Mother (介護日記)
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銀行の研修(とは言っても面接だけでついでに遊んで来たのだが)に行って来た帰り、 近所に住む老人会のお友達Yさんに会った。
「その節はありがとうございました」 とお礼を言い、 「先月末に納骨と四十九日を済ませました」 と報告をした。
Yさんの話では、母の後、老人会の別の方が亡くなったらしいのだが、 その方の場合は、実の娘が親を汚がってロクに看てもらえなかったのだそうだ。
「・・・そんなこともあるんだからね、 お宅のお母さんは幸せだったね、って、みんなで話していたのよ。 陽気な人でね。 みんなを楽しませてくれたのよ。 歌が好きでね。 ホントにいい人だったわ。 さみしくなっちゃったね、って、みんなが言ってるのよ」
ここの家に最初に引っ越してきた時、さっそく老人会へのお誘いがあったが、 母は「老人会なんて、とんでもない。私はまだそんな年寄りじゃない」と断っていたのだが、 何度かのお誘いがあって数年後にやっと入会した。
いやいや入ったはずだったが、母はすぐに一躍アイドルとなったようだった。
母の年齢が、老人会全体に比べて若かったこと。 その上、母自身が年齢のワリに若く見えたこと。 そして色白でそれなりの美しさ(謎)と、陽気な性格だったことがウケたようであった。
老人会の仲間の前で、母がどんな様子であったかは想像するしかないが、母は 「カラオケをやるって言ってもね、みんな遠慮しちゃって歌う人がいないのよ。 で、私が“唐人お吉”を歌うとね、みんなが『上手だから、もう一曲歌え』って言うのよ」 と、得意気に話していたものだ。
ゲートボールは、『下手だと怒られるらしいから嫌だ』 と言っていたが、 これもまた、暑い日も寒い日も週に3回の練習を楽しみにするようになり、 休憩時間にみんなで食べるお菓子を買って持って行った。 しかし、お菓子はお互いに持ち寄るので余ると言うので、 私が「冷たいおしぼりにしてはどうか」とアドバイスすると、 次からは濡らしたおしぼりを人数分、 冷蔵庫や冷凍庫で冷やしてクーラーバッグで担いで持って行った。 『練習の合間に顔を拭くと冷たくて気持ちが良い』 と みんなにとても喜ばれたのだと、母もうれしそうだった。
老人会では、踊りも習っていた。 年に一度、発表会があって、みんなで着物を揃え、練習に励んでいた。 特に発表会が近づくと、母のアパートに友達が集まって自主的に練習を繰り返していた。
私は子育てと仕事に夢中で、 母が仕事を辞めてから病気をするまでの間、母の相手をあまりしていなかったので、 たまに“もっと一緒に過ごせば良かった” と思うこともあるのだが、 こうして話を聞いてみると、 母には母のお友達ができて、そこには私とはできない会話があって、 カラオケやゲートボールや踊りや旅行を充分に楽しんでいたのだ。
最後の1年だけは、私とベッタリ過ごしたくてあのような経過になったのだろうか。
それまでの人生の、満たされなかった部分を取り返すかのように、 母の晩年は満ち足りていたと思う。
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