろう、と思う。
 対象にされた人はたまったものではない。正体を明かさずにすむ安全な場所から――もしくは一見、正しいことをしているふりをして、いいたいほうだいやりたいほうだいをし、人を傷つけ暗い欲望を満足させる。顔を見せずに何か意味のある事を言ったつもりになっても、当人には迷惑なだけで進展はしない。正体を明かし、傷つく覚悟で臨まなくては、意味のあることにはなるまい。


おおみち礼治 |MAIL

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