「洗いたてのガウン」 洗いたてのガウンは気持ちいいだろうなと思いながら羽織ると、案外毛羽立っていて気持ち良くないものの、爽快な気分にはなる。
「同時」 国鉄に乗り、そのスピードの遅さに文句を言うカレ。 カレはまるで、飼い主の手を噛む犬のよう。
「自分」 人が多くいることは重要だ。 多くいることがこの世を成り立たせているからだ。 イスラム教徒がいるおかげで、僕は豚が食べられるのかもしれないし、アメリカと仲がいいお陰で食べるものにも困らないのかもしれない。 日本が鎖国を続けていたら、きっと日本は滅び、生き残ったとしても肩身の狭い思いをどこかでしていただろう。 もしそうはならなくても、今よりいいことはないように思う。 人は変化を求めたがる。 安全な変化を。 常に自分を取り囲む環境よりも外に目を光らせ、自分自身を忘れるのだ。 一体自分とは何なのか? 自分の胃袋を肉眼で見たことがなくてもそれを自分のものだと言えるのか? そもそも自分とは実体のあるものを指すのか? 人は自分という見えないものに不安を抱き、少なくとも自分と名づけた形を整えようとする。 不安だから整えるのだ。 要は不安なのだ。 不安が自分を形づくるのだ。 そしてそれが自分であるのだと思い込む。 自分なんて知らないくせに。 不安から逃れたくてそうしているのだ。 しかしそれでも不安が消えないらしく、常に人は変化を求める。 せっかく形づくったものに飽き、壊して新しいものをつくる。 そして世界には多様性を求め、それらの変化をも糧にする。 だからイスラム教もアメリカも必要なのだ。 きっとそうなのだ。 そういったことは全て、自分という存在の不安定さには必要なものなのだ。
―END―
|