Mother (介護日記)
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現在は、新幹線なら東京からわずか1時間で宇都宮である。
葬儀は、宿泊先のビジネスホテルから徒歩7,8分のところ、 最近できたというホールで行われた。 バリアフリーを意識しているらしく、階段には車椅子用のリフトがついていたが、 その度に係を呼ばないと使えないと言うのでは不便。 やはりエレベータを作った方が良さそうだ。 トイレはすべてが洗浄便座だったが狭過ぎて個室に2人では入れない。 介助が必要な場合は個室のドアを開け放したまま、と言うことになってしまうだろう・・・ ・・・などと、ついついチェックをしてしまうのだった。
2階には、親族控え室兼宿泊室と、通夜振る舞いなどに使う広い和室がふたつ。 浴室とシャワーブース、シャンプードレッサー。
葬儀は、宗派・お寺・地域・葬儀社によってそれぞれやり方が違う。 通夜では、参列者全員にお経本が配られ、全員でお経を唱えて供養した。 般若心経や日蓮宗などに見られる四字熟語のような漢文とは違い、 曹洞宗のお経本には「○○は○○なり」などと日本語で書かれているので、 なんとなく意味がわかるような気がした。 しかし、そのように日本語であっても、 お経というものは、やはりあの独特な発音で唱える決まりらしい。 私の後方には、導師よりも上手にお経を唱える参列者がいた。 同じ宗派で毎日朝晩のお勤めをしているのではないかとも思えた。 その方が、実は父がお世話になった方の息子さん(50代位)だと後に知り、 初めての挨拶を交わした。
通夜では、父のことや去年の母の葬儀を思い出して何だかとっても泣けた。
通夜式が終わった時、 「故人との思い出をぜひメッセージカードに書いてください」 とのアナウンスがあったのだが、私はすっかり忘れてしまっていた・・・
それを思い出したのは、今朝の告別式が始まってからのこと。
導師のお経の最中に、不謹慎にも私はバッグからメモ帳を取り出して1枚を破き、 そこにボールペンで叔父へのメッセージを書き出した。 その内容は14日の日記を思い出して抜粋。 しかし実際は加入・削除などがあり乱筆の殴り書き状態であった。
書き上げた後、出口付近に立つ係の女性に合図をして呼びつけて渡すと、 それは前方の進行役に回された。
やがて、御棺に花を手向けるべくみんなが立ち上がり、 遺族が再び悲しみを新たにした時、メッセージを読み始めた。
『父亡き後、心細くなった私たち親子に 30年間ずっと変わらずに優しく接していただきました。 母は、叔父さんに父の面影を探していました。 小学校のランドセルも、中学校の学生カバンも叔父さんに買っていただきました。 ゴルフボールの形のチョコレートも、いつもお土産にいただきましたね。 庭の苺は、これまでに見たこともないほど大きく、甘くて美味しかったです。 本当にありがとうございました。 姪 ALLURE 』
みんなには、BGMとすすり泣く声とであまり聞こえていなかったかもしれないが、 あの加筆修正ばかりの走り書きを、良くぞ美しく読んでいただきました。 さすがはプロ。 続いて、従姉妹のメッセージが読まれた。 従姉妹は、ホールが用意したメッセージ専用の用紙を使用したらしく、 大きな便箋状のものだった。
メッセージはその2通のみ。 読み終わった進行係が、 「それではこのメッセージカードは御棺に納めさせていただきます」と言ったので ギョッとした。 参列者はみな座席に戻っていたが、遺族はまだ泣きながら御棺を取り囲んでいた。 そこへ先ほどのメッセージカードが・・・ 私の、乱筆加筆修正の殴り書き状態の紙切れが・・・ そして、御棺に納める前にそれを読んでいる遺族の姿が・・・
あとで、この件について遺族の従姉妹にお詫びしたら、 「形式ばってなくて心がこもっていて嬉しい」と笑ってくれたが、 当の叔父さんは、 「なんだぁ汚い字だなぁ、どう読めばいいんだよ? しかも紙切れ」と怒っているかも。
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