天下無敵な過ごし方
ああ、今日も今日だねぇ。
ここんとこの円高のおかげで薔薇が安いのはありがたい
2002年12月24日(火) おばちゃん

孫1号のぶり蔵の為に 上京してきた みちえさん。
姉宅へ行く前に、かなぞー(この間産まれた愚弟の末娘)と入れ違いに
亡くなった 大魔人の親友の奥さんにして、
みちえさんの旅の友だったおばちゃんへ お線香をあげにいった。
同伴することが出来たのは、中抜けしたい理由を告げると、
一も二もなく快諾してくれた ゆーこさんのお陰である。

敢えて この女性を親愛の情を持って「おばちゃん」と書かせていただくが、
それは、親戚のどのオバ達よりも 付き合いが深く、
あたくしたち兄弟を可愛がってくれたからである。
無論、あたくしたちが、まだ産まれる前からの親交があり、
おばちゃんちのムスメさんのよーちゃんは、
あたくしと一月しか生まれ月が違わない、同い年だったため、
近所に住んでいる時は、姉も一緒に遊んだ。
大魔人の人間関係には、こういった方々が多く、未だ親交が絶えない。
小さい頃は、御近所だったと云うこともあって、親戚以上に付き合いが深い家族があるのだが、
その中でもおばちゃんは、大魔人が唯一頭があがらない女性だった。

決して大魔人に口答えをしないみちえさんや、逆らえない姉を表裏なく援護し、
大魔人の気を損ねないように、上手く説得してくれたのも、おばちゃんであったらしい。
姉を小馬鹿にしてからかっていたあたくしを
真面目に叱ったのもおばちゃんだった。(みちえさんも見ている前で)
でも、小さい頃 すぐに風邪をひいて寝込んでいるせいか、
皆で遊んでいても おミソ扱いされてべそをかいているあたしを
きちんと皆の仲間に入れさせてくれたのも おばちゃんだった気がする。
それを恩に着せること無く、いつもさばけていて、それでいてオシャレで、
素敵な女性だった。最後の最後まで 女性だった。


10年振りに訪れた その家でお線香をあげ、おじちゃんと雑談をした。
今まで 生活のこまごましたことは、全部おばちゃんがしていたので、
印鑑一つ、請求書の一つも 訳が分からず 戸惑っている毎日だそうだ。
よーちゃんは、今年結婚し、海外に住んでいて、父親のそういった状況を察してはいるものの、気軽に手伝えない。
「情けないねぇ」と云いつつ、美味しいコーヒーを入れてくれた おじちゃん。

あたくしに、思っているなら 決して旦那より先に死んじゃいけないよ と
目だけは真剣に苦笑いしながら云ってくれた。

形見分けには 早いけれど、みちえさんは 小さい二人の天使のオルゴール、
あたしは、このクリスマスに写真を入れて飾ろうと思っていたらしい、
ツリー形のフォトフレームを頂いた。

今度 実家に帰った時に、おばちゃんがよく知ってる頃の子供の時の写真を探して、
たけぞ氏の子供の頃の写真と一緒に そこへコラージュしようと思った。

クリスマスが来るたびに、おばちゃんを思い出すだろう。

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クリスマス・カードを贈ってくれた方々、どうもありがとうございます。
今夜、絵を描いて、お世話になった方々やいつも遊んでくれてる方々に、
お送りするつもりだったのだけど、なんだか 今夜はそんな気分になれずです。


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