DiaryINDEX過去の日記未来の日記
2020年07月08日(水) 改めて決意する

極真会館の技術委員になった事で月1回の技術委員会の会議の他に、週に1回松井館長の稽古を受ける事が出来るようになりました。その第1回目が昨日あったのですが、とても気づきの多い時間でしたし、空手の技や動作を通して自分の生き方を見直す時間でした。そこで改めて心に決めた事がありました。それは自分は誰に頼まれた訳でもなく、誰にお願いされた訳でもなく、ましては誰に命令された訳でもなく、自分は自分が望んで、極真空手という、この道で一生生きて行こう。この道で一生飯を食おうと決めた訳ですから、極真空手に対して誰よりも誠実に、誰よりも一生懸命に取り組んで行こう、自分が稽古する事は当たり前の事で、道場生を指導する事も、極真空手を宣伝し道場生を増やす事も、全てに対して誠実に一生懸命取り組んで行こうと思いました。そしていつかはこの道を、自分が責任を持って誰かに引き継ぎ、きれいに身を引いて行きたいと思います。そんな事を改めて決意した日となりました。


2020年07月07日(火) 長男の機嫌

珍しく長男が朝のランニングをグズっていた。そんな時は私はあまり励ましたりせず「外で待ってるよ」と言って、さっさと家を出てしまいます。長男はあまり引きずらない性格なので、外で体操をして、土手まで歩いている内には笑顔になっていました。今日は機嫌よくランニングに行きましたが、次男はなかなか気難しく1度機嫌が悪くなるとなかなか元には戻りません。兄弟でも全然性格が違います。土手についてランニングをする前に、みんなで空を見て「雲がすごいね!風が強いね!」と話し、写真を一枚撮ってランニングを開始しました。まあ何はともあれ2人とも頑張っているなと思います。男に生まれてからには頑張って自分の能力を最大限に開発して欲しいと思います。2人が親離れするまで、私も頑張って一緒に伴走してあげたいと思います。2人が私を超える日が来たらお祝いをしてあげたいと思います。


2020年07月06日(月) 頑張れたのはみんなのおかげ

朝6時に目を覚ましたら、あいにくの大雨でした。「ヨシッ!この雨は自分を強くしてくれる試練の雨だ!ヨシッ!今日1日頑張ろう!」自然にそうなれば最高ですが、私も人間なので、いつもそうは行きません。今日はそう行かない日でした。寝すぎたせいなのか?月曜だからか?起きた時の気分がスッキリせず、とてもダルく、朝起きて大雨を見た時は、正直げんなりしました。でも頑張ってとりあえず起きてました。雨なので走る事は出来ないので子供達をいつもより遅い7時に起こし外で体操と基本稽古を行いました。朝ごはんを食べ、出かける身支度をしてから、少しダラーっとして過ごし、8時50分に家を出ました。朝の稽古の物、トレーニングの物、夕方からの指導の物と月曜日は持ち物も特に多いため、大きな重いバックをゴミ袋で包み、カッパを着て自転車で出掛けました。家を出る時も何故か凄くダルかったのですが、子供達も大雨の中学校へ行き、妻も大雨の中仕事へ行きました。普段、カッコイイこと言っている私が部屋でのうのうとしている訳には行きません。今日は家族みんなのおかげで頑張れました。あとは自分の吐いた言葉にケジメをつけるために頑張れました。人を騙す事は出来ますが、1番厄介なのは、自分を騙す事が出来ない事です。自分がズルした事は自分がよく知っています。ここで私がズルをしたら、今日生徒達に何を指導する事ができるでしょう?その思いが私を頑張らせてくれました。だから私が今日頑張れたのはみんなのおかげです。


2020年07月05日(日) 久しぶりの完全休

今日は、朝のランニングもお休みし、一日中ダラーっと過ごしました。ダラければ、いくらでもダラけられるもので、12時過ぎまで寝ていました。子供達とテレビを見て、妻と買い物に行き、お風呂に入り、食事をして、8時には寝てしまいました。私は普段は5時間の睡眠で充分ですが、寝れば錬れるものですね。でもたまにはこんな日も大切です。数ヶ月ぶりの完全休で本当に心も身体も休まりました。


2020年07月04日(土) 登校

長男と次男は別々に学校に行くようになったようです。長男は次男にずっと話しかけられるのが嫌なようです。いつも時間ギリギリに登校していた長男が、次男と一緒に登校したくないために、5分早く登校しています。


