**In my heart of hearts**
心の奥のこころ


2018年02月21日(水) 幸せでありがとう

このところ、寒さがゆるんでセーターを一枚減らして歩ける。
もう春の足音が目の前にきていることを思わせてくれる。旧暦の正月が終わったら急にこんな空気をつれてくるんだなあ。 今月も雪景色にうっとり見とれる日々が続いたり、気温の急激な変化を味わったりの、先月に続いて、前半と後半の違いの大きさが身に染みる月だ。 そしてまたもうすぐの韓国行きが待ってる。 こんなに幸せでいいのかなと思う毎日だ。今まで生きてきた中で今が一番幸せで、有り難いと感謝する。



2018年01月21日(日) 外へ出て脳活、筋活

昨日もいつもの定食屋さんに寄る。毎度同じお気に入りの品と、冷え過ぎてまずくなってる残念な瓶ビールに、店づくりにはそぐわないジャズのBGMという定番。そして週刊誌が相棒。仕事の疲れと孤独を癒す時間をここに求めるのだ。もうすっかり人並みの暮らしをしているなと、何かにつけて、感じるわけだ。この歳にまでなってようやくという話なんて、笑われても仕方ないだろうけど。本当のことだからね。こんなことをメジャーなブログにはかけることではない。読んでもらうようなちゃんと面白いことを書ければいいけどね。人との会話でもそれは言えることか。何気ない会話が苦手。飲んダリして、かっこつけてしゃべるのは、好きというか、得意なつもりだったりする。反動的に。でもそれも、卒業に近いところにいる。器量でもよけりゃシャレになるけど、もうこんな不細工な顔で甘えもくそもないだろう。

朝の5時きっかりに起きた。
そしておいしいコーヒーを飲んで、即パソコンと遊んでいる。

真っ暗な空がもう明るい朝へと変わった。年末年始の空気もすっかり去ったなと感じる一月の後半にやっとほっとして、やっと新年を迎えて、やっと始まったなあと思うのが常のこと。太陰暦の正月が自分を迎えているかもしれない。 今年はというと、あらら、2月18日と出ていた。去年は一月の下旬だったかと思う。プサンへ行ったときがそうだった。 抜けるような青空で温かい気候で驚いた。今回のプサン行きは三日後にやってくるぞ!ああ、幸せ!だた気温が0度になるらしい・・。

吉井のお骨参りを今日こそできるかなと思ったりもしている。理由は気持ちがわさわさしているから。なんか胸の奥がもそもそするというか。これを胸騒ぎというにかどうか。阪神の震災の時のことを思い出す。やっぱり半ば過ぎに仕事も正月モードから解放され本当にほ〜〜っとした夜のこと。訳のわからない胸のざわつきに襲われたことを。そして次の朝の信じられないテレビの光景。

ちょっと似ている。 友達と思う人からのラインの返事が来なかったことのちょっとしたショックからなんとない不安な気分がきたり、疲れから仕事の中の不機嫌とか自分のことを情けなく思う気持ちのせいと感じられるものだけれど。 

大きな災害が起きないことを願いたい。

前回の休日が旅行以外で出かけるようなことをほんとに久しぶりにする。今日もまたその続きを自分に許せそうなモードで今朝を迎えている。



2018年01月05日(金) 今年の抱負はブログを書く

キーボードの新しいものを買ったので打ち安くなったはずなので、ブログと仲良くしようかと思う。 新しい年の始まりは生活も意識してこまめに活発に変えていきたいというのが抱負だね。

お正月という気分があまり感じないというか、必要としていない。 大晦日から出勤して、きのうからが初めての今年の休日で、休日というより、正月休みと言ったほうがいいわけで、ささやかに二日間のデイオフ。

今年は何か書こうと思って、随分と久しぶりに、メジャーなほうのもう一つのブログのお気に入りの面々のブログを読んでみたら、自分が書くブログの拙さが恥ずかしくて、書こうという意欲が失せた。
文は体を表すとはよく言い得た言葉ね。 これからは極力拙い表現はやめよう・・・。 

