この世のすべてが錯覚の代物だとしても 如何に錯覚するか それが僕には大切
現実って何 それは僕が感じるすべて
だから僕が世界の中心っていう考え そんなことはよく言われることだけど 間違ってないと思う そういう考えも一理ある、っていう程度だけど
程度で思い出したけれど 僕なんてもうどんな程度の者でもない たいそうな者でも何者でもない でも 何者なのか それに答えられるっていうことも必要で 錯覚でもいいから それを感じられたらいいと そう思う時もある
映画を観て感動したら 僕はこの映画を観て感動するような奴 そう感じられる 名づけて「この映画に対して好意を持っている者」 そんな者だと言える
そういう「者」が僕にはいくつもあって 一つ一つのそれを感じる時にだけ、その「者」な者 それが、僕 そんな錯覚
|