Mother (介護日記)
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2001年09月22日(土) 緊急事態に・・・

今日は夕方、友達から電話があって、ちょっとだけお茶に出ることになった。
今夜は山かけ丼だから、絹江に任せてもいいかな、と思った。
友達が迎えに来た時、母は入浴中で、もうすぐ出るという頃、
レフティーはまだ帰宅前だったけど、絹江に母を頼んで出掛けた。

久しぶりに会う銀行のKちゃんの車で、近くのレストランに向かった。
今夜は三日月。
強風のせいか、クッキリとキレイに見えた。

何を食べようかなぁ、とメニューを選んでいた時、
私のケータイがけたたましく鳴り響いた。
モニターには「自宅」の文字。 絹江だった。

「ママ、すぐに帰って来て!」
 
ちょっと待って、どうしたの?
絹江も焦ってるけど、聞いてる私も焦ってる。

* * * * *

母は元々暑がりなので、
お風呂から出ると、30分から1時間ぐらいは、裸のまま汗が引くのを待っている。

今日が昨日に比べて恐ろしいくらい冷え込んだと言うことを、
母には認識できていなかったらしい。
深夜私が寝る前に、母の布団が薄いことに気付き、綿毛布を1枚足したほどだったのに・・・

絹江は美術の宿題の絵を描いていて、居間にいた。
私が出掛けてまもなく、お風呂から出た母を確認している。
しばらく経ってから、なにやらカチャカチャと音がして、母の呼ぶ声に行ってみると、
母が電気座布団のコンセントをつなごうとしていたが、
手が震えているのでささらないのだという。

その手は真っ白で冷たくなっており、顔も唇も真っ青だというのである。

そう言えば、母はひとりで暮らしている時に、浴槽で眠ってしまい、
夜中に目が冷めたら全身が真っ青になっていた、ということがあった。
そんなこともあって、今回の同居に至っていたはずだった。

* * * * *

今、こうやって書いていると、どうしてすぐに帰らなかったのかと思うのだけど・・・

絹江はタオルを濡らしてレンジでチンして、それで手を温めて、母をベッドに寝かせた。
私は牛乳を温めて飲ませるように言ったが、起き上がれないと言うので、
ストローで飲ませる為に、温度に気をつけるように指示した。

絹江との電話を一旦切って、レフティーのケータイにかけると、
帰宅中の車の中で、自宅から10分ぐらいの距離にいることがわかった。

事情を話したところ、
「なんでこんな日に出掛けるんだよ?」

レフティーは一旦帰宅後、再び仕事の関係で出掛けるのだと言う。

「今日は特別冷え込んだのだから、こんな日にお風呂に入れっぱなしで行くな」と
叱られた。

私は、とても気がかりなのに、でも何故かすぐに家に帰ろうとしなかった。
頭が混乱して、とても食事できそうもないのに、そのまま居残った。

自宅の絹江とレフティーと何度か連絡を取りながら、母が落ちついたことを知って、
1時間半、お茶をして帰って来たのである。

この日記を書いていて、自分の行動を省みて、心苦しくて仕方ない。
絹江にも精神的な負担をかけたことは間違いない。
何事もなくて良かったけど、完全に油断した。
母は、思考も体力も行動も普通の大人ではないということを忘れてはならない。
当分は気を抜けない。

帰宅後、すぐに母の様子を見に行った。
特に熱はないが、目にチカラがない。
レフティーはすでに出掛けた後だった。
廊下のストーブがついていて、スチーム代わりに大きな鍋が載っていた。
夕飯は普通に食べたと言う。

夜中に異変があったら困るので、音の出るオモチャを探した。
ちょうどトンカチのような形をした、左右に振るとカタカタと音の出るオモチャを発見。
これと、懐中電灯を枕元に置くことにした。
万一、具合が悪くなった時に大きな声がでなくても、このオモチャで知らせてくれればいい。
今は、母の4畳半に私が一緒に寝るスペースはない。
しかし、壁ひとつなので、双方の引き戸を開けておけば、物音はよく響く。

今夜の眠りは浅いかも知れない。


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