| 2004年11月30日(火) |
共感 Sympathy |
なかなか共感できない友達がいる。 いや、確かにいつも、彼の発する発言に対しては、いや違う、と言う事が多いが、それはもはや反射的なものであると言っていい。 つまり、彼のある一つの発言の中にも探せば共感できる要素があるはずなのだ。 しかし、それに触れる事なく、僕はいつも、まあ簡単に言えば彼の発言内容の中のあら捜しをして、それに反対してしまう。 そんなわけなのでいつも彼との会話は平行線である。 しかし、それはそれで悪い事ではないように思う。 確かに彼との会話は楽しいものではない。 しかし、彼と話していると、自分の本性を細かく感じ取れるような気がするのだ。
よく、彼にはこんなことを言われる。 「お前の考えはわからない」 すると僕は、完全にわかってしまえば友達としての付き合いなどない、と半分ジョークで言い返す。 でも、半分本当だ。 相手の考えがわからないことなど重要ではないと思う。 知らないのではないのだから。 わからない、ということがわかっているだけでも友達としては充分ではなかろうか。 友達でない人にでも、共感できる人というのはいる。 友達との間に必要なこと。 それは、何でも色んなことを言い合えるということだと思う。 確かに彼には共感できない部分がたくさんある。 でも、言い換えればそれだけ彼のことを知っているということだ。
昨日僕の家に彼が来た。 勝手にテレビをつけるわ、僕の特等席に断りなく座るわ、くしゃみを手で押さえずにばい菌を撒き散らすわとやりたい放題であった。 そう言えば、手で押さえてくしゃみをしてよ、と言ったら、俺はここぞというときには(手で押さえずに)するから、と意味不明なことを言っていた。 そりゃあ手で押さえずにやれば気持ちがいいかもしれない。 でもそれは、特に人の家ではやるべきではない。 僕はそれらの彼の態度について、やめてくれと指摘した。 親しき仲にも礼儀ありというやつだ。 確かに僕にも彼にとってのそういう点はある。 互いに言い合っていけばいいのだ。 そのうち、共感できる部分が見つかるのだろうか。 きっとそれはない。 相手と共感することの心地よさは、この先につきあう未来の彼女とでも共有すればいい。 できなかったらどうしよう。
最後に言ってしまおう。 彼との相性はかなり悪い。 でも不思議と、周りの人間からは、どうやら僕らは仲がいいように見えるらしい。 まあいいではないいか、○○君。 嫌い嫌いも好きのうち、というではないか、あはははは。
―END―
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