天下無敵な過ごし方
ああ、今日も今日だねぇ。
ここんとこの円高のおかげで薔薇が安いのはありがたい
2003年02月20日(木) 蘇る悪夢/楷書的23時の過ごし方/解毒/泡沫の記憶

今、珍しく我が家では マゲが映っていない。
そのかわり、ナカジマミユキ が流れ、しかも ジダイ が。

あぁ 蘇る あの悪夢な シーン。
折角歌える歌なのに 封じてしまった あの冬の日。
於綺羅久屋濁蔵 自分の雇い主の褌姿はもちろん、ストリップも見たことのある社員。
しかも 自分がこの歌を歌っていた時に。
今思えば、あの姿、まんが日本昔話に出てきた 下駄を履いたまま転んで小判を出し過ぎて小さくなった庄屋さま
に似てたよな。



たけぞ氏は、ご機嫌で 明後日食す おでんの下ごしらえをしており、
あたくしは、200gの牛すじを機転と口八丁と自慢の笑顔(これぐらいなら ばちはあたらないだろう)を駆使して 買ってきただけで。
お約束通り、薔薇を傾け、友達に電話をし、メールに返事を書き、薔薇を足し。
ふと 画面を見ると 今日は 0220 右から見ても0220 左から見ても 0220 なんて素晴らしいのだろう。

酔っ払うには まだ早い時間で、人のうちに電話を掛けるには遅い時間で、
やっぱり この時間は、マゲを見ているのが あたくし的楷書な過ごし方ではなかろうか。

と書いたところで、うちのコから電話。
体調を気にしていてくれていた。
チョコレートを食べ尽くされたことを告げ口すると
「きっと たけぞ〜ちゃんが全部食べちゃうと思ってたよ」と
ホント、うちのことを よく御存知の発言をされてた。


昨日、夕方頃、まったくもって無礼千万にも程があり、学が無いことを笠に綺てここまでのことを云ってもいいのか?と思うような電話があった。
自分の非礼を棚にあげ、人の驚いたその様子の揚げ足を取り、こちらが説明しようにも きちんと耳を貸してくれず、挙げ句の果てに、
インチキだのイカサマだの詐欺だの 散々なことを云われて 一方的に電話を切られた。
年の頃 50代。女性。関西弁。(その微妙さは分からないので大雑把ではるが)
今まで、男性だったら、もっとひどい言葉を電話越しに云われても、数時間経てば
ばかなおやじだな 大声出せば コトが思い通りに行くと思っていやがる
と 思って笑いネタにしてしまうのだが、
この電話が 妙に人のココロをぶちのめし、
薔薇を飲んでいても イイ気分に酔えないので いい加減寝ようと 横になったとたん、
ふつふつと それをまた思い出し、気がつくと 泣いていた。
涙は 止まらず。そのうち 声をあげて 大泣きに泣いていた。
あの声が耳から離れず、どうして あの時相手の醜い怒鳴り声を制してきちんと説明出来なかったのか、どうして そんなに罵られなければならないのか
と 悔しくて 悔しくて 悲しくて 涙が止まらなかった。

と同時に

今 この仕事に疲れてるんだ と云うことが分って、

泣いていながらも それを心地よく感じている自分がいた。
泣いていることが 悲しくもあり 嬉しくもあった。

ようやく眠れたと思ったら いきなり隣が泣き出した たけぞ氏にしてみれば、
驚きもしただろうし、眠たいところ ホント 迷惑を掛けたと思う。
ただ「一人で泣くな」と云って ずっと背中を摩ってくれてたのは、
とても嬉しかった。

泣くことで おこりが落ちた。
しっかり 泣けて 照れくさいような 嬉しいような 変な感じだった。



そんなんだから、その夜見た夢も なんだか 変な感じで、
全てが あたくしを 許す 方向へ進んでいた。
繋がっているような、オムニバスのような 切れ切れの記憶しか残っていない夢の中で、
本当に誰かの記憶の中にいるような そんな体験をした。
足の不自由な少年の 最後の両足で過ごした夏の思い出の写真と
毎年 家族と共に訪れる 寂びれかけた保養所と
野性のいるかがやってきた キラキラ光る入り江と

この画像は どこかの誰かのものだ

と 感じながら 漂ってみていた。





ようやく つかえがとれて 元気になれそうだ。


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