僕は元来、不精者だ。 頭の回転も遅く、想像力に欠ける人間だ。 そんな人間は、今、やっとあがき始めているところだ。 それはいいことなのだと、思いたい。 遅くはないのだと思いたい。
最近はもっと人の話を聞かなくては駄目だと思っている。 人と会話をしている時はもちろん相手の話を聞かなくては駄目だが、それに限らず、もっと世間の声を聞かなくては駄目だと思っている。 この世に生きていく限り、それは必須のことのように思えて仕方がない。
ビートたけしの本を買った。 やはりこの人程思考力があるのは素晴らしいと思う。 自分の思いを創造する力のある人には感動する。 僕は、この人のことを怖い人なのだと錯覚している。 本当はどうであろうと、そう思っているという意味で錯覚しているのである。 そういうこともあってか、たけしの母親の葬式の席で、彼自身が「おかあちゃん・・・」と泣き崩れる様を見た時、(もちろんテレビを通してのことだが)僕は思わず感動し、ぼろぼろに泣いてしまった。 普通僕はそんなことでは泣かない。 他の芸能人がそういう状況で泣いていたとしても、こっちまで泣く事はない。 それだけ僕は、彼を意識しているのであろう。 彼が漫才をやっているときのことは見ていないが、それだけ僕にとっては存在感のある人なのだろう。 怖いんだけれども、参考にしたい人物だ。
「偽善者にも二通りある。偽善者であることを隠している人と、そうでない人だ。」 ラベルというものがある。 映画などのビデオカセットなんかには、表の中央に、その映画のタイトルの記されているラベルが貼られている。 今日、レンタルビデオ屋である一本のビデオを借り、それを見終わって、カセットをプラスチックのケースにしまう時になって思った事がある。 (ラベル下手したら剥がれるけど・・・) どういうことかというと、カセットに貼られていたラベルがベロンと剥がれかけていたので、ケースにしまう時、指でそれを抑えながらしまう必要があった。 つまり、乱暴にやると、ケースのなかでひっくり返ってしまいそうになる状態だったのである。 (僕ってエライなぁ。そっとしまってるからひっくり返らないぜ。) そんな些細な満足感を思いながら次にこう思った。 (僕がこれをケースから取り出した時は捲れていなかったなぁ。) つまり前にそのビデオを借りた人もそっと僕と同じ様にケースにしまったのだと推測される。 もしくは僕がビデオデッキに出し入れした時に剥がれたか・・・(そうだとしても、気づいていない) まぁ仮に前の人もそっと入れたのだろうと思い込む事にしよう。 そう思うと、前の人と僕がそっと入れた事の繋がりを妙に意識してしまった。 だからどうということもないのだが。 それにしても、もし前に仮りた人が故意的にはがし、僕にそう思わせるように仕組んだのだとしたら?と考えてみたが、そう考えるだけでバカバカしいと自分でも思う。 あぁ、段々ラベルがうんぬんという話に飽きていく・・・
「笑い」 笑いについては元気のある時でないと考えられない。 笑いは難しい。 人を笑わせるようなことを考えるのも、また笑いについて考える事も今は億劫だ。 しかし、億劫だからといって考えるのをやめるのも癪に障る。 ということで渾身に力をふりしぼって笑いについて語るのはまた今度にするか!
―諦めるというのも一つの手・・・だろうか?―
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