2004年03月09日(火) |
200回目の癒しの森 |
2003年8月14日に「癒しの森」を記述するにあたっての前文を書いた。その一部を引用させていただく。
「文化とは人を理解することだと思っている。短く表現すれば、素敵な人を、努力の人を、偉大な人(文豪など)を理解することは、その人の持っている文化が自身に流れて来るからである。人を理解する・・これに勝る心の癒しはないと思う。日本には輝く生き方をしている人が実に多いと思う。もとより、これら努力の人、芸術の人の真似などは出来るものではない。しかし、素晴らしいことは素晴らしいと讃嘆する文化が絶対必要だと思っている。素晴らしいことを讃える姿勢が、自身の心の癒しとなると思う」
このような前文を書いてスタートしたが、常にいつ記述テーマが切れるかと思いながらどうにか200回目となった。25回目の9月11日「癒しの森にしたわけ」と題して次のように書いた。
「次に癒しの森とした訳である。この短文エッセイ一題を一本の木と置き替えている。嫌なニュースが氾濫している中で、癒しを感じて頂けるようなエッセイを書くことは難しい。はたして、どれだけの木を植えることが出来るか自信がない。100本植えることが出来るか、この程度なら森とはいえない。読者の絶大なるご支援を頂いて、出来たら700本の木を植えることが出来ないかと思っている。今日25のナンバーが700になれば、癒しの森といえるだろう。」
・友を得て 啓発しあって 七百題 癒しの森が 遠くに見える
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