日々是修行也
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登場する人物・団体・店名等はすべて架空のもので、仮に存在していたとしても単なる偶然です。 また、暴力・犯罪・性的描写も個人の思い込みによる勝手な想像です。

2008年09月09日(火) 富山県氷見市の冤罪事件 (画像) 後で加筆

富山県氷見市で2002年1月と3月に起きた強姦(ごうかん)と強姦未遂(県西部の民家に侵入して少女を針金のような金属線で後ろ手に縛るなどして乱暴、また、同3月、県西部の民家で、少女に刃物を押しつけ乱暴しようとした)の事件。


氷見署は同年4月、タクシー運転手だった柳原浩さん(40)を事情聴取。柳原さんは否認したが、3日目に容疑を認め逮捕された。

富山地裁高岡支部は懲役3年を言い渡し14年12月12日に確定。

同日から柳原さんは約2年間服役し、05年1月に福井刑務所を仮出所した。


強制わいせつ事件で鳥取県警に逮捕された松江市の無職、大津英一被告(52)がこの事件の犯行を自供。07年1月に富山県警と富山地検が誤認逮捕を公表し柳原さんに謝罪した。


これが、富山冤罪事件だ



07年10月10日再審判決があった。判決は、02年1月と3月に起きた婦女暴行・未遂事件の犯行現場の足跡は、大津被告(婦女暴行致傷罪などで公判中)のものだったと指摘したうえで、犯行時間帯に元タクシー運転手が自宅から電話をかけていた通話記録があることなども挙げ、柳原さんの犯行ではないと認定し、「被告が犯人でないことは明らか」として、求刑通り、02年11月に懲役3年を言い渡した富山地裁高岡支部の原審を取り消した。


柳原さんは02年4月に逮捕されて以来、5年半が過ぎて冤罪が晴らされたこととなった。



この事件は捜査当時から足跡が男性と一致しないことを県警は認識していたばかりか、電話の通話記録から男性のアリバイは成立していた等の事が判明しており、完全な手抜き及び怠慢捜査というより、「でっち上げ」だった。


当時、同居していた父親は入院中で、一人暮らしだった男性は02年3月に起きた強姦未遂事件で県警から同年4月に任意の取り調べを受け、当初否認したが、取り調べ3日目に自白させられ、県警は逮捕された。



県警や富山地検はそれぞれ、当時の捜査関係者を処分しない方針を示している。



このほか、取り調べ時の可視化や録画、録音の実施を求める質問に対し、安村本部長は「(取調官と被疑者との)人間関係の構築や、任意の供述を得ることが困難になる。被害者のプライバシーに関する情報が不必要に公判でさらされることにもなり、慎重な検討が必要だ」と、否定的な考えを述べた(07年03月01日付『毎日新聞』)。




藤田裁判長は判決主文言い渡しの後、柳原さんに「無罪であるにもかかわらず誠に気の毒だと思っている。失われた時間は戻らないだろうが、これからの人生が充実したものとなるよう心から願っています」と語りかけた。


再審で弁護側は、冤罪の真相究明のため、取調官の証人尋問を2度申請したが、藤田裁判長はいずれも却下した。

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男性は逮捕直後に自供を覆し容疑を否認したが、県警の取調官から「なんでそんなこと言うんだ」と怒鳴られ、「今後発言を覆さない」旨の念書を書かされたという。公判でも認め続けたことには、「何を言っても通用しないと思い込まされてしまった」と悔しさをにじませた。


また、取調官から「家族が『お前に違いない、どうにでもしてくれ』と言っている」などと何度も迫られた。「犯行時間帯には電話をかけていた」と訴えても、取調官は「相手は電話を受けていないと言っている」と認めず、「家族にも信用されていないし何を言ってももうだめだ」という心境になったという。


一番つらかったのは、判決前に、入院中だった父親を亡くした時だ。拘置所に面会に来た人に「お父さんは悲しんで死んでいった」と言われ、一日中泣き続けた。1月の無実判明後、地元には帰っていない。騒がれ近所に迷惑をかけてしまうと思うからだ。「墓前に無実を報告していないので、早くしたい」




☆ この事件の公判で採用された一連の証拠書類が明らかになり、捜査当局による「自白」捏造(ねつぞう)の事実がわかった。

男性が知らないはずの被害少女宅の克明な見取り図が作製されていたほか、男性宅から押収された凶器のナイフも、被害少女の証言とは異なっていた。男性は07年6月6日、日本弁護士連合会が都内で開くシンポジウムに参加、取り調べの実態を証言する。

公判で証拠採用されたのは、婦女暴行事件(02年1月)の被害少女(当時18歳)の自宅と少女の部屋の見取り図、現場で足跡が採取された靴の絵、男性の供述調書など。

男性は02年4月15日に婦女暴行未遂容疑で逮捕され、5月5日、いったん処分保留で釈放された後、同日、婦女暴行容疑で再逮捕された。見取り図や靴の絵は、5月20〜27日にかけて、警察官への供述調書に添付する形で描かれた。見取り図は現場とほぼ一致し、「任意に作製した」として男性の署名と指印もある。しかし、男性は、見取り図を描いた翌日に捜査員と同行するまで、少女宅を訪れたことがなく、「取調官に両手首をつかまれ、描かされた」と話している。

一方、この少女は事件から8日後の県警の事情聴取などに「男がギザギザの刃が付いたサバイバルナイフのような大型ナイフを持っていた」「チェーン様のもので縛られた」と説明。

これに対し、県警が男性宅を捜索して押収したのは果物ナイフで、その後、ビニールひもが男性宅の納屋で見つかった。逮捕後の男性の供述調書には「気が動転した少女の記憶違い」「ひもを2重にし、鎖状にして縛ったものを用意した」と押収物に沿った内容が書かれていた。結局、起訴状ではこれらが凶器とされ、同年11月の判決も同様の認定のまま有罪を言い渡した。

裁判所も冤罪事件の真相を究明しようという熱意が感じられない。これでは、国民の裁判不信は募るばかりで、裁判員制度どころではない。

裁判は有罪か無罪かを判断すれば足りるということなのだろうが、あまりに市民感覚からかけ離れた考え方だ。



















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