2020年07月03日(金) 息子達への思い

これは私の息子達への思いです。私にとって息子達の存在は、この世で私が得た物の中で妻の次に尊いものです。ある意味で言えば私が今まで得てきた物、全てを足しても息子達の存在に及びません。自分の命よりも大切に思います。息子達がどんな生き方をしようと何になろうと私の中ではそれ以上にもなりませんし、それ以下にもなりません。子供達の存在は私にとっては相対的なものではなく絶対的なものなのだと思います。その大切なものをいつ失うのか?それは分かりません。願うなら私より長生きして素晴らしい人生を全うして欲しいと思っています。でも分かりません。だから私は子供達にいつ何があっても自分は自分の人生を生き切ったと思えるよう何事にも一生懸命に取り組むようにさせています。そして私も悔いがないよう息子達に全力で接しています。おはよう!いってらっしゃい!おかえり!ただいま!おやすみ!の挨拶もなるべくちゃんと心を込めてするようにしています。その挨拶が最後の挨拶になっても悔いが残らないようにしようと努めています。


2020年07月02日(木) いっぱしの男とは

私が32歳の頃「いっぱしの男とは自分以外の人間の責任を取れる男だ」と松井館長に言われました。「自分の為にやっている事や自分の為に責任を取る事は、大人として社会人として当たり前のことで、自分の妻や子供に対して、自分がやらなければならない責任と義務を果たし、妻や子供の責任を取ってあげれるようなってこそ、いっぱしの男なんだよ」と言われました。その意味が妻を福島から連れて来る時と子供達が生まれて抱いた瞬間に実感として分かりました。私が妻を福島駅に迎えに行き、2人で東京行きの新幹線に乗った時に、私の両親と妻のお父さんとお母さんと妻がそれまで勤めていた仕事の上司が見送ってくれました。新幹線が発車する時に妻のお母さんはとても寂しそうな顔をしていました。その妻のお母さんの顔を見た時に「もしこの人を幸せに出来なかったら俺は男じゃないな」と思い、妻を幸せにする事が私の責任であり義務であると思いました。そして妻がやった事は俺が全部責任を取ってあげようと思いました。なので私は妻がやりたい事は最大限やらせてあげなくてはならない責任と義務があると思います。妻がやりたい事を全てやらせてあげる事は出来ないかもしれませんが、最低でも妻が幸せだと感じるぐらいの事はさせてあげなくてはと思います。なので私は妻にどんな事があろうとも離婚するつもりはありません。そして私が先に死ぬ時に私と結婚して幸せだったと妻に言わせなくてはならない責任と義務が私にはあると思っています。


