**In my heart of hearts**
心の奥のこころ


2015年05月31日(日) 最後の休み

一日おきに晴れたり降ったり、今日はまた光がまぶしい空になった。ようやく風邪の重たさも取れているようでもある。起きる時は鉛のように体が重くてまだまだどうなる事やらと思わされたけれど、起きてみれば頭がかなりスッキリしていてよかった。夢の中では変な緊張をさせるようなものをつらうらと追っていたのだけど。

あしたからの早起きの自信全くなし。 ぐっすり眠る自信もなし。孤独感に心がつねられているかのようだ。 静観していくだけだ。 突き動かされるようなエネルギーがわいていたのは、思えば10年前くらいまでのことかなあ・・。

自分がもうかなりの中年だというのをどう思ってるのかな。

さて、連休最後の今日は、そして日曜日ときている。人ごみが恋しかったりしないのか、私は。気になる博物館までが、やけに遠く感じてしまう。今パワーがないときだ。風邪ひいた分だけ何かをかなり消費してしまって、まだ立ち直りができていない。

精神疾患を抱えた人のことを見たり、思ったりしすぎる毎日も気が滅入る。慣れ親しんだ場所や人々と別れることも、淋しくないとはいえない。自分のことを知ってくれていた人が日常の中からいなくなる。 そんなマイナスの感情を癒すために親しい人との交流、形式的な事柄などを生活の知恵としてやっていくものなのだ。

そんな流れの中でさらに交流を深めていったり、学生時代だってそんな事を学ぶ場所であったのかもしれない。だからそこらへんから私は、違ってきたからね。

いつも何かを言いたくなくて、隠していた。片親であったし、経済的に余裕なかったし、まず家自体がなかったこと、説明したくなかった。根本のところを。

人並みでないとは自分で認めなかったから。 普通の家庭で生まれ育ったのだから。 8歳のとき破綻したとはいえ、プライドがあった。 だからそのままそのつもりで振舞いたかったのだ。
そんな自分がずっと、この年になっても変わっていない。 それでいいのか、悪いのか、私にはわからない。

さて、今日の一日洞過ごそうか。 体調次第なので、体にきかなくちゃ・・。



2015年04月16日(木) 忙しい日々

最近 色んなことが次々に起きるので、退屈してる暇はない。 先月一日は、半年間の試験勉強の最後の山、2次の実技試験を受けに朝は4時半におきて、小倉駅へと向かった。 これまでにない経験だったな。わずか5分間の実技の審査。待機時間で疲れて頭が飽和状態で惨敗だったと、呆然とした気持ちで会場を後にした。 

そんな日々の中、マクドナルドのバイトは徐々に慣れて、気分転換にもなり、一石二鳥の状態でやっている。  老人病棟の仕事も楽しかった。何を言われようが、介護する中で、得る事のできるささやかな喜びが支えてくれていた。 試験には失敗しただろうと思っていたから、このまままた、一年過ごそうという気持ちと、あそこまで、人を否定する上司の態度に、退職を決心して、病院探しを始めたりもした。

面接を終えて帰った日の事、合否発表当日だったその日、ネットで知る事ができるのはすっかり忘れていた。 ふとそれを思い出して、おそるおそる番号を調べてみると、なんと私の番号が乗っていた。



2014年05月25日(日) 自分なりに語りたいけど

新緑の5月は引越記念日、生活は夜から昼へとの激変もあり、その年は20代の卒業の年であり、仕事も生活環境も人間関係もゼロからのやり直し。孤独と自由と若さの中で燃焼していた思い出。20年前のこと。



2013年11月17日(日) 心の氷山

書きたいことがないとは言わないけれど、何も文字にできそうにない。
そんなことをいうために、これを開いたわけではないけれど。
心にあてた光はすぐに薄暗くなって見えなくなってしまうようだ。
何かを書き記すにしても、自分が何か成り切っていなければ出来ない事
のように思えてきた。 何かはっきりとしたスタンスというのだろうか、
視点をしっかりすえた根底がなくては言葉にならない気がする。
私が人と話しべたなのはそういうこともあるかもしれない。

口癖・・、表現癖というか、 〜のようなきがする、〜かもしれない
〜のだろうか。 そこから発展させる事もないまま、思考はストップする。
私の悪いクセ。 自分を知らなければという意味はこんなところにもあるの
だろう。ここは断定して書ける・・。

