ヤグネットの毎日
DiaryINDEXpastwill


2006年11月01日(水) 「憲法九条を世界遺産に」(集英社新書)を読む

太田光という芸人に、とても興味があった。

「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中」というテレビ番組を見ていたときに、エッセイストの岡部伊都子さんの本を読んだ感想を紹介しながら、戦争体験についてもっと我々は想像力を働かせなければいけないこと、戦争を繰り返させてはならないことを、熱く語っている姿が印象的だった。その迫力に「テレビでここまで言って大丈夫かよ?ブラウン管から消されるんとちゃう?」と余計な心配さえした。

 本書のタイトルである、「憲法九条を世界遺産に」は、このテレビ番組で太田光さんが公約に掲げていたものだ。



 本書は、日ごろから太田光さんと親交があり、テレビ番組をみていて、「共同戦線をはりたくなった」という哲学者・思想家の中沢新一さんとの対談形式で構成されている。

 

 「いかなる形であれ、国家間の紛争解決手段として、戦争を放棄する」この憲法九条の精神。「この国家思想は尋常ではない」(中沢新一氏)

 しかし、本書の中で中沢さんと太田さんは、一見、絵空事のようにみえる「憲法九条」の精神が、いかに大切なものか、世界遺産として、なぜいついつまでも残していかなければいけないのか、をときにユーモアを交えて、語り合う。

 以下、僕がとても共感を覚えた点を覚え書き風にメモしておく。



○動物や自然を愛し、命を大切さを語っていた童話作家・宮沢賢治が、田中智学や石原完爾に傾倒していった、という歴史さえ僕は知らなかった。(恥ずかしい限り)。
田中智学といえば、「八紘一宇」という言葉をあみだした人物として有名。命の大切さを懸命に説くものが、「満州事変」さえ、肯定するような国家主義へと傾いていったのか?

 太田さんは、「賢治を肯定するには、もう一度戦前の日本を検証し直さないといけないんじゃないか、と思う。つまり、戦後日本人がタブーとした戦前の思想。見たらそこに戻ってしまうのではないか、という恐怖のあまり蓋をして未だに見ないようにしている部分。その蓋を恐怖に負けずに開ける作業。それをやらないと、「憲法九条の問題の答えも出てこないと思う」という。


 「自分のなかの矛盾を徹底的に見つめなおす」。

 これが、本書のキーワードでもある。太田さんは、たとえば、時代の寵児としてもてはやされたホリエモンが、逮捕されるやいなや全否定された、一連の報道や人々の受けとめをとりあげて、「彼らは何のためにホリエモンを支持したのか。いま全否定するなら、それは、自分の過去を否定し、共鳴した部分をも消し去ることになる。それではあの時点の自分はなんだったのか、という反省も自己検証もできない」(28ページ)という。

 これは、人間の思考と人間の成長、発展という角度からも大切な指摘だし、国家というレベルで考えても、過去の戦争の過ちとその原因に真摯に向き合ってこそ、現代の世界政治にどう立ち向かうか、という方向性もみえてくる、という点でとても重い意味を持つものだ。

○憲法九条は修道院みたいなものだ、という表現には、「言いえて妙」と納得した。

 このことは実現不可能なもの、という意味ではなく、「いまこの時点では絵空ごとかもしれないけれど、世界中がこの平和憲法を持てば、一歩進んだ人間になる可能性がある。それなら、この憲法を持って生きていくのは、なかなかいいものだ」(太田さん74ページ)人間は、秩序を構築できる生き物だ、という言葉もとても共感できる。

○戦争を発動させないための文化について、語り合った第3章は、とくに興味深いものがある。

 ピカソの「ゲルニカ」なども例にだしながら、「思想表現としての芸」の重要さを確認しあう太田氏と中沢氏。

 自分の言いたいことを「作品」としてあらわすことが大切だけれども、「ストレートな表現ばかりしている」と「自分の想像力や芸のなさ」の不足を反省する太田さんの姿勢は、芸風とは裏腹に(失礼)、謙虚だと思った。

 話は、古典芸能である落語や武士道精神にも及ぶ。古典落語など、ぼくはそんなに系統的にきいたことがないが、武士というのは、たいがい偉そうにしているバカなやつ、というギャグの対象として登場してくるそうだ。

 江戸時代の民衆は、そういう落語ネタでストレスを解消していた。「武士道もいいけど、行き過ぎると危ない」という感覚を落語がうまくあらわしていた、と太田さんは指摘します。武士道と落語の文化の共存。「ちょっと待てよ」と考えさせる力。言い換えれば、「落語の笑いというのは、人間を危ういほうへ行かせないための一つの抑止力となっている」というわけだ。

 その一方で、笑いはコミュニケーションギャップをうめる一つの手法でもあるが、すべてのものを笑いとばす、ことから人を殺す力ももっている、ともいう。大事な点だ。

 この章の最後に太田さんは、立川談志さんの落語をひきあいに「イメージを体で伝える力」ということを述べている。立川談志さんの落語は、「古典落語を語りながら、自分を消そう、消そうとしている。…その源は、想像力なんだろうな。」「イメージを体で伝える力です。その力には、人を殺すかもしれない、という危うさも含まれていて、なおかつ自分などちっぽけな存在だと思うこと」と述べ、ここに宮沢賢治の世界と重なるものがある、とむすびつけて太田さんは「芸の持つ力。お笑いのもつ力」をとらえる。

 これを受けて中沢新一さんのむすびの文章がとても気に入った。



 「最近、世界に蔓延しているのは、ゴーマンです。でも、この世にいつまでも不滅なものはないし万能なものもない。理性だって限界があるし、その限界のなかにありながら自由というものはある。そこにこそ、笑いも幸福も豊かさも発生してくるはずなんですね。ゴーマンになりつつある人間たちに、限界を教えてくれるのがお笑いです。きっと、そういうお笑いは戦争を発動させないための文化となりうるでしょう。」


