| 2003年11月01日(土) |
笑いで笑えなくて何が笑い? |
えー、ふと普段思うことを書こうと思います。 一文で<思う>が二回出てきて、くどい表現であるのはわかってますが、気にしながらもほっておきたいと思います。
「だんだん志村がわからない」 理由あって、<志村けん>と紙にボールペンか鉛筆の類で書いた。 書いたそれを見ていると、次第に、<志村>というのがわからなくなってきた。 なんであの人(もちろん志村けんのこと)の名前の名字はこんな漢字なのか? そもそもこんな漢字ってあったっけ? 初めて見るような気分にもなった。
「ノー根っから仙人」 この仙人は、前は俗人でした。 わりと最近に、仙人になったのです。 いわば新米仙人のようなものです。 たまに俗人に戻りたいという欲求に駆られるそうです。 なんか、そんな半端な仙人がいるそうです。
「あるなしクイズ」 あるなしクイズの<ある>側の一連のワードには何か共通するものがある。 だから<ある>側にあるのだ。 一方<なし>の方のそれらには、共通するものがない。 ないのに、<なし>という共通点はある。 この不思議。
「真っ赤だな」 真っ赤だな 真っ赤だな お庭のお花が真っ赤だな その色気に入らない僕は 黄色のペンキをかけました
黄色いな 黄色いな お庭のお花が黄色いな その色大好きな僕です ほんとは真っ赤な色だけど
はがれてる はがれてる お庭のお花がはがれてる 黄色いペンキがはがれても 真っ赤な色ははがれない
「私には怖がる才能がある」 怖がる、という機能は重要だ。 怖がる、という本能が、あらゆる危機から人を救う。 ただ、ジェットコースターが好きな僕は、それにはあまり怖がらない。 スリルはあるものの、安全なものだと思い込んでいるからだ。 たしかに安全ではあるが、万が一の故障で怪我をしたり、悪いと命を落とすことがあるかもしれない。 だが、万が一のことよりも、スリルを楽しみたいと思う気持ちの方が強いのだろう。 一方、今や歩道を歩いていたって、通り魔に襲われるかもしれない。 本当はいつでも危険と隣り合わせなのかもしれない。 よって、私は基本的にいつも何かが怖い。 ジェットコースターに乗っても、歩道を歩いていても、同じくらいわずかに怖い。 だからといって、何もしないというわけでもない。 なにもしない状況も怖いと思う。 だから、何かはする。 でも、危険なことはしたくない。 よって、私の行動の全ては、恐怖から逃れるために行われていると考えられる。
「あり得ないよりアリエールの時代」 よく、女の人が<あり得ない>と口にするのを聞く。 その度、(あり得ないことはないだろう)と思う。 何かを<あり得ない>と否定してしまうということは、現実にその何かが起こったことを信じたくないと思うのだろう。 そしてきっと、再び起こることは考えられない、もしくは考えたくない、と思っているはずだ。 そういう考えは、危険だと思う。 何事にも<あり得ない>と思うより、<あり得るかも>と、納得しなければ、現実に呼応できなくなる人になるかもしれない。 だから、世間で何が起こっても、他人がどんな考え方をしていても、<あり得るかも>と僕は思いたい。 だから、様々な現象を<あり得ない>と言うより、<アリエール>と言って現実を認めていきたい。
―END―
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