ここんとこの円高のおかげで薔薇が安いのはありがたい
うーくんは アタクシが生まれて初めて心から世話をした鳥である。 その名から察するがごとく、雄のうぐいすだった。
この時期、うぐいすの声がそこここで聞こえはじめると、思い出す。
久里浜に住んでいたから、小学校2年生の 春休みぐらいだったと思う。 湘南の知り合いの家に遊びに行った時に、その家に飼われていた鳥で、 その鳥を保護した人が、転勤で飼えなくなったから引き取ったと聞いたことを記憶している。 うぐいすを実際に見るのは その時が初めてで、 冴えない羽の色、ずんぐりとしたカラダに似つかない華奢で小枝の様な足、 まだあの有名な鳴き声を上手くさえずれない その鳥が、 妙に気になり、その家にいる間中、カゴから離れず鳥を眺めていた。 昔から その家の人たちは アタクシたち兄弟には甘く、アタクシのそんな様子にほだされたのか、 おばさんは、世話が出来るのなら持って帰ってもいいよ と云ってくれた。 母親も特に反対をしなかったので、 ・毎朝毎晩 生き餌と練り餌 をあげる ・毎朝 水浴びをさせる ・毎晩 カゴに布をかぶせる をすることを約束して、生き餌や練り餌、水浴び用のカゴも一式貰って、 意気揚々と家に連れて帰った。
うーくん と 単純だが、そう名付けた。
その頃は、官舎に住んでいた。 セキセイインコは飼っていて、世話はしていたのだが、 アタクシの鳥ではなく、手乗りでもなかったので、特に愛着はわかなかった。 うーくんは、うちにいる間はアタクシの鳥である。 学校に行く前の時間、以前より少し早起きをして、うーくんの世話をする時間にあてた。 体調が悪い日以外は、約束通り自分で世話をしカゴの掃除もした。 生き餌の虫も触るのが怖くも気持ち悪くもなく、 毎回曲芸のように上手く虫をぴっと捕らえて食べる様を見るのが面白かった。 水浴びが大好きで、なかなか水浴び用のカゴから戻らないもんだから、 家を出なければならない時間が迫るとやきもきして、 半べそをかきながら、母親にその後の世話と後片付けを頼んで、 慌てて出ていった日もあった。
そのうちに、さえずりも上手になり、同じ官舎の人たちは、 好い声が聞こえて気持ちが良いと 誉めてくれるようになった。 学校の友達でも近所の子でも、うぐいすを飼ってる子なんていなかったから、自慢だった。 作文にも書いた。 声よりも 見てくれが悪い姿に愛着が沸いて、よく絵に描いて遊んだ。 早起きも慣れてしまえば 辛くはなく、手慣れてきたせいもあって、 世話そのものを楽しんでいた。
最初にうーくんを保護した人は、父親の同僚だった。 父親が、うぐいすを貰い受けたことをその人に話をしたらしい。 まだ会ったことのないおじさんから電話を貰い、 世話をちゃんとしていることを誉められ、餌についてアドバイスを貰った。 そのアドバイスにしたがって、キャベツやレタスなど、 青菜をすりつぶして練り餌にまぜるようにした。 その頃、まだ生のキャベツが食べることが出来たので、 自分とうーくんとが 同じ食物を食べているのが嬉しかった。 別に アタクシがうぐいすのように綺麗な声で鳴けるわけでもないのに。
野鳥だから、世話をしていても決して慣れることはなく、 カゴの扉を開けて、外へ出してしまえば、決してカゴに戻ってきてくれる 鳥ではなかった。 普段のカゴと水浴び用のカゴの入り口同士を合わせて出入りさせていたのだが、 ある日、ぶつかった拍子で入り口がずれ、うーくんはカゴの外へ飛び出してしまった。 運悪く、窓が開いていて、そちらへ向かっていったのだ。 「うーくんっ!!」と 反射的に名前を叫んだ時、 その声に驚いたのか、外が眩しかったからなのか、 そのままUターンしてカゴの上にとまった。 急いで窓を閉めて、うーくんを捕まえ カゴに入れ戻した。 自分のために戻ってきてくれたのだと思いたかった。
おじさんは、アドバイスをくれた時、 もう少し経ったら自然に帰してあげなくてはいけない。 とも伝えてくれた。
4月の半ば頃か。 その少し前から、うーくんの様子がおかしくなった。 カゴの中をせわしなく動いては、体を竹ひごにぶつける。 天井にもぶら下がる。 このままでは死んでしまうと思い、アドバイスをくれたおじさんに電話をした。 山に帰してあげる時期だね。 お嫁さんを貰って 子供を育てる頃なんだよ。 と 予想はしていたけど聞きたくなかったことを云われた。 それでも 最初に飼った時から、本でも読んで判っていたので、 覚悟はしていたのだと思う。 次の土曜日、学校から帰り、同じく半ドンで帰ってきた父親と車で山へ行った。 そこは至る所でうぐいすの鳴き声がして、うーくんもカゴの中でせわしなく一緒に鳴いていた。 「ここらへんでいいな」と車を止めて降りた父親の後に、うなだれてカゴを抱えて車を降りた。
カゴの戸を引き上げてもなかなか外には出ようとしない。 きっと あたしと一緒にいたいんだ。山に帰りたくないんだよ。 このまま連れて帰ろうよ。 そう思った。 が、 つんつんと 止まり木をわたり、入り口に止まって、ちょっと様子を窺ったようにして、 そして、ぱたぱた と 外へ飛び出した。 が、体がこわばっていたらしく、5メートルほどで、 上手く飛べずに落ちていった。 父親が、追い立てに山を少し降りていったら、 また捕まるのかと思ったのか、急ぎ ぱたぱたぱた と 今度は上手に 木々立っている奥の方へ飛んでいってしまった。
あたしとカゴは そのまま置き去りで。
帰り、からっぽのカゴを抱きながら ずーっと泣いていた。 うぐいすの たくさんの ほーほけきょ という声を聞きながら、 ぐずぐず 泣いていた。 父親は、泣くなとも云わず なぐさめもせず、 ただ黙って車を運転していた。
その後暫くして、あることをきっかけに生のキャベツが食べられなく嫌いになった。 食べられないからといって未練はなかった。
その年の両親からの誕生日プレゼントは、2羽の文鳥のひなだった。
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