2001年06月03日(日) |
フェイス・チェンジ? |
昨日に引き続き、シボリ家でワイワイやっていた。 プレステのゲーム「ダブル・キャスト」をやった。 イニシャルは「ダイニング・キッチン」と同じである。あ、やっぱり違うわ、D・CとD・K… このゲームは<やるドラ>といって、自分でドラマの展開を決めていくようなゲームだ。 内容はタイトルを見ても分かるように、ある女の子の二重人格を利用した、 過去の記憶を巡るサスペンス・ホラー仕立ての物語だ。
ところで、このゲームをやっていて思い出したけれど、以前なんかの番組で 二重人格どころか多重人格の女の子の姿を追ったドキュメンタリーをやっていた。 本当にその映像は衝撃的だった。話には聞いていても、実際に見たのは始めてだった。 さっきまで泣いていたかと思うと、次には母親に怒っている。まるで別人のようだ! 表情も変わってしまうので、雰囲気的には顔を変えてしまったかの様。 男の子の性格だって現れる。もちろん話し方も男の子のようになってしまう。 僕はふと感じた。シボリ家でやってたゲームの、その女の子の過去にまつわるエピソードにも、 ドキュメンタリーの女の子にも、共通して思い当たることがあるのだ。 僕は全然二重人格や多重人格についてよく分からない。 でもきっと、こうなのかもしれないと思う事がある。 1人の体の中に複数の人格が宿るということは、それがその子にとっては 必然的な出来事なのかもしない。それは自己防衛のためにそうなるのかもしれないと。 ある人が、なんらかの状態に追い込まれ、精神的に窮地に立たされたとする。 そしてまだ未熟な故に、その窮地を回避する道が一切無いと判断された場合、 ひょっとして違う人格がその人を助けるために現れるのではないか? 因みに、一つの体に宿る人格同士が、互いに知り合いの場合もあるらしく、 それは以前のドキュメンタリーを見ていて知り、びっくりしたことの一つだった。 そういえば、大人になって多重人格になったというのはあまり聞いた事が無い (実際あるのかはわかんないけど)。ということは、やはり精神が未熟で、 まだ世の中にさらされていないような子供がなりやすいということなのだろうか? そんな風に僕は感じた。 その子にとって、多重人格の子にとって、 一つの体の中に複数の人格が存在しているということは、どういうことなのだろうか? ひょっとしたら、みんなが助け合って、1人の人間として生きている、 という感じ方をしているのだろうか? 余談になるが、NHK教育テレビの「おかあさんといっしょ」という番組のメインコーナーに <ドレミファドーナッツ>(確かこんな名前のコーナーだった。今もやっているのだろうか?) というのがある(あった)けれど、そのコーナーが<にこにこぷん>に変わって 始まって間も無い頃の時、テーマ曲の歌詞の中にこんなフレーズがあったのを覚えている。 「二人でひとつ…」 確かこんなようなフレーズだった。 今思えば、それは二重人格の人の事を連想させるともいえないことはない。 その当時、実はそのフレーズに対して視聴者からクレームが来ていたらしい。 その後、歌詞は変更されたと聞いた覚えがある。 番組側としては、二人で協力して何かをやり遂げる、といった意味で解釈していたのだろう。 当時の僕は、それは<男性と女性が重なり合い、一緒になる>という事を 子供に想像させるからクレームが来たのかな?と思っていたが(笑)。 この先、僕に子供ができたとする。もし、その子が精神的に窮地に立たされた場合、 僕は自分がしてあげられる事はしっかりしてあげよう!と今決意した。
−END−
[ぢぇんのコメント] なんか最初と最後で書く主題がずれてる気がするのだが・・・ マジメな内容だから、逆にレスは短くしようと思うんだけど、 二重・・・多重人格が触発される要因は心的なものによるんだろうけど、 一体この身体のどこをどうしたら全く別の人格が共存できるのだろうか? とてもじゃないが、辞書1冊覚え切れない(普通は当たり前だが)この脳に 全く面識のない二人の意識(知り合いの場合もある、と書いてあるが一般的に) を管理しきれるとは到底思えない。数パーセントしか解明されていないDNA(遺伝子) の未知の部分に秘密があるのでは・・・ってことになれば面白いけどね。
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