今日は珍しく、○印良品でお買い物。 バナナバウム(クーヘン)、トマト&バジルポテトチップス、そしてミネストローネ(一人前)を一つずつ購入。 ○印は割高なのであまり普段は行かないのですが、魔が差したのでしょう。 それにしても、○印というのは、ブランド名が商品に入っていない素朴さをアピールしてそう名づけたのでしょうが、今や、反対に、あまりにもその素朴さが目だち、たとえばそれの服を街中で着ていれば、きっと○印なのでは?と人から思われるかもしれません。 もはや○印良品は、ブランドがないというのがブランドになっているのでしょう。
「痛いのを忘れていく僕たち」 痛いのって嫌だ。 そんなの当たり前。 しかし、子供の頃は、よく走ったり高い所から飛び降りたりして、膝小僧を擦りむいたり足に打撲を受けたりしていたものだ。 まるで痛いことを怖れていなかったように思える。 それが今では慎重になって、転ばないように、周りをよく見てから行動するようになった。 なぜ子供の頃は、わざわざ危険なことに向かおうとしていたのか? それが危険だと知らなかっただけなのか? 何もかもが経験不足だっただけなのか? とにかく今では痛いのはゴメンだ。 もう、痛い、っていう言葉を忘れてしまいそうだ。 厳密に言えば、痛い、という言葉の意味を、そして感覚を。 大人になると、痛い、ということを高い確率で忘れてしまうのかもしれない。 他にも色々忘れていってしまうだろう。 きっと、死ぬのが怖いからだ。 死ぬことを忘れるために、わざとそれを連想させることを忘れるのだ。 死ぬ瞬間、人は一瞬ボケる、という話を聞いたことがあった。 根拠があるのかどうか疑わしいが、この話には妙に納得できた。 きっと、死ぬ瞬間の痛みを脳は自動的に受けつけないようにしているのだろう。 生きている間にボケてしまうと、色んな人に迷惑をかけてしまう。 だが、死んでしまえばそうはならない。 死ぬ前にボケるなんて、素晴らしいシステムだ。 でも、仮に、死ぬ前の一瞬にボケるのだとしても、その一瞬を迎えるまでは痛みを伴っている可能性がある。 たとえ純粋な老衰で死ぬのだとしても、体の機能が低下していくことに対して、脳が痛みを感じるかもしれない。 つまり、痛みを避けて通ることは難しいのではないか? 最後の痛みを迎えたあとに、もし一瞬ボケられるのだとしたら、それはとても気持ちのいいことなのかもしれない。 まるで映画「レオン」のエンディングでマチルダが植木の花を地面に植えるシーンのように、清々しいのかもしれない。 そう思うことによって、僕は死の痛みから逃れようと・・・いや、死を迎えるいづれの定めをなるべく遠ざけようとしているのだろう。 健忘症という言葉があるように、忘れていくことはいいことなのかもしれない。 子供の頃は、わざわざ暴れまわって痛みを感じることによってでしか、生きているという実感を味わえなかったのかもしれない。 今は若干そうではない。 体を動かそうとしても、うまく動かないことに苛立つことがある。 機能の劣化が進行しているからだろう。 肉体的な衰えは、体を激しく動かすことを許さない。 もう、生きているという実感を味わうために、体を激しく動かすという手段は使えないのだ。 でも、それは好都合だ。 派手に怪我をすることはもうないだろうからだ。 いや、そうではなかった。 自動車に乗れば、まったく体を動かすことなく長距離を移動することが出来るが、いつ何時事故に遭うかわからない。 ゆっくりと公園沿いを散歩していても、通り魔にグサッと殺られるかもしれない。 痛みを伴いそうな危険など、常にそこら中に転がっているのだ。 だから、僕らは、痛み、というものを忘れようとするのだ。 生命の危機を連想させる、痛み、というものを遠ざけ、そういう存在をも忘れようとするのだ。 子供の頃は、生まれたばかりで昔の記憶なんてないし、その分まだ、死、というものまでの距離感を掴んでいなかったのだろう。 大人になる、ということは、昔の記憶を思い出すようになることなのかもしれない。 つまり、子供の頃、という言葉を使うようになれば、もう大人になったと言えるのかもしれない。 人には、生と死の間を自由にさまよいたいという願望がきっとある。 理由があれば不自由に思うくせに、理由がなければないで不安で、生まれた理由も死んでしまう理由も知らない僕たちは、生きているという不自由さを逃れるように、せめて、死、というものを自分から遠ざけようとする。 そして、死、を連想させる、痛み、をも、遠ざけようとするのだろう。
「じっと黙って立っている僕たち」 どうやら三次元と称されるものの中を移動できる僕たちは なんとか三次元を移動しているなあと実感しながらも どうして移動しなければいけないのかとふと思い どうしても移動したくないと思う時がある 何故か? どうせ三次元というものに閉じ込められているのなら せめて<その代わり自由に移動してもいいんだよ>というささやきに抵抗したいからだ
「遅れ熱っ、の僕たち」 どうも鈍くなってきた 機能の低下のせいだろう 指に熱湯がかかり 熱っ! と反応するまでの時間がどうも長い そうして僕たちはドロドロになっていく 昔のような原形なんか留めていない ずいぶん変わった形になった 最近では形が変わるスパンもドンドン短くなり ついにはそれを楽しむようになった どこかで仕方がないという気を持ちながらも そういう現実を現実とする能力を どうやら僕たちはもっているようだ 今のところは
―END―
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