イブの流した涙
▼▼▼今回の一言▼▼▼
財布の中身(レシートとかカードの類ではない)がみるみる減っていく

○そのうちに、2003年12月27日(土)「注文をとらない料理店」を完成させる予定

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感想専門の日記です

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というより僕が好きなだけ

宝生出演の舞台観ました!(7/26)
詳しいことは月曜の日記にて
・・・と思ったけど
やっぱり水曜の日記分に書きます
と言ってて、未だに書いていない
そのうち書きます
それにしても、もうすぐ一週間経つのか
・・・もうすぐ三週間か
・・・もうすぐ四週間か
・・・一ヶ月越えたな
・・・それどころか二ヶ月経ったな
・・・もうすぐで三ヶ月だよ
・・・経ったな、三ヶ月
そして四ヶ月が過ぎ・・・
半年が過ぎ・・・
七ヶ月が過ぎ・・・
そして八ヶ月(一年の2/3)が過ぎ・・・
驚いたことに十ヶ月が過ぎ・・・
もうとっくに一年経ち・・・
一年と二ヶ月が経ち・・・
二年と二ヶ月が経ち…

2003年11月22日(土) 一つのない世界

「一つのない世界」
世界のバランスが崩れた。
<昔>、そういうことがあったらしい。
<一つ>というものがなくなったらしい。
なぜ、今まで私たち・・・私?は、モノやコトに対して<一つ>という言葉を用いていたのだろうか?
論理的には解釈できるが、感覚的にはその言葉にはもうピンと来ない。
言葉の通り、<死語>である。

実は、私がこういう文章を海ていることは、皆(私以外の何か)にはヒミツだ。
今の時代、言葉などは使わないのである。
よって、私のこの文章は、きっと推測するに、西暦2000年代初頭の頃と比べるならば、かなり見苦しい・・・いや、聞き苦しい?
違う、そう、かなり気持ちの悪いものなのかもしれない。
反対に私は昔の<文学>というものに対して、何か違和感を感じるのだが。

ところで、なぜ私が(そもそも私というものなどないのだが)こういう文章を海いていることがヒミツなのか?
単に(この言葉の意味がいまいちわからぬまま使っている)恥ずかしい・・・そう、今これを書いている人格が、それ以外の人格(そんなものがあるのか?)に対して、こういうことをしているのを知られたくないのだ。
一目を憚る、ということだろう。

さっき、<私というものなどない>と海た(←漢字に自信がない)が、それはどういうことか?
もともと今の時代、<私>という概念はない。
<私>とは、一人の人間のことを昔では意味していたようだが、今の時代、一人という者はいない。
<一人>とは、昔の定義では一つという肉体に一つの人格がある者を言ったのだろう。
だが、今の時代、一つの<肉体>も一つの<人格>もない。
なんというか、昔の言葉を一つ選んで書けば、今の時代は<うねうねとしたようなもの>なのだ、と表現するしかない。
実は、今までの文章が、今の時代の者以外に通じるかどうかも鼻肌不安である。

昔で言う<一秒>という単位も今はないが、仮に私が把握している範囲のそれに当てはめてみると、どうやら今のところ、この文章を書くのに<0.000000029秒>かかっている。
きっと2000年代初頭以前に生きている人間が聞けば、ビックリするだろう。
そしてもう一つ付け加えておくと、この文章を書いている人格(昔で言う<私>)は、平均的に言えば、あと<0.000000003秒>くらいで消えてしまうだろう。

もう時間がない。
<私>(この言葉が私は好きだ)は、偶然<一つ>という概念を知った。
それが2000年初頭までは確実に使用されていたことも。
もちろん、昔で言う<一年>という概念も今はない。
一体今は、昔で言う何年なのだろう?
なぜ<私>はこんな文章を書いたのだろう?
本能的に言えることだが、きっと別人格は私の言っていることが理解できないはずだ。
一体本能とは何なのか?
どうやらそれは、私という者が、どうにか平均<0.000058秒>程の<私>という人格が生きていくために必要なものであるらしい。
そう、そう思う。

そもそも、この世に私以外の人格があることも疑わしい。
そうか、私以外の人格が、それで一つの人格なのかもしれない。
ただ、残念なことに、それを確かめる術はないだろう。
平均で<0.000058秒>の寿命であるのを知っているのも、きっと本能というものの影響だろう。

昔で言うところの、私は<孤独>な存在なのだろう。
ただ、<孤独>の意味することは理解できても、そう思ったことは一度もない。
私はある時、突然<私>になった気がする。
そういえば、昔は人は、<誰か>から生まれるものだったそうだ。
いまいちそれが、わからない。
私は私だ。
気付いたら、<私>だったのだ。
周りには、所謂<誰>もいない。
私は<孤独>な状態なのだろう。
ただ、私は偶然<言葉>を知り、<昔>を手がかりにこれを書いている。
<言葉>を知った瞬間、<昔>のことを思い出したのだ。
私は、<昔>とつながっているのかもしれない。

もうすぐ<意識>はなくなるだろう。
私は、きっと、本能的にこれを書いているのだと思う。
なぜか知っている。
もうすぐ<私>というものがなくなることを。
だからこの文章を今、書いていることを。
あぁ、これが<一生>というものなのか。
はっ、今初めて本当の<一つ>(一人)という<私>を感じる。
ゼイタク・・・
なんとなくそう思う。
もうすぐ寿命だろう。
私は誰にこれを書いているのか?
何のために?
愛しい私よ、さようなら。
一つの<私>よ、さようなら。
さようなら?
誰に?
私に。
そう、<私>というものに。

(完)

―END―

あとがき
これは、<一つのない世界>というよりも、本当は<一つしかない世界>であり、<一つというものを感じられない世界>を、その世界の住人が描いたものである。
舞台はどこでもいい。
地球でもいい。
簡単に言えば、生命が誕生する前の地球の意識が、上の本編を書いたのだと思ってもらえばいい。
本当は、一度今の地球が解体したイメージを元に書いているのだけど。(<西暦2000年>という言葉が出てくるのがその証拠)


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