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2017年11月04日(土) 第49回全日本空手道選手権大会二日目

第49回全日本空手道選手権大会二日目が終了しました。私は準々決勝の4試合の副審をしました。素晴らしい試合の連続でした。妻と息子達も観戦に来ました。長男は優勝した高橋佑汰選手を応援していたそうです。本気かどうかは分かりませんが、自分もあの舞台で戦ってみたいと言っていました。私が「パパもあの舞台で試合をしていたんだよ」と言うと長男は「スゲーなー!」と言っていました。私の最高位は4回戦進出でベスト16でした。3回戦の住谷統選手との試合は今でも忘れません。前年の世界大会に出場出来なかった私にとって、前年の世界大会でベスト16まで勝ち進んだ住谷選手は自分の力を全てぶつける最高の相手でした。その時の自分の全てを拳に足に込めて相手にぶつけました。セコンドの先輩や後輩の声、判定のあと引き分けになり延長選に入る前にスタンドから聞こえてくる後輩の声もあの時はしっかり聞こえました。戦っている時はお互いの技がぶつかり合い本当に楽しかったです。もっと戦っていたいと言う感覚を初めて体験しました。延長2回で私が勝利しました。あの体験をもちろん長男が望むならさせてあげたいなとは思います。人生の中であんなに大勢の人の前で、自分の存在を知ってもらい、応援してもらい、自分が頑張っているところを見てもらえるなんて最高です。来年はあの舞台に生徒を立たせてあげたいと思います。


2017年11月03日(金) 第49回空手道選手権大会初日

第49回全日本空手道選手権大会の初日でした。私の大会での仕事は時間に遅れないように次の審判を集め試合場に送り出す事です。7試合毎に審判が交代するので、なかなか大変です。そしてCブロックの7試合の主審とDブロックの7試合の副審をしました。私も現役時代そうでしたが、選手は人生と命をかけて試合をします。その試合を判定するのですから本当に緊張します。観客に分かりやすく、選手が納得出来るジャッジをしなくてはいけません。なので審判が終わって試合場を降りるとどっと疲れます。主審で試合場に立った時に「俺もこの試合場で試合していたんだな」と懐かしく思いました。夜は支部長方々と食事に行きました。総本部出身の杉村師範、若獅子出身の山野師範、ロサンゼルス支部長のタク師範、中国支部長の汪師範、私の先輩で千葉中央支部長の竹石師範、みんな本当に話が面白いです。特に山野師範の若獅子時代の話とタク師範がロサンゼルスに行って道場を出すまでの話は本当に感銘を受けました。


2017年11月02日(木) 己に克つ

私は、菅野秀行という人間に生まれて来ました。私は菅野秀行と言う弱い自分を大嫌いでした。だから私はいつも菅野秀行という人間より強くなりたいと思って生きて来ました。敵はいつも自分の中にいました。だから自分を苛めた人を恨むより、苛められた弱い自分に腹が立ちました。敵は常に自分の中にいました。それは私の父の影響だと思います。おそらく私が5歳ぐらいの時に、苛められている私を見た父は、私を叱りました。父はハッキリと「苛められてかかって行けなかったお前が悪い」と言いました。父は、私を苛めた子に私が、かかって行けば褒めてくれたのだと思います。私は苛められて何も言えませんでした。父は口下手な人ですから私にそれだけを言いましたが、私は今、父の気持ちがすごくわかります。私は苛めた相手に負ける前に、弱い自分に負けたから、相手にかかって行く事が出来ずに黙っていたのです。父はそれを叱ったのだと思います。相手に負けることは仕方がない事です。でも自分に負けてしまっては何も始まりません。だから私は常に「己に克つ」を大切にしています。今でも、自分に負けていた頃の自分が大嫌いですし、今も自分に負けてしまう自分が大嫌いです。先ずは自分に勝たなくては何も始まりません。


2017年11月01日(水) 進む道

昨日の日記で、長男がスポーツテストでCランクで全国的に平均だった事を書きました。しかし私は、スポーツテストがCランクどころか、小学校の頃、運動会のかけっこでリレーの選手になった事も、かけっこで3位以内に入った事はありません。勉強でも通信表は全て1の最下位でした。中学校では成績は学年で最下位でした。何人中で何位なんて今でも恥ずかしくて書く事を躊躇してしまうほどです。まあ生徒数が300人よりもっといたと思ってっ下さい。ですから私は、長男には何の心配もしていません。心配するどころか普通なんて丁度イイと思っています。長男が本気でヤル気になれば何にでもなれると思っています。長男が自分は才能が無いから諦めようなどと思うのなら諦めればいいだけの話です。ただ親としては、その子がヤル気になった時には、その子が親の思う道と違う道に進むとこになろうと全力で応援してあげたいと思います。


