Mother (介護日記)
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2004年03月23日(火) 一周忌と三十三回忌法要

数日前からの天気予報でも雪かも知れないと出ていたが、
その通り、昨日は関東周辺で雪になったと言うので今日の墓参が心配だったが、
幸い、昨日のうちにやんだようで今日は曇天。

隣町の叔母を迎えに行き、
レフティーが残った雪を考慮して山道を避け、街なかを通って行った。
霊園が近付くと所々に雪が見られた。

今回は義兄夫婦の他、義姉の妹夫婦も一緒だった。
義姉も妹も共に50代、しかしずっと変わらずに本当に美しい姉妹である。



父は亡くなった後、一旦、故郷の両親が眠る墓に入ったが、
栃木は私たち母子にとってあまりにも遠く、2年後にここに移した。
墓をここに買ったのは義姉の両親の勧めであった。
宗派に関係なく、料金が明朗で(と言うのも本来はおかしなことだが)あることが、
自宅からの距離を勘案しても納得できるものであった。
子供だった私は自宅近くが良いとダダをこねたが、
お寺と言うものは年に何度も行事(?)があって、
檀家ともなれば、その度にお金(お布施?)がかかるものだから・・・と諭された。

実際、母の亡くなった後、お世話になった市内のお寺からは毎月のようにお知らせが届いた。
ご住職からは、墓所を移してはどうかとの打診もあったが、
その後のお付き合いを考えると我が家にはかなりの負担であった。
また、墓は昨年のうちに姓を継ぐ義兄に権利を譲渡していた。

この霊園では年間の管理費のみ。
希望すれば墓石の両脇に季節のお花を植えてくれる(別途お花代)。

車で片道2時間近くにもなると、我が家では遠足モードであった。
結婚する前、電車とバスを乗り継いでいた頃は3時間ぐらいかかって、
それこそ一日がかりの一大行事であった。
母は、毎回お菓子を持参していたし、
彼岸限定のテント販売のジャガバターや味噌おでんを食べるのが楽しみになっていた。


霊園事務所にて義兄たちと合流し予約した法要の受付手続きを済ませると、すぐに墓所に向かった。
すでに和尚様が車の中で待機していた。若い女性だった。

うちの墓所は山の上の方にあり、
5センチほどの雪が積もっていて、あたりは真っ白だったが、
法要をするにあたり、うちの墓所とそこまでの通路部分だけは除雪してくれてあった。
やはり空気は冷たい。

持参した位牌や写真と共に、日本酒やビール・果物を並べ、生花を飾った。
毎回苦労する線香への火点けは、今回、風防ライターを持参してみたが、
今日は風がなかったので、線香の半分はいつも通りに包装紙を燃やして点けていた。

読経が始まった。
良く聞いていると、漢文ではなく日本語だった。

結婚生活の短かった両親は、今ごろあちらの世界で手を取り合っているのだろうか?

「スカイハイ」というドラマを見ていて、滑稽とも言えるけれど、
死後の世界とは案外あんな感じなのかも・・・と思えてきた。
私は両親の霊を身近に感じたことがないので“現世にさまよっている”ふうでもなく、
“天国で再生を待っている”のだろうか?
父はすでに31年、どこかの街で別の人間として再生しているかも知れない。


法要のあと、園内のレストランにて昼食。
彼岸の最終日、このようなお天気だったので空いていた。


帰りは近道である山道を選んだが、さすがに山は雪が残っていた。
午前中は除雪が追いつかなかったと料金所の係員が言っていたが、
道路の両脇には雪が積み上げられていて道幅が狭くなっていた。
路面はまだ濡れているところもあり、中央に大きな塊があったりもした。
10数年前、まだ絹江が小さかった頃、この道で墓参の行きがけにもらい事故があったので、
対向車はほとんどなかったが、カーブが多いので気を遣った。


車の中に乗せたままの母の靴を叔母が履きたいと言った。
捨て切れずにずっとそのままになっていたが、叔母とサイズが同じだったので、
履いてもらうことにした。


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