| 2004年12月16日(木) |
子供好き 子供嫌い There Are Faults On Both Sides |
映画「下妻物語」の土屋アンナと、タレントのベッキーは似ている。 ちなみに映画「茶の味」の土屋アンナと、タレントのベッキーは似ていない。 (※タレントのベッキーは、どちらの映画にも出演していない)
「工学部・水柿助教授の日常/森博嗣」は、限りなくエッセイに近い小説である。 「限りなく透明に近いブルー」風に言ってみました。
うちのおばあちゃんは、最近口癖のように「わけがわからん」と何事に対しても言う。 わけのわからない芸術を観て素晴らしいと思うならともかく、日常で頻繁にそう思うというのは辛い。 昨日もあるテレビを観ていてそう言っていたが、それでは、本人にとってわけがわからないものを本人の問題とするのでなく、その番組が人を選ぶような番組だと考えればいいのではないか。 アカデミー賞にノミネートもされていないのに、発表式でドキドキする俳優女優などいない。(誰もが他人の受賞に興味がないと仮定する) おばあちゃんも、選ばれていないのだから文句を言っても仕方がない。 アカデミー賞に選ばれるような柄ではないのである。 行くべき会場が違うのである。 つまり、どこかに、おばあちゃんを選ぶ番組があるはずなのだ。 俳優や女優が何かの賞を授与されることよりも簡単だ。 簡単だからいいというわけではないが、何にも選ばれないよりもいい。 家族でテレビをみている場合、主導権がお年寄りにないことが問題なのかもしれない。 お年寄りこそ、子供とは反対に一人で自分の好きな番組を観るべきなのかもしれない。 あまりに偏るのはよくないだろうが。 わけがわからない、と感じて世間からの疎外感を持つのではなく、逆手にとり、むしろ世間を俗世間ととればいいのではないか。 あんな俗っぽいもの、というくらいの気持ちが欲しいものだ。 もちろん俗っぽいものが好きならそれでいいのだが。 基本的に、俗っぽくないお年寄りが疎外感を持つのだ。 まあだから、気持ちの問題と言える。 映画のことに例え直すなら、アカデミー賞の評価基準に自分を合わせる必要はないということだ。
子供好きだと主張する人がいる。 そういう人は、どんな子供でも好きなのか。 世間知らずなところが好きなのか。 子供のサイズが好きなのか。 それとも大人よりもより未来があるというところが好きなのか。 いろいろ考えられるが、反対に私は大人好きでねえという人がいないのは何故か。 僕はどちらかというと大人好きだ。 私は子供好きという人は、そんな自分が素晴らしいと思うふしがある。 同様にそれを聞かされた人も、そんなその人が素晴らしいと思うふしがある。 しかしそれは如何なものか。 誰もが子供っぽい部分を残しながら大人になり、時に自分が子供だった頃を思い出しながら日常を暮らしているが、基本的に大人というのは、社会の中で生きていくためにたとえ愛しく感じていても、自分の子供っぽい部分を身近な人間以外には見せない。 そんな大人が、私は子供好きだと言うことは不自然ではないだろうか。 別に子供好きな人が子供を好きなことを、そしてそう周りの人に言うことを非難しているわけではない。 ただ、それを聞いてこの人は私よりも優れているとか思わなくてもいいだろうということを思う。 そんなことを子供嫌いの僕は思う。
―END―
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