擬音語がおかしいと言われた。
彼女が福引かなんかで当てた キティちゃんのストラップ(戌年バージョン) 「お守りだから」 と有無を言わさず渡された。 普段は口がないが笑うと割と怖いこのサンリオさんの猫が 一体なにから私を守ってくれるのか 全く持って疑問なところであるが 私の身を案じてくれている彼女の気持ちに応えるという意味でも 「あ。ありがとうございます」 と素直にPHSにつけた。
しかしながら 小さな鈴の付いているソレは 持って歩く度に鳴る。 猫にでもなった気分だ。 キティちゃんだけに(うまいこと言った) そしてちょっと邪魔くさい。 なので私は、彼女の機嫌を損ねないよう そっと慎ましやかに 「あの。このチロチロ鳴るの取ってもいい?」 と申し出たところ 「チロチロ」という擬音がえらくツボにハマったらしく 爆笑していた。
彼女的には鈴の音色は 「チリンチリン」とかなのだそうだ。 でもriku的には鈴にも色々種類があるのだ。 「チリンチリン」はガラスの鈴だ。風鈴とかの。 あと中くらいの大きさの鈴も「チリンチリン」だ。 大きいのは「ガランガラン」 もらったストラップに付いているのは とても小さくてかわいい鈴。 これは「チロチロ」だ。 明らかにチロチロ鳴ってる。
というような事を説明しようとしたのだが 彼女は腹を抱えて笑っている。 真面目に説明しようとすればするほど笑う。 一体なにがそんなに面白いのか。
ともあれこの一件は 「擬音」というものの曖昧さを 改めて私に考えさせることとなった。 確かに擬音語を使うまでの作業には 音→聞く→言葉で表現する という人為的な作業が多々、介入する。 ヒューマンワークがあればあるほど そこには個人差が生じ、アウトプットは不定となる。
しかしながら この世のどこかには 個人差がまるで反映されない 唯一無二の擬音というものがあるのではないだろうか。 それは国や言語にさえ囚われず 誰が聞いても誰が表現しても 同じ擬音語になる。 そんな音がきっとどこかにあるはずだと思う。 それは擬音語という文化と通しての カオスに対する壮大なアンチテーゼ。
論文が一本くらい書けそうな 奥深いテーマだ。 誰しもがこの答えを知りたがっている。 書かないけど。
まぁ、とりあえず チュッパチャップスを舐める 「チュパチュパ」ってのは 候補のかなり上位なんじゃないかと思っているが どうだろうか。
うん。どうでもいいね。
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