Mother (介護日記)
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今日は、敬老の日の記念行事があったので、デイサービスを休ませた。
市の主催行事に出席するのは無理なので、 その後に行われる町内の祝賀会にだけ、出させてあげようと思っていた。
ところが、デイサービスのお迎えが来てしまった。 先日ケアマネが来た時に、水曜は休むと言っておいたのだが、 ケアマネが土曜日と間違えたらしかった。 「施設には私から伝えておきます」とのことだったが、 やはりこちらからも一報を入れておくべきだったと反省した。
私は今朝から調子が悪くて参った。 いつもの微熱のほかに頭痛もあったので、 洗濯の後、レフティーが起き出したのと入れ違いに寝てしまった。
レフティーが私の様子を見に来た。
私は微熱のせいなのか気温のせいなのか、喉がカラカラだったので、 レフティーにお水を汲んできてもらった。 熱を計ったが思いのほか7度に満たなかった。
そして、時間を確認すると1時半だった。
市の行事から町内のみんなが戻ってくるのは2時半から3時くらいだろうと思われた。
せっかくレフティーがアイスノンを持って来てくれたが、私は寝ている場合ではなかった。
レフティーはずっとテレビを見ていて1時に初めての食事をしたと言い、 母にはまだお昼を食べさせていなかった。
私も、母の祝賀会に付き添うためには頭痛を治したかったので、 久しぶりにハイゼットとグランダキシン(更年期の治療にも使われる薬)を飲むために、トーストとコーヒーで簡単なお昼を食べた。
2時半、うちの向かいにある公民館に車が止まっているのが見えた。 祝賀会の準備をしているようだったので、始まる時間を聞きに行って来た。
「もうすぐバスでみんなが戻って来ますよ」とのことだったので、 母に着替えとお化粧をするように言った。
3時、バスが来た音がしたので、母を急かせて公民館に出掛けると、 既に町内会長の挨拶が始まっていた。
長いテーブルが向かい合わせになっていて、それが2列。 各々に仕出し弁当と梨が置いてあり、ビールやジュース、果物にお菓子、 さらに婦人会の作ったお惣菜がたくさん並んでいた。
聞くと、町内の70歳以上は140人だと言う。 そのうちの40数名が、この祝賀会に集まっているとのことだった。 140人の中には老人会には入っていない人も含まれるので、 今日の集まりには母の知っている人が非常に少なかったのだが、 これは、私の大きな誤算だった。
老人会へは1年半ぶりの参加である。 久しぶりにお友達に会えば母も喜ぶだろう・・・ そう思っていた。
「町内の70歳以上」のグループと会うのは年に一度のこの敬老祝賀会だけ。 「老人会」とは、月に一度の定例会、 「ゲートボール」の仲間とは、週に3回・・・と言うわけで、 母が密接なお付き合いをしているのは、ホンの数人ということになる。
母が会場を見渡しても、知っている人が見当たらず、 「今日は何の集まり?」と私に聞いてきたくらいだった。
実際に母の姿を見て母の隣まで来てくれた方はわずかに3人だけだった。 それでも私は、チャンスとばかりに写真を撮った。
3時からの祝賀会だったので、仕出し弁当に手をつける人はなく、 およそ1時間の談笑の後、用意されたビニールの風呂敷に包み、チラホラと帰り始めた。
私たちも買えることにした。
急な階段を降り始めた時、町内会長が来て私の手荷物を持ってくれた。 ところがそこで、不自然にも元気な私の右腕を脇から支えながら、 さりげなく手の甲で右胸に触り始め、私があれ?っと思っている間に、 さらに左手で私の腰に手を回し、おしりを撫でて来たのである。
私は驚いたが、若い娘ではないので(^_^;)大声を出すこともせず、睨むこともできず、 気付かぬフリをして階段を降りきったが、その人を見る目が変わったことは否めない。
2年前に私が町内の班長だった時からの顔見知りであるが、 当時はそんな風に思えなかったのでガッカリした。
もうじき40の大台に乗ろうかという私ではあるが、 今日は敬老会であり、参加者はみな60〜80代、 お手伝いの婦人会にしても、40後半〜60代であるからして、 本日は私が「一番若い女性」という扱いを受けたと喜ぶべきであろうか・・・
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