Mother (介護日記)
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2002年08月30日(金) |
「それより・・・肺がめちゃくちゃ汚いよ?」 |
先週木曜日、 検診だと言うことをすっかり忘れていた私は午後になって気付き、 内科だけは診てもらえたものの、整形は元々木曜日は「手術日」のため、 少数の予約患者しか受けない表向きは「休診日」なので午後からでは到底無理、 注射も薬も諦めたので気になっていた。
また整形の担当医とは6月6日以来、会ってないように思う。 母の肋骨の下の痛みについて先日、内科の主治医が初めて 「折れてるかもしれない」と言ったことも気になったし、 いつもの看護婦による注射だけで終わらずに、 担当医に会っておきたいと思っていた。
そこで今日、夏休み最後の平日だったので、 絹江のガングリオンも抜き取ってもらうために整形外科に行くことにした。
タクシーを飛ばして予約外の受付時間11時にギリギリで到着し、 整形外来に行くとものすごく混んでいた。 たくさんあるソファにギッシリと。 でも流れを見ていると、そのすべてが患者ではなく付き添いが多いこともわかった。 私もそのひとりじゃないか。
母が呼ばれるまでに2時間、 絹江はその30分後、そして会計が終わるまでには3時間かかった。
母の肋骨の下の痛みと発作的なセキについて話すと、 すぐに右の肋骨のレントゲンを撮ってくるようにと言われた。
出来上がった画像を見た担当医が言った。
「あぁ〜これじゃぁねぇ〜セキや痰がひどいのもうなずけるなぁ。 肋骨が折れてるかどうか、これではわからないけど、 それよりも肺がめちゃくちゃ汚いよ? 内科でも診てもらってるんだよね?」
毎度ながら本人を目の前に大きな声で遠慮なしに言う人だ。 幸い、母には話しがわかっていないようで、その後不安そうなこともなくて良かったが。
レントゲン写真は、鎖骨から肋骨の上側は骨の形がわかるが、 下の方は白くかすんでしまっていて、骨の状態もわからない。 そのかすみが母のセキや痰の原因になっているらしかった。
「でも内科では最近、レントゲンを撮っていませんので」
「今日は肋骨だから、肺を撮っているわけじゃないけど、これじゃぁねぇ・・・ 一度撮ってもらった方がいいんじゃないの? あぁ、でも先生もきっとわかってるんだろうなぁ・・・」
と、カルテをめくりながら言った。
どういう意味だろうか?
この先生には3月20日に最初に診てもらった時にも、同じように 「全体に傷んでいる」と言われている。
私は母の入院後、内科の主治医から早い時点に 「呼吸器系なのでもしもということも考えられる」と言われていた。
老人の肺炎と言えば、常に日本人の死因の上位にあって、 『ある日風邪をこじらせて高熱が出たと思ったらアッと言う間に亡くなってしまう』 ・・・というイメージが私にはあったのだが。
それが、入院を繰り返し、その都度、退院したとは言っても以前の生活には戻れず、 それどころか、なだらかではあるが次第に悪くなってきているので、 この病気が完治するとはとても思えず、 かろうじて現状維持の加療である、と私の中ではもう諦めていて、 いつ何が起こっても不思議ではないという覚悟もできている。
今日も、整形の担当医のその言葉に、 “肺炎だけじゃないのではないだろうか” “肺がんなんじゃないだろうか”などと ネットで検索をしたものの、すぐにそれがバカらしく思えて辞めてしまった。
病気の症状にしても薬の効能にしても、 『こういう症状があったら、絶対にこの病気』とか 『この薬を使うと言うことは、絶対にこの病気』とか、 人間の体のことはそんな単純に振り分けられないのだから・・・
ひとつの病気にしても、症状がいろいろあるし個人差も大きい。
今時の薬は、あっちの病気にもこっちの病気にも効果がある。 それをいちいち詮索していたのではキリがない。
飲んでる薬がどうだとか、ホントの病名は何だとか、もうどうでも良い。
治らない病気。
現状維持の加療。
いつ何が起こっても驚かないぞ。
実は、私は少し前、葬儀についてネットで調べたことがある。
母に“その時”が来た時に、あわてずに行動しなくてはならないので、 その準備をしておこうと思ったのだ。
それで、緊急連絡用の電話番号簿を作ったりもした。
親戚の誰に電話すれば、そこから誰と誰に連絡が行くだろうから・・・とか、 母の友人には、誰と誰に連絡すれば良いのだろうか・・・とか。
私というのは、すぐに頭が真っ白になってしまうタイプだと思っているので 自分が動けないような場合でも、他の人に代わってもらえるように、 リストを作っておくことが必要だと思った。
縁起が悪いとか、言っている場合ではない。 死は確実にやってくる。
小学4年、父が亡くなった時のこと。 うろたえて泣くばかりの母は電話をかけることができず、 親戚への連絡はすべて叔母がやってくれたのだと聞いた。
*当時うちには電話がなかったので、うちから誰かにかけることは少なく 親戚からの電話は近所で借りていたので、掛け方もわかっていなかった
30の誕生日を迎えたばかりで突然亡くなった同級生。 その奥さんである私の友達は、 『彼のお母さんに早く連絡をしなくては、と思うのに、 何度かけても他所の家にかかってしまうので、 結局、自分の母親に電話してもらった』と言っていた。
また、亡くなった彼の弟からは、 『「誰(友達)に連絡して欲しい?」とたずねたが、 彼女は動揺していて友達の名前が出てこなかった』と聞いたような気がする。
人が亡くなった場合は、 お通夜に間に合うようにすみやかに連絡しなくてはならないので、 そう言ったいろいろな話から、やはり日頃から準備しておいた方が良いと思った。
親の友達関係などは、特に親しく行き来がなければ、なかなかわからないものだ。 それは夫婦でも同じことが言える。
だから、住所録を作る時には50音順ではダメだ。 それでは誰に連絡をすれば良いのかわからない。
親戚・会社(上司・同僚)・同級生など、本人との関係ごとに作るべきだと思う。 そして、お付き合いの程度によって「第1報」を入れる人のリストがあれば良い。
◎ 救急車の中で聞かれること (既往症・服用中の薬・経過など) ◎ 入院時に聞かれること ( 同上 ) ◎ 入院時に必要なもの ( 着替え・雑貨など ) ◎ 親戚名簿 ( 続き柄・名前・電話番号 )
私は、これらについてひとつのファイルにまとめておいた。 家族にはそのファイルの存在を知らせて、わかりやすい場所に置いてある。 家族はこれを見て行動できるであろうし、 電話連絡などは友達や親戚に頼むこともできるだろう。
そして市内の葬儀社やその費用についても、少し目を通しておいた。
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