正月の始まりの二日間の美しすぎるような晴天と夜にはスーパームーンの神々しい輝きとを、味わった。何もない自分でもこんな自然の恵みを受けてそれだけで充分だわ。

せっかくの休日は途端にお天気は下り坂。でかけるにはためらわれる雨模様となってしまった。どうしようか・・。時間をどうつかおうか・・。



2017年12月17日(日) 来年の抱負

新しく、ワイヤレスのキーボードとマウスをゲットした。初の文字打ちに、このブログを使うことにした。指は固くなって関節が初めの頃のようには、滑らかに打つことができない。 今時のスマホでは、メールの文字打ちもマイクのところをプチっと押せば、自分の音声がそのまま文字になるということを、最近知った。もちろん検索では知っていたけど。どんどん便利に進化していくものね。使いこなすレベルまでいかないいままでぶら下がっている感じ。
今年もなんと、もうあと2週間しかないのか・・。つまり今は年の瀬の真っただ中ということ。とてもじゃないけど信じられない。 いろいろ今年を振り返っての感慨はどうよ。 今の職場に2年半という時。連休を惜しげなく与えてくれる、物わかりのいいチーフ看護士さん。病棟師長の位置づけであるマネージャーという役の人が不在のままこの病棟がきているのと、ほぼ同じ期間である。私にとって、ここに入職できたことがまことにラッキーなことであったと思える。金銭面では大差はなくても、ほかの色々なところで感じることができるものが多い。そういいつつも、泣いても笑っても、あと3年だと常に心に上ってくるよね。あと3年すると、60歳という年齢なんだなあ。・・・・。まだ青春気分なのにね。顔をみれば、おばあちゃんだ。異性を求める気持ちもまだ少しはあるけれど、若い時のように切実でもないわけだ。その分楽ね。強烈な孤独感が沸いて来ることでそれを意識させられたりして、辛くならずに済むのよ。

今日は日曜日か。ちょうど先々週の風邪の体調低下と目の結膜炎で、休日が5日ももらえた後からの、出勤が始まって、先週は水曜日の1日だけの休みで1週間が過ぎた。喉の風邪のほうもどうにか収まって。きょうの休日は久しぶりに元気で安らいだ感覚の時間の中にいる気がする。 食事代にしかお金を使うことがなく、外食も当たり前のようになっている中で、おいしいものを食べても、以前のような味の感じ方をしていない気がする。 ストレスがあるようで、実はそれほどないのかもしれないと言える。

自分にちょっとハードルを設けてみてはどうだろうか。 有給休みをもらった日に大学の通信課程のパンフレットのページをじっくりと眺めた。そしてかなりその気になっている自分がいた。 私の中では、ほぼお金を払ってもいいぞと許している。 他にあまり使い道がないということもある。 服を買うのを楽しみにしたりすることがなくなっている。 楽しみは韓国訪問を毎月のようにできていること。 それ以外に無駄使いをあまりしたがらない私。まあ、いいことでしょう。 

来年という言葉が目の前にきた。そうね。来年は勉強の年にして、自分を高めたいものよ。そのためには、部屋の掃除片付け よろしくね!!



2017年12月06日(水) 自分史 1

ソウル旅から後の長めの勤務。休みの日は午睡を決め込んでいた。久しぶりの”金縛り”。そのあとから足の関節が痛んだり、疲れが取れていないからなのか、風邪までうつったようで、周りの人も咳き込む人が目立つ中、丁度一週間近い間、喉がやられて調子悪い。気持ち的には割とすっきりしているつもりではいる。 ソウルで雪を味わったし、こっちの気温が暖かいことをさらにかんじてしまう。でもそれなりの冬らしい空気の中で、同じ時期の過去を重ねて思い出したりして、なんだかなあ。。

小学3年の夏がはっきりと父と別居して、新しい生活が始まった時。一軒家を社員寮に借りた、会社の寮母として母が働くことに。そして兄と私の二人も一緒に住み込みで居候するのだ。子連れだったから居られたといえる。息子一人より娘も居れば、それなりの気持ちの拠り所ができた母ではなかったのかと思うのに、私に対しては、複雑な思いのようだった。




2016年04月21日(木) 晴れたり、濡れたり

昨日の晴天からまた、打って変わって今日はもう夜明け前からずっと雨が降り続いている。部屋でじっとしていることが正当化されるので、よけいにリラックスできるという二連休の始まりだった。脳みそがもっと働くといいけどなあ・・。この鈍さで小学生のときから、ずれて突っ走ってきたわけだ。安全圏内に入り込める賢さがない、あはは・・。そうは言いつつ、実直に何かをやるというわけでもないくせに。じぶんを飾っても今さら無駄すぎる。
思考のパワーが欲しいと今、謙虚な気持ちで思ってしまう。 欲しいと願うならやってみてからじゃないのかということよ。

