Mother (介護日記)
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2001年08月13日(月)    連鎖

HPで公開中の2種の日記を印刷してファイルに整理した。
7月からだけでも60枚になる。
先日寝る前に絹江に聞いたら「読む」と言うので見せることにした。
私が寝た後、約1時間かけて全部を読んだのだという。

レフティーでさえ、たまに私の日記を読んで
「そうだったのか」と思うことがあるらしい。
このところ家族みんな忙しく過ごしていて、ゆっくり話す時間もなかったので、
母や私のことを知るのには、単純明解だったと思う。

翌日、私が夕寝している時、
母がお風呂に入るのを絹江が介助しているらしい声が聞こえていた。

その次の日は、絹江は友達と出掛ける前に、母の食事の用意をして行った。
もちろん、難しい料理を作った訳ではなかったけど、
これには、母はとても感動していたようだった。

日記を読んで、何か感じるものがあったのか?と思った。
しかし、そんなに上手くは続かないものだ・・・

月曜が来た。
まだ退職を決めかねている私は、今日は絹江に母を任せて出勤した。

実は昨夜、絹江は同級生から
「うちの親が連れて行ってくれるからプールに行かない?」という電話をもらったが
プールが遠方であったこと、夕方はピアノのレッスンに行く日だったこと、
私もレフティーも仕事に行くことから母を見なくてはならず、諦めたのだった。

そんな中で、母と1日過ごしたのだが・・・

夕方、仕事から戻ってくると、ピアノに向かう絹江と道ですれ違ったが
絹江は元気がなかった・・・というよりも、不機嫌そうだった。
「おばあちゃんは自分が悪いのに逆切れするんだもん」と言った。

ハムスターの世話をしたまではいいが、砂をこぼしたままなので注意したら、
逆ギレしたので、結局絹江が片付ける羽目になったのだという。

洗濯物を干す時に「それを取って」と頼んだが、
母は「それ」がどこにあるのかがわからずに、またもや逆ギレしたらしい。

励まして送りだしたまでは良かったが・・・
ピアノから帰った絹江は、玄関を見るなりキレてしまった。

母が絹江の新しいサンダルを履いて洗濯物を取り込み、
ついでに庭の草むしりまでした結果、履き込むべき部分を土ホコリで汚し、
そのままにした、というもの。
文句を言っても母には聞こえず、絹江は仕方なく風呂場でサンダルを洗った。

その後、母はお風呂に入ったが、自分が出た後、沸かしたまま忘れていた。
絹江が気を利かせてチェックに行き、沸騰を免れたが、
母が気付いて見に来たのは30分も経ってからだった。

絹江はもう我慢ができずに「一緒になんか暮らしたくない」と泣いた。
「おばあちゃんがいると、ずっと神経を使っていなくちゃいけないから疲れる」
「こんなこと、友達に言ってもわかんないし」

絹江は数時間、ウジウジと泣き言を言ってすねていた。
私やレフティーから、母に注意をして欲しい。
だけど、それが何の効果もないことを、私だけじゃなく絹江も実はわかっている。
だから、我慢するしかなかった。

『おばあちゃんとのことで、
 イライラしたり泣いたりしていたのでは、自分が損をするばかり。
 損しただけで終わるか、経験を活かして得につなげるかは自分次第だよ。
 嫌なことがあったら書き出して、早めに頭を整理して終わりにすること。
 これが、20年近く思考錯誤してきたママの一番のストレス解消法です。』


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