イブの流した涙
▼▼▼今回の一言▼▼▼
財布の中身(レシートとかカードの類ではない)がみるみる減っていく

○そのうちに、2003年12月27日(土)「注文をとらない料理店」を完成させる予定

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感想専門の日記です

▼▼▼森博嗣▼▼▼
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完結編だそうです
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というより僕が好きなだけ

宝生出演の舞台観ました!(7/26)
詳しいことは月曜の日記にて
・・・と思ったけど
やっぱり水曜の日記分に書きます
と言ってて、未だに書いていない
そのうち書きます
それにしても、もうすぐ一週間経つのか
・・・もうすぐ三週間か
・・・もうすぐ四週間か
・・・一ヶ月越えたな
・・・それどころか二ヶ月経ったな
・・・もうすぐで三ヶ月だよ
・・・経ったな、三ヶ月
そして四ヶ月が過ぎ・・・
半年が過ぎ・・・
七ヶ月が過ぎ・・・
そして八ヶ月(一年の2/3)が過ぎ・・・
驚いたことに十ヶ月が過ぎ・・・
もうとっくに一年経ち・・・
一年と二ヶ月が経ち・・・
二年と二ヶ月が経ち…

2005年06月25日(土) 迎合2

水曜日の深夜、「爆笑問題のススメ」という番組をみた。
その番組で、ゲストの人が言った言葉が気になった。
今の理科の授業は、理屈を先に教えているのが問題だ、というようなことを言っていた。
では現実的に、そうではない授業を行えるだろか。
それは難しいだろう。

僕は、教育というのは詰め込み教育でなければいけないと思っている。
ほとんどの子供は、好きで勉強をするわけじゃない。
しかし、それは後に社会で生きていくためには必要なものである。
大袈裟に言えば、学校での勉強は、社会で生きていくために必要な武器を子供に与えることであろう。
もちろん勉強で得た知識だけでは心許ないが。

もし、理屈によらない理科の授業が行われたら、その分知識量は減るだろう。
それが、日本経済に影響を与えることはないだろうか。
それが、一個人の一生を変えることはないだろうか。
ないとは誰も、言い切れないだろう。
この数式に出会ったから、今の僕があるという数学者がいるかもしれない。

<詰め込み教育>という言葉に、誰もがマイナスのイメージを抱くだろう。
しかし、こう考えてはどうだろう。
自分が今から、誰かと一対一で戦わないといけないとする。
そんな時、棍棒一つを持たせられたらどう思うだろう。
相手が拳銃を持っていれば、勝ち目はほとんどない。
なんて理不尽なんだ。
そう思わないだろうか。

もし、自分だけ義務教育が受けられなかったらどうだろう。
とても社会に対して不安の念を抱くのではないだろうか。
義務教育は、お金と一緒で、あって困ることはないものと言える。
たとえ計算が苦手でも、知識がなくても、生きていくことはできるという反論があるかもしれない。
そういうものがないことによって、その人には他人にはない特殊な能力が芽生えるかもしれない。
しかし、それは単なる可能性であり、保障ではない。
基本的に、他人が当たり前のように持っている能力が自分にない場合、きっと誰もがそのことに悩むだろう。
悩むのが人間の性であったとしても、そんなことで悩むのは誰もが嫌だろう。

もう一つ気になることがある。
授業という形で与えられる理屈によらない授業に、どれほどの効果があるだろうか。
考える力が身につくかもしれない。
他にも従来の授業では味わえないような気持ちを子供たちが持つかもしれない。
しかし、それは道具の使い方を授業で教わった後でも遅くはないのではないか。
まして、子供たちが何に興味を持つのかというのも重要だ。
学校の授業から影響を受け、それについての問題を考えることは、結局与えられた数学の数式を解こうとするのと同じではないか。
つまり、授業から影響を受けるということは、迎合に過ぎない。
理科に興味がある子供は、授業の時間外にもそのことを意識しているだろう。
将来その分野で食べていくほどでなくても、それをい一生の趣味にするくらいの人は、子供の頃から勝手に熱中しているだろう。
外で虫の観察を自由にしなさいと言ったところで、興味のない子供には効果はないのではないか。

一つ先生が生徒に言えることがあるとすれば、はっきり、授業で知識を得ることの意味を伝えることではないか。
君たちは一つの武器を手に入れるんだ。
一番確実に伝えることのできる、便利な道具を君たちに教えるのだと。
それをしっかりと教えないで、なぜ、考える授業をするのか。
それは中途半端なものになりかねないのではないか。

(※実は一度最後まで書いたものが操作ミスによりすべて消えてしまい、一から書き直しました。
よって、当初書いたものより、気持ちの入っていない文章になりました。)


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