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ひろしの日記
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 職場にはいろんな人がいる2

 ほーんと、職場にはいろんな人がいるねえ。
 職場全体の総意として、向かうべき方向性が確立していることであったとしても(それに対して反論は出来ないはずなのに)、自分の気分(気に入る、気に入らない)で、その方向性をじゃましようとする。
 たぶん、それに対して上層部から仮におとがめがあったとしたら、こまごまとしたことをあげつらい、いろんな人に責任転嫁をするのが手に取るようによく分かる。ようするにどうにもならない上司の典型という感じ。

 そんな人の下で仕事をすることになったら、本当に大変だろう。なにせ、本筋なんかどうだっていい。要は自分の気分なんだから。。
 周りの人も、とばっちりが恐いからたぶん何も言わないのだろう。周囲には、裸の王様の家来のような、物言えない雰囲気が充満していた。本当にこんなことでいいの?うちの職場の将来は危ないよ。

 今回、自分の仕事にからんでじゃまをされた訳だけど、どうやら自分の向かう方向を変更するところまではいかなくて済みそうだからひと安心。

 あんまり、そんな人と話もしたくないんだけどなあ。でも、もう1回月曜日にその人とかかわらないといけない。それを考えるだけでも気が重い。。ふぅー。


2002年10月18日(金)



 妥協を許さない

 最近、仕事の話が多いのは、仕事がたまりたまっているから、、
 来週は少し落ち着くかな??

 今日は、新規の施策で、自分が所属する課全体で取り組んだ大会の本番だった。

 大会は、自分でいうのも何だが大成功の部類だろう。見に来た方々が皆「よかった」と言ってくれた。皆が役割をしっかり果たしての結果だと思う。

 今回の成功の原因は、「妥協を許さない」ということじゃないかと思う。
 大会のビジュアル(セット、音響、資料も含む)はこりにこったものだったし、人の動きも含めて打ち合わせを何度も重ねた。その結果これだけのものになったと思う。

 ついつい、「このくらいで、、」と妥協をしがちだけど、そこで止まればそれなりのものしか出来ない。もう一歩、もう半歩と進むことでいいものが出来るんだなあと実感した。これは新たな発見だった。

 自分の仕事のやり方について少し反省。やっぱり、新しいことをやったり、いろんな人の話を聞いたりするのは大事だね。自分を客観的に見つめられる。

2002年10月19日(土)



 祖父のノート

 祖母の1周忌である12月が迫って来た。
 突然の入院、そしてあっという間の死。去年は本当に激動の一年だった。

 先日祖父から、1冊のノートを渡された。
 祖母が入院してから、死、その後と自分の祖母への思いを書き綴ったノートだ。
 前も見せてもらったことがあったが、今度の1周忌にそれを来てもらった方々に見てもらいたいとのこと。だから、僕にパソコンで入力して印刷するように頼まれた。

 祖父は、無口だけど本当に祖母想いで、今でも毎日墓参りに行っている。
 僕も、祖母に育てられたようなものだったので、祖父の気持ちはすごく分かる。今回のことも含めて、僕は本当に祖父のことを尊敬する。男というのはああいう人のことをいうんだろうって思う。

 でも、まだ入力出来ていない。。
 何だか、祖母の死のショックが戻って来そうな気がしてなかなか手が付けられない。人の死に対することはなんてつらいことか、、

2002年10月20日(日)



 信じられる人

 今日は職場での飲みだった。
 飲みの後、直属の上司と帰りが一緒になり、その場でつい愚痴をこぼしてしまった。
 前々から、いろんな人に(その直属の上司を含めて)今自分が不満に思っている人たちに対して直訴するって吠えていたのをその上司も知っているので、今回「直訴する前に俺に言え。やるにしてもいろんなやり方がある。お前の将来をそんな人のために無駄にするんじゃない。」と真剣な顔で言われた。

 今までは、自分は自分の思う方向(もちろん人に迷惑をかける方向ではなくて)に突き進むのみだと思っていたところがあったけど、こんな職場でも自分のことを考えてくれている人がいるんだと思って、涙が出そうになった。
 そう言ってくれた上司とは、以前にも同じ部署で仕事をした経験があり、今回はその恩返しと思っているところもあった。
 でも、やはりまた一緒に仕事をやって、自分の考えていたことに間違いはなかったと今回思えた。

 やっぱり、人間捨てたもんじゃないねえ。だからこそ、自分も人に対してそうならないと。自分に厳しくね。

 あとは、お互いにそう思えるパートナーを見つけないと。。

2002年10月22日(火)



 希望

 自分自身、高望みというものは今までしたことがないつもりだった。だから、自分の努力と行い次第で望みは必ずかなうものと信じていた。
 今、なかなかかなわない自分の望み、幸せを目の前にして、「神様、私はそんな無理な願いをしているでしょうか。それとも自分の努力が足りないのでしょうか。」とつい問いかけてしまう。

 でも、たぶん違うんだな。自分の想いがまだまだ足りないんだな。この望みを相手にぶつけるんじゃなく、自分に向けるんだな。
 そうすれば、もっともっと相手にも、自分にもやさしくなれるんだろう。

 津波のように対象を打ち壊すような想いより、さざ波のようにおだやかに相手に働きかけるような想いを持ちたい。

 今、自分にその想いが生まれつつある。。

2002年11月03日(日)



 想い

「想い」っていったい何だろうか。。。


 「普遍的な想い」や「独りよがりな想い」とかいろいろあるけれど、それだってものすごいパワーのあるもの。
 その方向性が間違った方向に向かうと、とてつもなく負のエネルギーになってしまうんだろうな。
 そんなエネルギーをまともに受けてしまえば、どんな幸せな人でも不幸になってしまう。

 相手の幸福を願っているつもりが、逆に相手を不幸にしてしまう。
 気がつけば自己中心的な自分がそこにいる。

 それで本当にいいの??


 自分の求めるものが、相手の幸福につながらないと知った時、これほどつらいものはない。。
 つらいけど、もしそうであれば、そこを超えないと何も始まらない。


 逆に、自分の求めるものを実現することが相手の幸福につながることを知ったとき、、こんなに幸せなことはない。
 どんなつらいことも乗り越えられる。



  空も海も風も君を見ていた

  失う優しさを気づいていたなら

  今からやればいいよ

  できることだけでいいよ

 (角松敏生 「風車」 
  アルバム「INCARNATIO」より)


  できることからやっていこう。。

 
 

2002年11月04日(月)



 シャガール

今日、やっと「シャガール展」を見に行った。
前評判が高くて、行きたいとは思っていたけど、なかなか時間がなくて、、
でも、人が多く、マナーが悪いこと悪いこと。
子供が走り回り、大人がべらべらしゃべってる。
「こりゃ、世も末だな」と思ってしまった。

ところで、肝心の絵だけど、本当によかった。
この、展覧会で、シャガールの人生すべてが凝縮されているなって思えた。
若いころの新鮮な気持ち、人生の転機での気持ちの高ぶり、そしていろいろなことを乗り越えた後のおだやかな精神状態。
それぞれが、絵の中の色彩に、対象に乗り移っているようだった。
これほど、自分の気持ちに訴えかけてくることは珍しい。

人生は、喜びだけでなく、つらいことも相まることにより、晩年にきれいに昇華していくものなんだな。
きれいに昇華していく自分を、彼の絵のように何かで表現できたらいいな。

今回は人が多かったんで、もう一度ゆっくり見に行きたい。



2002年11月09日(土)
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