Mother (介護日記)
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2003年04月26日(土) 退院強行。

今、4月25日です。

夕食の後、いつもと違ってかなり衰弱していたので、
意識がなくなる前にと、突然でしたが連れて帰って来ました。

今夜は、絹江の部屋でダブルのお布団で一緒に寝ます。


・・・26日・・・


母は眠りが浅く、ほとんど眠っていない。

緑茶とアミノサプリを、スプーンで一滴づつ口に流してあげた。
レフティーお勧めのアミノサプリは、母も「おいしい」 と言った。
口を開いて息をしているため、喉の渇きには特に注意を払い、こまめに水分を補給した。

簡単にできる抹茶葛湯と、レフティーが作ってくれたハウスのイチゴゼリーを少し食べた。

おむつを5回ほど交換した。



昨夜連れ帰ってくる時は、
母と何度も行ったスパの駐車場にも入って、ぐるりと一回りしたが、
夜だということもあって、わかっていない様子だった。

目がうつろで、病院からわずか15分程度の家まで果たして持つのだろうかとさえ心配だった。
絹江に会えないで逝ってしまうのではないだろうかと思った。

しかしなんとか落ち着いたのでホッとした。

絹江の部屋に通したことで、
自宅に帰ってきたのだという状況がまだはっきりとわかっていないのだろう、
母はキョロキョロと何度も部屋を見回していた。

自宅に帰り、おむつを替え、水分を補給し、同じ布団で添い寝をし、
『あぁ良かった』と満足した私は涙を忘れ、心から笑うことができた。

できることなら、
早く夜が明けて、周りの景色を眺め、自宅に戻ったことを改めて認識して欲しいと願い、
夜中のうちに厚手のカーテンを開け放しておいた。

願いは叶って、朝を迎えることができた。

雨模様ではあるが、窓を開けて外の景色を見せてあげた。




今朝9時前から電話がなった。

ケアマネから介護ベッドの搬入についての連絡で『4月30日』に決まったとのことだった。
私も、昨夜のうちに退院したことを一応報告した。

昨日、あんなに数名の看護婦から説明を受けたはずなのに、
この人はまだ私の気持ちを理解をしてくれていない。

「ダメだ(死ぬ)ってわかっていて連れて帰ってきたんですよね?
 ご家族はそれでいいんですか? 」 

医者は、病院にいても1ヶ月持たないって。
現場の看護婦は1週間も持ちそうにないって言っているじゃないか。

もうダメ(これ以上、治療の方法がない)だからこそ、連れて帰ってきたんじゃないか。

いい加減、うるさい。
この無神経さを、どこかに訴え出たいくらいだ。
もう会いたくない。 



病院には電話をして、無事に朝を迎えられたことを報告し、
今日、改めて退院手続きにうかがうことを約束した。



レフティーと絹江が、病院の支払いと荷物の引き上げと買い物に出掛けたので、
私は母と二人きりである。

母の口が受け入れ態勢になっている時だけ、水分を流し込む。

小さなスプーンでは何回運んでも、わずかな量にしかなっていないのだろう。

補聴器をつけ、母の好きな懐メロ「古賀メロディー」を流し、私が知っている歌は歌ってあげた。

母はもうすでに意識が朦朧としており、
私の話し掛けが聞こえているのかどうかもわからない。

熱が8度3分出ているので、今、額に冷たいタオルを乗せたところだ。




 * * * * *


追記 :

この後の15:30、母は眠るように息を引き取りました。

詳細は、5月3日、4日の日記に書いてあります。


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