2004年02月21日(土) |
天才の通信簿(5) 田中耕一さん |
ノーベル賞を受賞した田中耕一さんの高校時代の資料はない。東北大学時代外国語の単位を取れず1年留年している。私の知る範囲では、大学時代は目立った存在ではなかった。ノーベル賞を受賞するとは、誰も予測し得なかっただろう。2003年2月6日の小泉メールマガジンに田中耕一さんの特別寄稿があった。今日は寄稿の最後の部分を引用したい。
「誤解のないようにしたいのですが、自由だ、長所だ、失敗OKだ、といっても、自分が社会や企業のために貢献できる能力を磨き続けること、そして、たゆまず挑戦し続けることは必要です。既成の枠をはずした中で夢を描く。しかし、その実現のためには愚直にできることを一歩づつということになるのでしょう。私の研究が世界に認められて今回の賞をいただけたのは、本当に幸運だと思っています。日本には、私よりすばらしい研究や開発をされている技術者が沢山いらっしゃいます。私の受賞を契機にして、それらの方々に光が当たるように願っています。たとえ光が当たらなくとも、地道な研究・開発を続けておられることを決して忘れてはならないし、それによって日本の製造業の未来が支えられるのだと思います」(補足省略)
・能力を 磨き続けて 夢描き 愚直なまでに 今日の一歩を
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