2007年03月25日(日)  片目はきつく閉じろ

『蟲師』舞台挨拶行って参りました!もーう…とにかく蒼井優たんが予想以上に可愛かった…。誰か話しているときはその人の顔をきちんと見てるし、他の俳優さんが割りとあっさり舞台袖に引っ込む中で一度立ち止まって観客席の方を向いてちょこんとお辞儀をしてた。いい子だなあ!本当にいい子だなあ!マイナスイオンが漂ってくるなあ…!!(大きく鼻の穴を開いて息を吸う
オダジョーも蒼井たんもそのうち是非舞台で拝見するつもり満々ですが、とりあえず生で拝めてよかったです。


で、映画の感想。ネタバレは反転で。




ギンコ:割合淡々としててよかったです。銀髪も自然。そう言えば原作のギンコってどうしてヒゲ生えないんだろう。オダギンコはあまり地に足が着いてる感じがしなくて「この人放っておいたらどこかに消えちゃうんじゃないだろうか」と思ってしまうような不思議な雰囲気。たまに「ギンコってこういう言うかな」って思うところもあった。最初の仰々しい口上とか他人に恋の相談とか。うーん。ギンコが淡幽にそういう感情を抱いていたとして、それを口にするならやっぱりああやってあっさり言っちゃうのかもなと今になっては思いますが…上映中はそりゃもう衝撃でした…。だってギンコが恋の相談ですよ?
目の色が緑に見えなかったんですがそういう設定じゃなかったのかな。あともっと煙草吸ってもいい。

淡幽:「〜だわ」「〜なの」と随分女の子らしい淡幽でした。やっぱり髪型はボブがよかったなあ…。病弱な感じはしました。でも私の好きな淡々として煙管を咥えて低く通る声を持つ淡幽ではなかったです。淡幽はさ。紙魚なんかを大量に愛玩物にしちゃってそれを「愛嬌があってよい」と笑い飛ばすようなところがあったりするわけですよ。そんな男前なのさ。それでも「巻の一千八百四十三。」(数字は適当)は出たので嬉しかった!アングルに若干の不満が残りつつも(もっと「みゅるるん!」って見せてほしかった…)たまが文字列を受け取ってぴたっと巻紙に貼るときの快感。原作では一切触れてないですが、確かにあれだけ文字列があれば貼り終わるまでに相当時間がかかりますね…。
たまが格好良かったです。主人に短剣を突き立てる時の躊躇加減が好き。

ぬい:リング!?結末が強烈過ぎ…。原作を読んだからこそ余計ショックなのかもしれません。私は軽くへこみました。思い出しても軽くへこみます。いがいかがですか原作ファンの方々…どうですかアレは。演技云々じゃなくて、脚本が…なんか…もうちょっと…どうにかならなかったんだろうか…。「生きてんの!?」と立ち上がって裏拳でツッコみたい気分でした。ヨキを突き放しておいて、あの手のひらを返したような執着っぷりが正直怖かったです…。そしてぬいの成れの果てはギンコの告白シーンと同じくらい衝撃だった。その衝撃を受けたまま映画が終わってしまって更に衝撃だった。結局あのおじちゃんは誰…?
私はあそこの小屋の前を知らずに通り過ぎて、ヌイが亡くなった後にヌイを見つけるけどヌイと知らないで蟲葬(造語)にするのがよかったと思うんですが。


虹郎:原作にはいないタイプですがこれはこれでありかなっていう愛嬌たっぷりの人。人付き合いが悪そうな人ばかり出てくるこの映画の唯一の癒し。しかもそこここで大活躍。原作で淡幽と虹郎が出会っても面白いかも。その場合どちらかというと淡幽の方がよく笑って話しそうですが。そして淡幽と別れた後、狩房家の門の前で虹郎が振り返って「俺にはわかる!あんたとギンコは俺の村に来るんだよ!いつか絶対一緒に来るんだよ!」って叫んでたら素敵だと思う。

まほ:女の子の設定だったんだ…。村の人は皆地味な衣装着てるのになぜあそこまで真っ赤な着物を着て口紅まで塗らなきゃいけないのかが謎です。「外人の思い描く日本人の子供」っていう感じがします。


映画では原作4話分をまとめているせいか、原作で1話を読み終わったときの余韻が一切ない感じです。あのしんみりしたり、清々しくなったり、切なくなったりする余韻がいいんじゃないですか!ギンコがまほに角を渡したり、虹郎が「体に穴のあいたようだ…」と言ったり、淡幽が「…それでも生きるんだよ」と言ったりするのがいいんじゃないですか!
あと原作と蟲の性質(阿と吽とか)を変えているところがあるので、原作を知っていても混乱します。でも原作を読んでないともっと混乱します。しかもかつぜつが悪いのか音響が悪いのか、全体的に言葉が非常に聞き取りにくかったです。原作ファンにもファンじゃない人にも、あまり優しくない映画です。外国人の方が受け入れやすいかも。


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cerri ■