ここんとこの円高のおかげで薔薇が安いのはありがたい
2008年08月07日(木) |
それは性格のせいです |
みちえさんに代わって大魔人の介護をし、自宅で看取ったことを誰もがとても辛かったね偉かったねと褒めてくれる。
徳松も似ているのだけど、初めて大魔人の病気のことを聞いた時も驚きはしたけど悲しくはなかったので、取り乱したりもしなかった。 めそめそ泣いて、大魔人のがん細胞が小さくなったり良性になるのならいくらでもそうしたんだろうけど。 いつ頃からか『死』に対して恐怖も嫌悪も悲哀もなく、ある日ぽっこり現われるという感覚があって、それを如何に受け入れるのかが最後に試されるその人の器量だと思ったり。
大魔人から突然に言われるわがままをmissionにして、いかに迅速に遂行できるか、ゲームのように楽しんでしまう性格だったこと。大魔人もそれを楽しんでいたふしがあった。 さらに、ラッキーだったのが、痩せ衰えてしまった大魔人の姿を見ても、座薬を入れたり、下の世話をしたり、吐瀉物の処理をしていても、それまで大魔人に感じていた敬愛の情が損なわれなかったこと。それとこれは別のことと割り切られていた。
小6の時大好きだった祖母が亡くなって、落ち込んで落ち込んでしょうがなく、そんなにすぐに笑ったり遊んだりするのがいけないことだと思い込んでいた時に、担任の先生に 「悲しむのと悲しんでいる様子をしているのは違う。学校に出てきた限りは、そんなに落ち込んでる様子をして自分の悲しみを他人に強制して共有してもらおうとしてはいけない。状況は皆知っていて、それを気にかけた友達が声を掛けて遊びに誘ってくれているのだから、きちんとそれに応えて一緒に遊ぶのが、濁蔵のおばあちゃんに対しての供養」 と諭された。それがストンと納得出来た。
その話とどう繋がるかうまく書けないけど、今回も大魔人にまつわることとそれ以外と自分の中ではすっぱりと分かれていて、あっけらからんとしたものだった。そこから動けないという状況に対しては話もしたし、周りからもそれに対して色々気を使ってもらってたけど、それ以上の内々の状況は、本人が感じていない負担をわざわざかけるつもりがなかったので、そう話もしなかった。
とどのつまりは、単にアタクシの性格が、ホスピス系の看護に向いていたことなのだ。(と、介護士さんにも褒めてもらった) さらに大魔人の生き写しと云われる故あって、大魔人に対して最強にして最高の人選 と、知る人から異口同音の絶賛頂きまくっているのだった。
追記:自宅で介護するのにこだわったのは、本人の強い希望もあったのだけど、どちらを選択しても医療面で差がないと言われ、病院に通うのが面倒だったのと、病院だと昼ビールも夜薔薇飲めないからだった。うひひ
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