○最後の章は、「憲法九条を世界遺産に」と提唱する意味、さらには太田光さんがどんな芸人をめざしているのか?が語られている。

 なぜ、「憲法九条を世界遺産に」すべきなのか?まず、中沢新一さんが「不戦」と「非戦」の言葉の意味の違いを述べている。

 「不戦」という言葉の「本質は、自分はやろうと思えばいくらでもたたかえますよ。あんたなんかのしちゃいますよ。でも今はやらないよ」といっているのと同じで、「不穏なポーズが隠されています」。「それを思想にまで高めていくには、『私は一切戦いませんよ』という『非戦』にまで高めていく必要がある」と指摘。

 そして、普通の国の憲法では、不戦までしかいわないが、日本国憲法では、九条で明確に「非戦」を誓っている。国家が国家である自分と異なる原理を据えている、という点で日本国憲法が世界遺産に値する、という。
 これを受けて、太田光さんは、「憲法九条を世界遺産にするということは、人間が自分自身を疑い、迷い、考え続ける一つのヒントであるということなんですね」とまとめる。ここにも、「自分の中の矛盾を徹底的に見つめなおす」という太田さんがこの本全体で、繰り返し強調していることが重なりあう。

 僕自身の考えをいうと、憲法九条は、単なる理想ではなくて、現に国際政治で大きな力を持ちえているものだ、とおもっている。「軍事偏重から平和の話し合いのルール重視へ」と、外交という分野の流れが大きく変わってきているのが、今日の世界の特徴ではないだろうか?
 もちろん、世界は複雑で一路平和へ、というものではないが、少なくとも憲法九条の精神と世界の流れは、合致していると思う。その意味では、憲法九条を世界遺産として、いつまでも大切に守り続ける、ということには大賛成だ。

この本のまとめの部分では、芸術や芸人論が太田さんから述べられる。このくだりは、秀逸だと、いちばん気に入っている。

 
 感受性の欠如、これを補うものが芸術の役割。そして、太田さんは、自分の思っていることを物語にしたり、表現するための演技力を高めたり、という変換させる芸が大事だ、と説く。

 そして、「遺伝子のように伝わる言葉」という小見出し以下に、僕は何度もうなづいた。 音楽をやる者として、共感できるところが多かったのです。引用する。



太田 SMAPが歌っていた「トライアングル」という曲を聞いて、僕はすごくいいなと思ったんです。「笑っていいとも」の去年の忘年会で、一緒にレギュラーをやっている香取慎吾君に会ったときに、「あの歌はいいね」という話をしたんです。僕が、テレビに出て、ああでもない、こうでもないと、ワァワァ言葉で言っても、SMAPがメロディに載せて歌う発信力にはかなわない。俺がこんなに四苦八苦して表現しようとしていることを、いとも簡単に伝えてしまう。やっぱり、俺はSMAPにはかなわねぇって。

 (中略)

 一般の若い女の子たちが、何に食いつくか、と言えば、木村拓哉のかっこよさだったり、踊りだったり、歌のうまさだったりするわけです。そこが僕には、決定的に欠けている。



中沢 SMAPのメッセージが遺伝子治療のように、すーっと相手に入っていくことができるのは、相手の心が受話器となって自分を開いているからだと思うよ。その意味では、きっとSMAPと女の子たちが、合作しているんだよ。日本国憲法がどんなに問題をはらんでいたとしても、日本人の心に深く入っていくものがあった。今のSMAPの話とよく似ているね。

太田 ジョン・レノンでさえ成し得なかったことが、僕なんかにできるわけがない。そこまでの才能はない、と思っちゃいますね。だけど、自分のやっていることが世界をもしかしたら変えることになる、という可能性を感じられれば、すごく楽しくなる。

中沢 そのパラノイアや僕は太田さんと共有しています。世界を変えたいという、狂気じみた願いにとりつかれている。ただ世界を変えようという思想がひっかかりやすい一番の罠が「平和」です。この平和というやつを表現することがいかに難しいか。ジョン・レノンだって、そんなにうまく表現できていないかもしれない。むしろ失敗だったかもしれない。それほど「平和」を表現することはむずかしいことです。戦争を語ることよりずっとむずかしい。天国のことより地獄のことのほうが、表現しやすいものね。平和というのが、一番手ごわいテーマなんですよ。

 しかし、世界遺産としての憲法九条を究極に置いて、そこに映し出される自分たちの思想と表現を磨いていけば、いまのような混乱から抜け出ていく道がつけられるんじゃないかと僕は確信していますね。

太田 自己嫌悪とジレンマの連続ですが、今が踏ん張りときです。僕なりに、世界遺産を守る芸を磨いていきたいと思います。                           ・・・引用ここまで。


 本書のなかでも、紹介しているが、かつてドイツ・ナチでは、政治と芸術をまちがった方向で結合させたことで、恐ろしく、悲しい結末をつくってしまった。

 しかし、芸術を通じて、人間の感受性をよびさまし、とぎすまし、そこから、人間が生きるためには、どういう世界が必要か、を考えていく、政治と結びつける力を喚起するという作業は、今日ますます大切になっていると、実感する。

僕自身は、地方で政治の末端にたずさわるものであり、また芸術を志し、芸を日々磨いて大衆芸能を垂れ流し続けたい、と願う人間だ。

 そのどちらも実現させたい、という大変欲張りな僕が、この本に感動するのは当然のことで、何度も読み返し、一人でも多くの人に薦めたい一冊となった。


ヤグネット |MAILHomePage

My追加