2017年10月31日(火) 長男のスポーツテストの結果

長男のスポーツテストの結果を見ました。結果はCでした。全国的に見て体力と運動能力は平均という事です。私の小学校時代の結果とあまりにも似ていて不思議な感じがしました。しかし体力や運動能力など、将来の事には、何も関係ないと言えば関係ないと思います。長男が何かに興味を持ち、夢と目標を定め、一念発起して情熱を持って一生懸命に取り組めば、その道で必ずそれなりの結果を残し、何かを得る事が出来ると思います。


2017年10月30日(月) 情熱

毎日、稽古をする中で、今まで感じる事が出来なかった事を感じる事が出来たり、見る事が出来なかった事が見えて来たりする事があります。それには、柔軟体操、基本稽古、移動稽古、型、組手、どんな稽古も選り好みをせずに一生懸命に取り組む事が大切です。そして情熱を持って稽古する事が大切です。適当な気持ちや惰性で稽古していたら、ただ気持ちの良い汗を流して終わりになってしまいます。そして自分が得た物を後生大事に持っていても、自分の人生にはあまり役に立ちません。自分の得た物を人の役に立つ事に使えたら、自分の人生も楽しくなりますし、自分の人生も自ずと輝いてきます。それを最近強く感じます。昨年と今年はその気持ちをしっかり持って稽古に指導にあたって来ました。凄く良い風が自分の周りで吹いている感じがします。来年も初心を忘れず情熱を持って一生懸命に稽古に指導に取り組んでいきたいと思います。


2017年10月29日(日) お酒

私は26歳から34歳のクリスマスまでお酒をやめていました。やめる時は一生やめるつもりでした。もう一生お酒を飲みたくはならないだろうと思っていました。でも妻と出会い、この人と一緒にお酒を飲めたら楽しいだろうなと思い、またお酒を飲む事にしました。たぶん妻と出会わなければ今でもお酒は飲んでいないと思います。はじめてお酒を飲んだのは、福島で妻が行きつけだった天麩羅屋さんででした。はじめて飲んだのはキリンの一番搾りでした。はじめの一杯を飲むのは凄く怖かったです。でも凄く美味しかったです。それから妻と一緒に飲むのが私の楽しみになりました。子供がいない頃は2人で朝まで飲み明かしました。2人でいると飲んでも飲んでも飲み足りない、話しても話しても話し足りない感じでした。本当に楽しい時間でした。今でも週末に妻と一緒飲むのが私の楽しみです。


2017年10月28日(土) あれから10年

本日、妻に告白した日からちょうど10年が経ちました。告白したのは、妻が運転する車の中でした。次の信号で止まったら告白しようと決めて告白しました。私は中途半端は嫌いなので、もしダメなら今までと同じ状態で会う事や連絡をする事はないだろうと覚悟を決めて告白しました。なので手が冷たくなるような緊張感を味わいました。あの日から10年間、毎日が楽しかったし、幸せな瞬間をたくさんもらいました。妻には本当に「ありがとう!」と言いたいです。


2017年10月27日(金) この時期に

もう来週の今日は全日本空手道選手権大会なんだなと思い、少し寂しい気持ちになりました。何が寂しいかと言うと、今この時期に緊張していない事に寂しさを感じます。私は第28回、32回、33回、34回、36回、37回、38回の全日本に出場しました。その頃はこの時期は本当に緊張していました。全日本のために自分の生活の全てがありました。引退したあとは中村が40回全日本に出場し、中山が44回、45回、46回全日本に出場しました。自分の生徒が出場していたので、やはりその時期も緊張していました。ここ2年、城南京浜支部から全日本に選手を出場させる事が出来ずにいるので、私自身も緊張感がありません。その事を寂しく思いますし悔しくもあります。52回全日本には必ず選手を出場させたいと思います。


2017年10月26日(木) 武士のなかの武士

多摩川を8キロ、ランニングしました。今日は走る時に、「その時歴史が動いた 二〇三高地の悲劇はなぜ起きたのか 新史料が明かす激戦の真相」を聴きながら走りました。陸軍大将の乃木希典の苦悩の決断をしなければならなかったのか?が語られています。乃木希典は戦いに勝ちましたが、たくさんの部下が亡くなったのに、日本に生きて帰った事を恥じたと言います。そして乃木希典は明治天皇に自刃する事を話します。自刃するならば私が亡くなったあとにと、明治天皇に言われ思いとどまりますが、明治天皇崩御のあと自刃します。乃木希典の評価は賛否両論ありますが、私は乃木希典は武士のなかの武士だったと思いますし、男の中の男だったと思います。


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