Mother (介護日記)
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2003年06月09日(月) 老人会では

銀行の研修(とは言っても面接だけでついでに遊んで来たのだが)に行って来た帰り、
近所に住む老人会のお友達Yさんに会った。

「その節はありがとうございました」 とお礼を言い、
「先月末に納骨と四十九日を済ませました」 と報告をした。


Yさんの話では、母の後、老人会の別の方が亡くなったらしいのだが、
その方の場合は、実の娘が親を汚がってロクに看てもらえなかったのだそうだ。

「・・・そんなこともあるんだからね、
 お宅のお母さんは幸せだったね、って、みんなで話していたのよ。
 陽気な人でね。 みんなを楽しませてくれたのよ。 歌が好きでね。
 ホントにいい人だったわ。
 さみしくなっちゃったね、って、みんなが言ってるのよ」



ここの家に最初に引っ越してきた時、さっそく老人会へのお誘いがあったが、
母は「老人会なんて、とんでもない。私はまだそんな年寄りじゃない」と断っていたのだが、
何度かのお誘いがあって数年後にやっと入会した。

いやいや入ったはずだったが、母はすぐに一躍アイドルとなったようだった。

母の年齢が、老人会全体に比べて若かったこと。
その上、母自身が年齢のワリに若く見えたこと。
そして色白でそれなりの美しさ(謎)と、陽気な性格だったことがウケたようであった。

老人会の仲間の前で、母がどんな様子であったかは想像するしかないが、母は
「カラオケをやるって言ってもね、みんな遠慮しちゃって歌う人がいないのよ。
 で、私が“唐人お吉”を歌うとね、みんなが『上手だから、もう一曲歌え』って言うのよ」
と、得意気に話していたものだ。



ゲートボールは、『下手だと怒られるらしいから嫌だ』 と言っていたが、
これもまた、暑い日も寒い日も週に3回の練習を楽しみにするようになり、
休憩時間にみんなで食べるお菓子を買って持って行った。
しかし、お菓子はお互いに持ち寄るので余ると言うので、
私が「冷たいおしぼりにしてはどうか」とアドバイスすると、
次からは濡らしたおしぼりを人数分、
冷蔵庫や冷凍庫で冷やしてクーラーバッグで担いで持って行った。
『練習の合間に顔を拭くと冷たくて気持ちが良い』 と
みんなにとても喜ばれたのだと、母もうれしそうだった。



老人会では、踊りも習っていた。
年に一度、発表会があって、みんなで着物を揃え、練習に励んでいた。
特に発表会が近づくと、母のアパートに友達が集まって自主的に練習を繰り返していた。



私は子育てと仕事に夢中で、
母が仕事を辞めてから病気をするまでの間、母の相手をあまりしていなかったので、
たまに“もっと一緒に過ごせば良かった” と思うこともあるのだが、
こうして話を聞いてみると、
母には母のお友達ができて、そこには私とはできない会話があって、
カラオケやゲートボールや踊りや旅行を充分に楽しんでいたのだ。

最後の1年だけは、私とベッタリ過ごしたくてあのような経過になったのだろうか。

それまでの人生の、満たされなかった部分を取り返すかのように、
母の晩年は満ち足りていたと思う。


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