Mother (介護日記)
IndexYesterdayTomorrow


2004年03月16日(火) 叔父の葬儀にて

現在は、新幹線なら東京からわずか1時間で宇都宮である。

葬儀は、宿泊先のビジネスホテルから徒歩7,8分のところ、
最近できたというホールで行われた。
バリアフリーを意識しているらしく、階段には車椅子用のリフトがついていたが、
その度に係を呼ばないと使えないと言うのでは不便。
やはりエレベータを作った方が良さそうだ。
トイレはすべてが洗浄便座だったが狭過ぎて個室に2人では入れない。
介助が必要な場合は個室のドアを開け放したまま、と言うことになってしまうだろう・・・
・・・などと、ついついチェックをしてしまうのだった。

2階には、親族控え室兼宿泊室と、通夜振る舞いなどに使う広い和室がふたつ。
浴室とシャワーブース、シャンプードレッサー。


葬儀は、宗派・お寺・地域・葬儀社によってそれぞれやり方が違う。
通夜では、参列者全員にお経本が配られ、全員でお経を唱えて供養した。
般若心経や日蓮宗などに見られる四字熟語のような漢文とは違い、
曹洞宗のお経本には「○○は○○なり」などと日本語で書かれているので、
なんとなく意味がわかるような気がした。
しかし、そのように日本語であっても、
お経というものは、やはりあの独特な発音で唱える決まりらしい。
私の後方には、導師よりも上手にお経を唱える参列者がいた。
同じ宗派で毎日朝晩のお勤めをしているのではないかとも思えた。
その方が、実は父がお世話になった方の息子さん(50代位)だと後に知り、
初めての挨拶を交わした。


通夜では、父のことや去年の母の葬儀を思い出して何だかとっても泣けた。

通夜式が終わった時、
「故人との思い出をぜひメッセージカードに書いてください」
とのアナウンスがあったのだが、私はすっかり忘れてしまっていた・・・

それを思い出したのは、今朝の告別式が始まってからのこと。

導師のお経の最中に、不謹慎にも私はバッグからメモ帳を取り出して1枚を破き、
そこにボールペンで叔父へのメッセージを書き出した。
その内容は14日の日記を思い出して抜粋。
しかし実際は加入・削除などがあり乱筆の殴り書き状態であった。

書き上げた後、出口付近に立つ係の女性に合図をして呼びつけて渡すと、
それは前方の進行役に回された。

やがて、御棺に花を手向けるべくみんなが立ち上がり、
遺族が再び悲しみを新たにした時、メッセージを読み始めた。

『父亡き後、心細くなった私たち親子に
 30年間ずっと変わらずに優しく接していただきました。
 母は、叔父さんに父の面影を探していました。
 小学校のランドセルも、中学校の学生カバンも叔父さんに買っていただきました。
 ゴルフボールの形のチョコレートも、いつもお土産にいただきましたね。
 庭の苺は、これまでに見たこともないほど大きく、甘くて美味しかったです。
 本当にありがとうございました。  姪 ALLURE 』

みんなには、BGMとすすり泣く声とであまり聞こえていなかったかもしれないが、
あの加筆修正ばかりの走り書きを、良くぞ美しく読んでいただきました。
さすがはプロ。
続いて、従姉妹のメッセージが読まれた。
従姉妹は、ホールが用意したメッセージ専用の用紙を使用したらしく、
大きな便箋状のものだった。

メッセージはその2通のみ。 読み終わった進行係が、
「それではこのメッセージカードは御棺に納めさせていただきます」と言ったので
ギョッとした。
参列者はみな座席に戻っていたが、遺族はまだ泣きながら御棺を取り囲んでいた。
そこへ先ほどのメッセージカードが・・・
私の、乱筆加筆修正の殴り書き状態の紙切れが・・・
そして、御棺に納める前にそれを読んでいる遺族の姿が・・・

あとで、この件について遺族の従姉妹にお詫びしたら、
「形式ばってなくて心がこもっていて嬉しい」と笑ってくれたが、
当の叔父さんは、
「なんだぁ汚い字だなぁ、どう読めばいいんだよ? しかも紙切れ」と怒っているかも。


IndexYesterdayTomorrow


ALLURE  ☆ MAIL

読んだら、押してね ↓ 

My追加