2020年07月01日(水) ウエイトトレーニング

何度かこの菅野日記に書いたと思いますが、約2年半前の45歳の誕生の前の日に一念発起してトレーニングジムに入会してウエイトトレーニングを始めました。理由はそれまで行っていたランニングが3年前に膝を痛めて走れなくなり、代わりに水泳を始めるも今度は肩を痛めて泳げなくなりました。ランニングしていた頃は毎日10キロ走り、泳いでいた頃は週3回2キロ泳いでいました。もちろん夕方からの指導では道場生達と一緒に約3〜4時間は稽古していました。その頃は1日2食で炭水化物はほとんど摂っていませんでした。ですが40歳を過ぎたあたりから体重がなかなか落ちなくなって来ていました。そんな頃にランニングが出来なくなり、水泳が出来なくなり、体重を落とす事がどんどん難しくなり体重が増えて行く一方でした。これは何とかしなければならないと思い、いろいろ考えると私は、手っ取り早くダイエットする為に有酸素運動と炭水化物を抜いてダイエットをしていた為にどんどん筋肉の量が落ちていたのだと思います。そして週末にお酒を飲むんで好きな物を食べるのでそこでリバウンドし脂肪が付き、また有酸素運動と炭水化物を抜いてダイエットするので、さらに筋肉の量が落ちるというのを繰り返していたのだと思います。このまま歳を取っても好きな物を食べられず、ハードな有酸素運動が出来るかと言うと、それはいつか無理が来るし、それこそ限界がきてしまう、最悪の場合もう身体を維持することを諦めてしまうなと思いました。私は空手家ですので、自分の身体はある意味、自分の看板です。今現在の自分の姿を人は見て自分を判断したり評価するわけですから、だらしない身体でいる訳にはいきません。それに太っていたら、自分が太る体質だろうと、頑張っていようと、どうせ好きな物を食べてるんだろ!どうせ毎日お酒飲んでるんだろ!どうせ稽古してないんだろ!そう思われているのだろうと言う悔しさがあり、いろいろリサーチし筋肉の量を増やせば同じ運動をしてもカロリーを多く消費する事を知り、ウエイトトレーニングを始めました。なので筋肥大を目的としたウエイトトレーニングをしました。ちょうど肩と膝が悪かったので軽い重量でウエイトトレーニングする方が効率も良かったと思います。途中やはり身体を痛め中断せざるおえない時もありましたが、エアロバイクやできる箇所をトレーニングし頑張りました。ウエイトトレーニングで筋肉の量を増やすには食べなければ行けませんし、筋肉の量が増えて行くので一時期は太ってしまいます。ダイエットしたいのに太ってしまうのは、とても遠回りですが、長期戦だと思い諦めずに頑張りました。最近は筋肉の量がすごく増えて見た目も変わってきました。体重は90キロありますが、写真で自分を見てもシルエットが前より痩せて見えますし、確実なことは私の支部長スーツは、前は85キロぐらいじゃないとズボンがきつくてはけませんでしたが、今は90キロでもズボンがはけました。90キロでも確実にお腹周りは細くなっている事に気が付きました。このまま筋肉の量を50歳まで増やして行きたいと思います。最近は、朝は普通にタンパク質と炭水化物を摂り、ウエイトトレーニングの後もタンパク質と炭水化物を摂っています。夜だけ炭水化物を抜いて、週末は好きなものを食べお酒も飲みますが、前よりリバウンドせず、少し有酸素運動をすれば体重が落ちるようになりました。本当にウエイトトレーニングを始めて良かったと思います。ウエイトトレーニングを始めた理由は、4年前に亡くなった道場生の前橋さんの言葉がキッカケでもありました。前橋さんは亡くなる前に食事を摂ることが出来なくなりました。その時に前橋さんが「私は実は太る体質で結構頑張って節制していました。今思うともっと好きな物を食べておけば良かったなと思います。先生も太る体質ですよね。先生も自分に厳しく頑張る人だけど、時には好きな物を食べるようにして下さい。」と言いました。2年半かかりましたが頑張って週末に好きな物を食べてお酒を飲んでもリバウンドしない身体を作りました。痩せたいのに1度太らなくてはならないウエイトトレーニングは遠回りに思え諦めそうになりましたが、やはり私にとっては遠回りがいつも目的への最短距離になる事を改めて思いました。あと3年しっかりと頑張ります。


2020年06月30日(火) 半分終わる

今日で2020年も半分が終わってしまった。その3分の2はコロナ禍の中であっという間に過ぎてしまった感じです。でもその中でしっかりと意味のある毎日を過ごして来たという自負はあります。やっと社会が日常に戻りつつあります。明日から7月が始まります。シャキっとビシッと新たな半年をスタートさせたいと思います。頑張ります!


2020年06月29日(月) 今日は死ぬのにもってこいの日だ

「今日は死ぬのにもってこいの日だ」という詩があります。それはインディアンの言葉で、本当に心の中に悟りを開いてそのような心持になった素晴らしい言葉だと思います。私も死ぬ時にそうなっていたら良いなと思います。ですが私はそうはなれないような気がします。それどころか、自分がこの世からいなくなる最悪の日なのに、そんなふうに思えるわけないだろ!ってのが本音です。ですがその努力をある時からするようになりました。おそらく現役の最後の1年ぐらいと時だったと思います。雨が降っていて身体が重くて、走るのが辛い日も「今日は走るのにもってこいの日だ、今日この悪天候で体調の悪い日に走れば心が強くなる!今日は走るのにもってこいの日だ。」と思うようにして頑張っています。たぶん死ぬ時も、苦しいし辛いし悲しいと思います。でも毎日、苦しい事や辛い事や悲しい事が起きた時に、今日は〜するのにもってこいの日だ。と頑張って生きて行けば、この世から去る時が来ても「今日は死ぬのにもってこいの日だ」と毅然とそこに臨む事が出来るのでは?と思っています。それを子供達にも話しています。雨の日に走るのも、辛い日に走るのも、苦しい日に走るのも、男の修行だ!死ぬ時に「今日は死ぬのにもってこいの日だ」と言って毅然とこの世をされるように、やりたくない事をやりたくない時に頑張るんだよ!と話しています。この世で最もやりたくない事を、おそらくもっともやりたくない時にやらなければならない日が人生最後の日になるのだと思います。その日を毅然と迎える事がこの世での人生最後の修行です。正しく「生涯の修行を空手の道に通じ極真の道を全うすること。」です。私もその男の修行の途中にいます。今日もしっかり男の修行をしました。


kanno

My追加