熊本で大きな地震が起きた。ちょうど奈良で寝ていた頃のことで何も情報は得ていなかった。 突然に家族を失った悲しみ、家屋を失った悲しみ。この世での試練を体験する人たちの心に光がともりますように。



2016年04月09日(土) 桜も散った

桜の花が一気に満開になったのは、この一週間の間だ。そしてあっという間に散って艶やかなピンクの妖精たちが消えてった。日本中の至る所で、美しい喜びの色をいた花が枯れ木にしか見えなかった風景を変身させて、人々はうっとりとその様子に心を奪われていたことだろう。 梅がまだ寒い冬の空気のなかでも咲き始めて、黄色い菜の花と赤い椿が咲き誇り、白いモクレンの花、桃の花、そして春の空気をつれてくる桜が景色を更に盛り上げる。短い間だけ、夢のように咲き誇る桜。 日本の春。こんなに花を色々目にする時間を持てたのは、今の恩恵である。回り道をしてここに来た私がいる。

桜の花が満開のころに、暖房の切れた職場で体を冷やしてしまった。久しぶりに長引く咳と喉の風邪をひいていた。 そのピークの時だ。やっと翌日は休みの日になるので、こんな時はじっと映画館でスクリーンを眺めて楽しめばいいと寄り道した。苦しい咳と頭のふらつきはあっても意識は大丈夫な感じ。部屋へ帰ると、留守電だった。 うろたえたその声。私にどうしろと言うのだろう。サキ子さんは桜に迎えられたかのようにしてこの世の幕を閉じた。倒れてから、2年くらいだったろうか。いずれわかっていたことでしかない。私には、何かを想像するほどの関心すら、沸くことはないしそれが当たり前のこと。宗二はとうとう別れた切りで関係をつなぐことなく、過ごすことになる。
知らせるのは兄か、母か。 母は私が知らないとでも思うのか、留守電で、お亡くなりになった、などと、妙に丁寧な言葉を使う。私は白ける。城戸で葬儀を終えたとか言っていたようだったけど、泣きついて世話になったのかと、どこまで身勝手な父かと、叔母の死にも冷淡だったのではないのか。 それが、私の父親なのだ。そして長い年月のあと心を開こうとした私に血の通う言動の一つ、示す思考回路を持たないことをあえて、突きつける人。 何も変わらず私は最後までないがしろにされた傷を心に受けるとは、笑ってしまう。 こんなことが私の親子のストーリーか。今になればまっすぐに見ることができる。だから、そういう今が有り難く思える。 私はもういい加減に中年のおばさんだものね。



2015年08月18日(火) 痛みの消えた夏

お盆休暇も終わり・・私のことではないものの、ちょうど昨日と今日は連休がとれていたので、そんな時期の気分も味わっているような、いないような。

昨日の朝は土砂降りだった。涼しさも伴う恵みの雨だけど、最近ほとんどない、激しい雨を見るといよいよ来たかと身構える感じにもなる。でも、そんな思いも裏切られてほどなく止んでしまい、午後からはすっかりいい天気だった。

旅気分を求めるほど、ストレスがあるわけでもなく、なんか妙に満足感と感謝の気持ちが胸を占めているばかり。こんなことって、今までなかったなと、不思議な気持ちをかみしめているような気がする。 いつもこんな夏の時期は何かに追い立てられるような焦燥感が心を押さえてきたと思う。

弟を取り戻したい。会いたい。心のおくの声が叫んでいたからだと知っている。去年とうとう、夢は現実のものとなった。母のそばで一晩を過ごした弟。
一才そこそこで、母のもとから連れ去った父。 実母の存在を抹殺するはずの父がいた。

運命という偶然が何度も働いて、弟は実母のもとへ帰ってきた。

今年は、小さいころからのつらい思いが、切ない願いのもとに初めてその姿を消したと感じられて、胸に残った傷をわすれさせた。胸がこんなにも軽い。

何度となく 書き残しておきたい言葉はこんな小さな家族の絆の話ばかり。



2015年07月22日(水) 書いていかなければ

7月も半ばを過ぎて、すっかり夏モードのはずなのに・・。今日も雨に降られた一日は涼しくて、季節がわからないくらい。 どこへ出かけるというでもなく、その願望もさして、あるわけでもなく、部屋の整理整頓がうれしい今日この頃だ。今までと同じではいられない。 カーテンを変えることにずっと意識を向けていたので、一気に店に通って、色々眺めて、折り合いをつけたものを買ってそろえた。 これまでいつかしなければと思いながら決して実行に移そうとしなかったことだった。

