羽原亜紀と休日〜お気に入りといっしょ〜
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2004年12月12日(日) |
羽原です。今日は大阪エリザ大楽ですが、自宅に居るとです…(ヒロシ風)>つぶやき |
本当にお久しぶりです、皆様。 フォローのしようもない位書いてませんでしたが、 それでも見に来て下さって居る方もいるようでありがとうございます。 とりあえず、羽原は生きてます。って事で生存確認して下さい。
タイトルにも書きましたが、今日はエリザ大阪楽です。 今日のチケット争奪戦はえらい事になってましたね。 今日はどんな感じになっているでしょうか? どなたか教えて下さい。
今回の大楽はかなり早い段階で諦めモードでした。 チケット申し込みすら忘れている程ダメダメ状態でしたし。 感想かけないので、HANAMIの原稿書けません(泣)←それでけじゃないだろ! 帝劇の開演前からテンション低かったのは日記を見ても明らかなのですが、 やっぱり電飾とあのラストシーンは期待していた分かなり萎えました。
あのラストシーンだと、良い方向に解釈したとして 「シシィは最後に殺されてこの世の束縛から逃れて魂の安らぎを得ました。今は安らかに眠っています。」 最悪の場合だと 「シシィは最後に殺されてこの世の束縛から逃れましたが、魂は黄泉の世界に閉じ込められてしまいました。」 こんな感じに見えるんですよ。 これでシシィの魂は自由になったと言えるのでしょうか? それともシシィの自らの意志?
シシィ自身の内面や気持ちの描き方はかなり変わったけど、 シシィの「トート」「死」に対する演出上の変化って「私が踊る時」が加わって、「私は勝った、自分の為の勝利よ!私飛ぶわ、一人でも自由に!私の道を邪魔しないで!踊る時は自分の意志で!一人でも舞う、あなた(トート)の前で」と言い放つのが加わった位。 シシィがここまで言ってるのに、その後はあんまりフォローがないというかなんというか、そこまで言っておいて何であのラストシーンになるのかが、全く繋がっている様に見えないのですが… 単にシシィが年とって悲劇に見舞われて生きるのに疲れてしまっただけなんでしょうか?それで「死なせて」って言ったらトートが拒絶するのは同じなのに? やっぱりシシィの魂が自由になった様にはどうしても見えない!と思ってしまうのですが…
「シシィの魂は自由になってないんだよ」っていう演出なんですか? あれだけシシィに「自由」って言わせておいて、あんなに「魂の自由」こだわらせておいて、ラストがこんな演出って嫌だなあ… 今回、公式的解釈でバットエンディングなんですか?
前回迄の演出は割と観客に想像させる余地があったのですが、 今回はそれにいちいちいらない(観客が想像していない)演出をきっちり加えて 「分かりやすい演出にしてました。理解しやすいでしょ?」 「最初と最後を繋いでみました。すっきりしたでしょ?」 といわんばかりのコメントはもうやめて欲しいです(泣)。
それでも腐っても電飾になってもエリザはエリザなので(みんなこう思ってるんだろうな)私もかなり萎えつつしっかり地方遠征もしてしまいました。 電飾は慣れたせいか、500歩位譲って我慢出来るようになりましたし。 今ちゃんと確認してませんが、二桁回数は見ましたし… 再演に期待です!←いつの話だよ!
いずれあるかもしれない再演に向けてこれだけは言いたいです。 *もう一回脚本から何から見直して演出の再検討をして下さい! *シシィもルキーニもWキャストにしてください!他の役者さんでも見てみたいです!レミゼ方式にした方がチケット売れると思うのですが…(決して一路さんや高嶋兄が嫌いだという意味ではありません)
ちなみに余談ですが、ラストシーンの第一印象 山口トート:「ぼのぼの」のしまっちゃうおじさん 内野トート:散々追いかけたあげく相手を監禁しちゃったストーカー とりあえず、迷惑メールとウィルスとカミソリと石は投げないで下さいね。 自分で想像しておいてなんですが、 この印象をを拭うのに自分でもかなり時間かかりましたよ。 博多座くらいまで(苦笑)我ながらアホだなあ…
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