| 2003年11月07日(金) |
百人のイナバ物置の社員(社長、重役含む) |
「似ている」 一卵性双生児は似ている これは誰もが納得することだろう また、A家の現在56歳の一卵性双生児の二人(C男とD作)、B家の現在13歳の一卵性双生児の二人(E太郎とF二郎)は、互いに自分の兄弟とは似ているが、たとえばC男とE太郎は似ていると言い切れない。(似ているかもしれないが)
(あ、似ている) 人はそう、似たものを関連付けようとする。 ほぼ、無意識にそうするだろう。 ただし、その似ている二つのものを、観測者が両方とも認識しているものとする。
この世には自分に似た人が、何人かいるだろう、国境を越えて。 ただ、その人を自分が知らない場合、その人と自分が似ていることは知り得ない。(他人を介してそれを知っても、厳密に言えば知っていることにならない。そもそもその人が言っていることは疑いの余地がある。自分と人との感覚が違うせいである) 似ている二つのものを似ているものだと認識する場合、さっきも似たようなこと言ったが、知っていなければいけないのである。
よって、N氏という人がG子とH代の顔を似ていると認識しているということは、N氏はG子とH代を知っている証拠である。 少なくとも顔の情報を知っているのである。 つまり、(似ている)ということは、それを思う人間が対象となる相手の似ている部分を知っていて、勝手にそう思うことに他ならない。
「凄い天国、凄い地獄」 凄いのがいいのか ずっと凄くなければいけないのか
凄く球体に整った泥団子がいいのか それに価値はあるのか
凄いことが価値のあることに思えて いつも人にそう言ってもらいたくて そのために努力するとしよう それが何になるのか 本当に嬉しい? 嬉しいのならいい 嬉しくないのなら 嬉しくないんだろうね
凄いことは 君の目の前にしか現れない 決して人を介しては現れない だから君は 凄いことをしたい時に 凄いことをすればいい たとえそれが凄いことでなくても
「軌跡」 軌跡ってなに? それは その軌跡のように見える集合体
クレヨンで丸い円を画用紙に描けば その軌跡は円であり クレヨンの集合体である
本質的には それは単なるクレヨンの集合体に過ぎないと言ってもいいだろう ただ それではあまりにも可哀想だということで それを円と名づけたのだという
なぜ可哀想なのだろう?
―END―
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