元から病んでるとは思っていましたが 最近の河村隆一には目を覆うものがあると思います。 rikuです。こんにちわ。 雨ウゼェ!
昨日は僕の出身小学校について語りましたが 今日は中学校について語ろうかと思います。 まぁ、単なる思い出話と思って聴いてください。
小学校での経験は 僕の人格を形成する上での 土台みたいなものを作ってくれましたが 中学校では その上に新たな世界を積み重ね 今の僕の原形ともなるものが 育ったというところです。 どんな環境だったかを簡単に話しましょう。
小学校6年間の義務教育を終え 卒業と同時に母校を廃校へと追いやりつつ 晴れて入学した中学校は 僕にとって目新しいものばかりでした。
だってビックリなんですよ! 校舎が二階建てなんですって! しかも鉄筋コンクリート製ですよ! 石炭ストーブじゃなくて石油ストーブですよ!
いやぁ、なんて近代的な校舎なのだろうと思いました。
そしてさらにクラスメートが約25人もいて 1学年2クラスあるってんだからもぉ。 驚きでしょう。
すげぇよ! 生れて初めてのクラス替えできるよ!
とか有頂天でした。
そんな中学校生活。 友達にも恵まれまして 楽しい日々を送れました。 音楽に目覚めたのもこの頃です。 それまでは音楽なんてのは全く興味なかったんですが 友達からthe blue heartsのカセットテープを借りて もろハマリ。
他には?他にオススメは?!
と言う純真無垢でまっさらな僕に対して 友達はdeep perpleだのcreamだのsex pistolsだの 中学生が聴くとは思えない 明らかに濃い音楽を これでもかと言うように僕に貸し与えたのです。
思えば音楽的には変わり者ばかりでした。 流行のpopsなんぞ聴く奴は一人もいませんでした。 あれで普通なのかと思ってました。
中学3年の頃 jazzの帝王マイルス・デイビスが逝った時
「マイルスデイビスよなぜ死んだ。」
と書いた垂れ幕を壁に張り 男子みんなで追悼会をやった時はさすがに 「あれ?コイツラおかしい?」 と思いましたが なんせ比較対象がなかったもので 気がつけば僕も彼らの一員だったという結果になりました。 実に悲しむべきことです(にやけながら)
そのうち、 僕が小学校の頃、小太鼓をやっていた。 という理由だけでバンドに誘われ 自動的にドラマーriku誕生。 ライブの5日前に生れて初めてドラムを叩き え?誰も教えてくれないの? と恐れわなないている僕に 「譜面ないからこれ耳コピね。」 とカセットテープを渡す友達は無表情でした。
「お願いですから少しは初心者扱いしてください。」 と一人涙を流したりしながら本番を乗り切り、 その卒業生イベントを最後に 僕の波乱に富んだ中学生活は幕を下ろしたのです。
ああ。いろんなことがあったなぁ。 あの学校、好きだったナァ。
また廃校になっちゃったけどネ!
建物は残ってたんですがそれは見事な廃虚になってました。
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