| 2004年10月21日(木) |
思考の断片を具現化 The Fragment Of The Embodied Thinking |
卓上電話が携帯電話のことを話している。 ただ、相手を批判するのではなく、そのメリットとデメリットを分析している。
ある表現体(人)が、あらゆる情報を一人で表わそうとしている。 それはロボットの世界での玩具であった。
確かに人は平等である。 いずれ死ぬという点では。
客観的なルールは脆い。 主観的なルールはもっと脆い。
たとえばある事象を言葉だけで確実に説明することは、小説を書くよりも難しい。
美化されたものは批判されやすい。 批判する人は大人げない。 さあ皆さん、大人になりましょう。 大人になれば、子供がわかる。 自分があんなに残酷な存在だったなんてことが。
本当の恐怖は何だろう。 核戦争後、自分一人が生き残ることか。 そしてもう一人誰かが生きていてその人との間に子供が生まれ、やがてその子の両親が死んだら、彼にとってそれは恐怖か。 いや、彼は自分の両親に似た存在を探そうとするだろう。 確固たる目的がある分恐怖などないかもしれない。 しかし、もし似たような存在を見つけることができたとして、その人が彼に歴史というものを伝えたとしたら・・・彼に恐怖は襲うだろうか。
<明日会いましょう>というと現実味があるが、<未来で会いましょう>というと現実味がない。 同じ未来だというのに。
歴史は残されたのではない。 残したい人が残したのだ。 つまり未来人が現在を知っていることになる。 だから歴史は嘘だ。 タイムマシーンがない限り。
お釈迦様は間違えて蜘蛛の糸ではなく、スパイダーマンのソレを地獄に向かって投げ入れてしまった。 結果、天国が人口過多になり、お釈迦様は慌てて天国の上に違う天国をつくり、そこへ仲間を連れ移り住んだ。 そうしてあの世から、地獄がなくなった。 だから、死んだら皆、同じなのだ。
―END―
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