友人を持つという事は、自分の意見を磨いていくための試練なのだと、
学生だった時に覚えそびれたんだなと思える。 自分にバリヤーをはって
いた訳は、必死で隠しておきたいことがあったから。



2013年06月05日(水) 自分を知らなければ

誰も見ない日記だから、本当のことを書けるといいけれど、浮かんだと思ったら次には意識が誤魔化したがって消すというか、隠すというか、つかまらなくなる気がする。 そんな事を繰り返しながら、結局自分とは向き合う術をなくして生きているから、それを形として、部屋の乱雑さが物語る事はなはだしい。

最近疲れて夜は寝ぼけ眼というよりは、頭をたれて意識をなくしてすっと、眠りに入り込んでいるのに気がつくパターンを繰り返している。体調がよかった頃にそうだったように、すっと眠りに入る感覚は悪くない兆候か。

自分の本当がチラリと垣間見えた気がした。それをそのときにきちんと書き留めて置けばよかったのに、 今になると、勇気がうせる。

なんで勇気がないんだろう。また、なんで勇気がいるんだろう。誰も知りはしないのに、何を書こうと、書くまいと。 自分自身にさえ見栄を張っているわけか・・。そこがそもそもの、根本的な道の誤りね。

最後の一枚のクッキーを食べたら、何を書こうか。


ずっとずっと遡って、自分の歴史を辿らなければ。 眺めてみなければいけない。 



2013年04月27日(土) 感動を失っていくのかな

仕事について2年めの春がきているわけだ。今年の4月の気候は、とくに寒暖の差が激しくて違和感を感じたと思う。

先月の家族行事も終えて、気分もほっとしたり、力を得たりした後は、ちょうど2連休が月初めにやってきて、部屋の模様替えをやっと、重い腰を上げて始めたりした。気候もよくなって、体も動かさないわけにはいかなかったし。 思いのほか部屋はこその場の流れで機能的な形が出来て、満足した。

毎日の片付けという作業は全く、自分の中にインプットされないままで生活をしてきた私。現実の中で何も成せないことと同じだった。

いまだにそれは続いていて、間抜けなミスを繰り返しては人から認めてもらえない人生が延々と続くのかもしれない。

変えたいのなら今すぐの努力だろう。 孤独であることに負けてひがんで、思考を放棄したようなクセに引きずられてきたことにも気がづく。

人と接する中での気疲れを嫌がって、自分の好き勝手にしてきた事。負い目を言い訳にしてきたこと。 これではいけない。周りの人がそう気づかせてくれる。 自己愛が強くて、その分だけ他人を嫌って、小さい頃から育ってきた気がする。

変われるかどうか、結果ばかりを気にしても仕方が無い。やれることをやっていくだけだろうと思う。  危ない事をしてはいけないけれど、出会いパーティーに参加することまで決めてしまった。

ちょうどゴールデンウィークの真っ最中という時期に、気持ちが動いてしまったし、春の出会いに思いを寄せてもいい時期ではないのかなと。

企画会社はたくさんのパターンを用意していて、中年同士の集まり、離婚経験者中心というものを、休みの日と相まって予約をとれたのだ。

ただ何事も経験だなと、時間つぶしもいいかな。 予定の無いままの5月連休で3日間も時間があるなんて・・。 先週職員旅行で岩国、広島へいったばかりなので、遠出も気が向かない。本来ならこの良い気候の時にどこかへいってもいいのだけれど。



2013年04月12日(金) 思い出す 1

あれは何年前になるのかな・・。まだみーこも生きていたし、前の仕事に就いてから2年目くらいの、もうずいぶん前のことと思う。 ありえないような偶然を体験して、その衝撃で初めて不眠とはこういう事かなんてしったりする。 いつも寺参りで降りる駅の正面。 その日 友達に誘われてたまたま待ち合わせする場所になる。 目的の場所はもっと先だったのに、たまたま友達がランチを食べたい店へ行くのに都合がよかったからだ。

車で迎えに来るその友達が来るまで、トイレを済ませることにした。出てくると駅の前には車を降りた友達と、もう一人、車から降りて道を尋ねている男性が二人だけ立っていた。

なぜ、こんなところで、偶然にその人が会うこともないはずの父親だったのだろうか。 姿を見るのはデパートで一度ある。もうそのときから何年だろう。やはり、10年近い時間だった。

