天下無敵な過ごし方
ああ、今日も今日だねぇ。
ここんとこの円高のおかげで薔薇が安いのはありがたい
2002年09月18日(水) 文芸復興

日記を書こうと思ったら、階下の大家さんから電話。
お土産のまんじゅうを頂いて、
さぁ、珍しく下調べ(タイトルの漢字を確認したくて辞書を引いただけ)してたら、
また大家さんから電話。
通販で買った雑巾スポンジのネジが外れないらしい。
ドライバーを一揃持って 助けに行く。
ついでに 交渉成立。

で、心行くまで日記を・・・と思ったのだが、
つい、薔薇を飲みかけで出掛けて、階段を昇り降りしてたら
いい酔い加減となったので、FAXを送ってみた。

1枚は失敗に終る。
ま、勝手に送ってるからいいんだが。

さて、タイトルである。
(但し、注意したいのがすでにいい酔いであること。支離滅裂になったら南無三)
ルネサンスと言えば分かりやすいか?
15世紀頃のイタリアあたりで興った ギリシャ・ローマ文化の復興のことをさす。と 辞書を引けばわかる。
読んだもの観たものに影響され易い性質。
先週末に時間潰しに買った「対談 杉浦日向子の江戸塾」にどっぷり浸かり、またしてもどうでもいいような思想と言うか人生の目標と言うか、
ま、有り体に言えば、「自分のどうしようもない部分」を論じようとしているのだ。

もちろんそれは、マゲのことなのだが、それは、「江戸」に限定させていただこう。
テレビはもちろん、活字も好きなことは、すでに御存知の方も多いと思う。
ぐみちゃんにも言われたのだが、あたくしの本名がすでにその雰囲気 のせいもあるやもしれん。

どうやら、ガッコで習った『日本史』では、その生活の様子などをかなり省いておいでだったようで、やれ「身分制度」だの、やれ「一揆」だの、文化や文明においては ちぼっとちぼっとの説明で、当時のあたくしは「ああ、江戸時代のなんと肩身の狭い時代のことよ」と感じていたのだ。興味が沸かなかったのだ。余談だが、歴史に興味が沸かなかったのは、おき家3兄弟でもあたくしだけであった。それが、イケナミに出会い、小さい頃、ばぁさまと見ていたマゲテレビの個人的復興と重なって、今に至る。
但し、相変わらず歴史は苦手。だが。あと大河ドラマも。

さて、前出のその本は、今をときめくマゲ作家たちが弟子となり、杉浦日向子師匠に、江戸文化や生活様式、庶民の暮らしについて 王道的なところから重箱の隅まで、自分の?を対談形式で説いてもらっている。
そのどれもこれもに ほ〜!とか はぁ〜!とか おおおおぅ!とか たとえすでに知っていることでも!を付けて、読み興じていた。(地名の)江戸に限ったことらしいが、当時の世界中を見ても、人口が多いことはさることながら、その文化的水準も社会的水準もかなり高度であったようだ。しかも治安もマゲテレビとは違ってよかったらしい。まあ、江戸幕府が開かれてから、国をあげての戦というものが 300年近く起こらなかったから、それこそ
『「戦争を知らない子供達」を知らない子供達』の時代だったのだ。武勇武芸をもってその存在を知らしめるはずの武士が、政治的手腕などで出世する時代だったのも、その平和さが分かるというものだ。

現代社会の技術的進歩は、戦争に使う武器によってと思うフシもある。
が、江戸時代のそれは、ただひたすらに「ヒトをあっと驚かす」ことのみにあったとのこと。その代表のからくり人形などは、今でも驚くべき技工なんだそうだ。また、錦絵(浮世絵)もしかり。なんとまぁ 素晴らしい。遊びの世界にこそ 金・時間・頭脳を費やすべきだと。

詳しくは、その本をお読み頂きたいのだが、それを読んで、その感動をまたしても仕事中にゆーこさんに熱く語っていた時に、エレキテルがごとく、頭の中で閃いた。

これは、ルネサンスだ!


江戸を知り、そのまま江戸暮しをしようという野暮はしないが、当時の人々の生きざまや精神、遊び心や粋を 今の生活にどんどん反映させたら それこそ天下無敵の極人生を送れるのではないか?人間性解放だ!ギリシャのエピキュリアンに憧れた中世ヨーロッパ人のように。

つーことで、おきらくや@にごう
自分の生来の粋があるのかないのか?通になれるのかなれないのか?
さらに研究をして、見極めるのだ。

というのを 礼儀正しい友人にも熱く語ってたのだよな。昨夜。


まずは独・文芸復興。
日銭で稼いだ「宵越しの金は持たない」から始めるか。


・・・・・・・・・・・・・・・・・これは やってる。


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