部屋の掃除やものの片付けを一通りした後になって、やっとすんなりと行動が伴ってきたんだな。「生活」というもの、生きることを活かすと書く。そんなことを実感できるのがやっと今になってなのかな・・。

また、これからは色々と書き綴って行かなければ、考えて文章にしなければと思い始めてきた。 感じた事を表現して残す事。大事な事だな。 思考の大事な訓練でもあることだろう。 努力を惜しんではいけない。



2015年07月11日(土) 夏本番前

新しい職場に入って、ひと月以上があっという間に流れていった。バス通勤もなじんで、この街の中心部の駅で人々の色んな顔と服装を目にするのもこれまでの日常になかった場面がまた付け加えられる。

降りるバス停までの約20分も半ばくらいから故郷らしいやさしいなだらかな連山の緑が空気を一変させる。 毎日小さな旅気分まで味わっている。

小さい頃からのなじみの風景。車に乗ってお寺参りの思い出の道。 明日にはそういえば、インドネシアから帰国した兄が夫婦で親戚周りと墓参りに母のもとへやってくる。

天気は週末の朝は夏を思わせるくらいだったけど、またしてもどんよりした梅雨のような曇り空にもどる。去年に兄たちと会ったときは、良い天気だった。老舗のうなぎ屋さんの高い食事。かなり質素だったけど・・。 あれから日本を後に一人、異国の会社へ転職し滞在する兄だった。

弟は肘の抜釘手術入院中だったかな。 その後私は、資格試験の願書作成とか、秋には私も3日間の手術入院を控えていた。入院中に過去問題集を始めるいい時間がもてた。 元気も付いてきたので、バイトでもしようと思った。インドネシアへのチケット代でも稼ごうかなとか、手術の出費がくやしかったりで。 起爆剤になったものだ。

そして半年の間、ファーストフードのハンバーガーと付き合うことになる。裏方でマニュアルどおりに焼いて、揚げて、包んでという作業も慣れるまでのおっかなびっくりを楽しみながら 仕事の息抜きにもなって続けられたものだった。

今はどうかなーと、検討中。もうそんな精神的なエネルギーがあまってない気がして。 通勤時間が長くなった分が大きいかな。

病院は近代的なスタイルで綺麗で機能的なところだ。初代は明治9年に開業していて、いまの院長が5代目だという。  研修会で話を始めて聞いたけれど、頭のきれるビジネスマンという感じのしゃべり方をされていた。

入院患者さんの名前を覚えるのに精一杯の何週間かだったけれど、ナースたちの名前など、把握してしまうまでにはまだ、接触時間が要るようだ。介護士たちは
それぞれの個性がやっと、手に取れてくる頃。 どこにおいても、何をしても他人との競争心、自分至上主義の世界との戦いが顔をもたげるものだと、今更にして分ってしまう。現実の分析には疎い自分だということね。 つまり、おばかさん。

介護の仕事はやっぱり好きなことだ。ハンディーを持つ人たちに寄り添う事が自分にとっての喜びを生み出す事、有難うと言ってもらえて、心が潤う事。大事にしていきたい。

掃除、片付け、これまで取り掛かることが億劫だったのが改善されてきたのは、怪我して休んでいた頃にマイペースで頑張ったし、それが楽しさを感じたことの下地もあるのだろうきっと。 最近はちょっと気が付けばもう体が動いてくれるし、朝目覚めてから、もうすぐになんだかんだと動かしたりしたいる。 

今までの自分ってなんだったろうかね。埃だらけの散らかり放題の部屋。 みーこの写真を目にして、鼻炎にさせたのは、私だったと、気が付いた・・・。


初めて韓国へ行ったのは2009年の春だったと思う。6年前のことか。 あの頃に真剣に部屋の片付けを考え出した。 今6年が経過して、ここにたどり着いたなあといる感慨を覚える。

日差しのない一日だったとはいえ、扇風機のお世話にはならないといけないようだ。 もう福岡の町で山笠のクライマックスへの序曲が始まる。


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