8歳のときに父が家庭を捨てて、新しい人のところへと出て行った。
もう、戻ることはないんだと、なぜか本能的に理解していた。 そんな父に
鈍い怒りを燻らせながら、淋しい少女時代が過ぎていった。 会いたいとも思わなかったし、会えるとも思わなかった。会いたいのは7歳で出会ったかわいい恋人である弟のこと。父が連れ去った血を分けた兄弟だった。

21歳になって、母の知り合いの紹介で中学校の事務室で働く事が決まった。 すると、そこは、別れた愛しい弟が成長して通う中学だという事が判った。 父はPTA役員で頻繁に学校へ顔を出していた。 私のことを親戚の娘だと苦し紛れに人に告げるのを横で聞く。

1歳3ヶ月で別れた弟は14歳の少年になっていた。 どうしても話してみたくて、いとこなんだよとウソをついて、顔をみた。



2013年02月03日(日) 現実の自分

LCCというものを知ってからは、常にその会社のサイトをチェックしていた。先月半ばに片道2480円というのが出ている。タイムセールでもあったらしく、異常な安さなので、思い切ってなじみの無いエアアジアで申し込んだ。帰りの時間が早朝なので、大変だろうなと覚悟もして。 確認メールが来なかったから、問い合わせのメールを送って、ちゃんとした返事は待っても来なかった。予約もなされていないものと勝手に思い込んでいて、今度は京都行きを迷った末に決めて、夜行バスも辛うじて取れた。高野山へ行ってみる計画を立てた。 すると、クレジットの請求で予約が成立していることがわかった。あわてて確認を取りたくても、あいにく土日をはさんでしまい、2日も遅れて連絡を取る事になってしまった。何度もwebサイトの中をあれこれと駆け巡って時間も費やしてしまう。出発の3日前にやっと予約番号の確認はとれて、東京行きが現実のものになる。 それまで京都のことで頭は固まっていたので、東京行きのあれこれを想像する時間が足りなくなってしまった。宙ぶらりな感じと、不慣れなLCC体験で無時に終えられるかノ心配で気持ちはハイに達する余裕がなかったせいで、着ていく服のことがおろそかになる。もうちょっと旅らしく、お気に入りの満足する格好がしたかったのと、少し前の大雪のイメージで寒さを想像していたのが空振りで、暑い事。 浮いた感じのダウンコートがダサかった。 安宿も3箇所みつけられたし、それぞれにリッチな感じが味わえたラッキーさではあったけど、おばさんの地を忘れる気力が足りない。もう年なんだなあ、ほんとにいよいよ。当たり前だけど。 一人旅なんてほんとは、50過ぎだらもうおかしいだろうと思っていたのに、そんな頃に、ちゃんとおばさまたちが宿に泊まっていたりして、平気になったようだ。たまたまだったんだろうけど。 何気ない出会いもあとあとにまで記憶に残り、形になっていくもの。それが人生そのものかもしれない・・。  相変わらず何もできず、何も残せず、これからも同じようにして、生きていくだけの私だろうと、つくづく現実の重みを実感できるそんな時期が訪れたようだ。 自分の顔 自分の思考能力 ずっと、ずっと何かの振りだけして、思い込みだけで生きてきたなあと思う。大人らしくも無い女らしくも無い、賢くもなければ、しっかりもしていなければ、人懐こくもなければ、ぼーっとして、いい気なだけの厄介者の自分がここにいる。



2013年01月17日(木) 朝の新聞で

朝の新聞を開いて、いきなりの一面記事から兄の会社名が飛び込んでくる。いつもこんな状況を気にしていた。海外赴任の兄が被害にあわないかということを。 去年一度はサウジアラビアへいくとなっていたのが、幸いにもまた立消えで、今度は韓国へしばらく赴任という事になっている。 ホット胸をなでおろすが、兄の会社も大変だろうしその御家族の心配ははかりしれない。

神戸淡路の震災がおきたのがちょうど今日の日付だった。何事もなく朝を迎えられる事を信じたかった。 世界では今もどこかで人が争い、血を流している現実に改めて気がつかされる。 生きていられる事、無事でいられることを今、自分自身でどうとらえるつもりか。 ぼんやりしてなどいられないはず・・。

久しぶりにフルートを吹いてみた。この部屋では気が引けるので、歩いてもいける距離の市の施設の音楽室へと出かけた。 音はもうまともに練習もしないで長いけれど、始めたばかりの頃に比べれば、全然きれいな音がまだでせるので喜ぶ。 指が・・。左の中指と薬指の付け根の関節が壊れてしまっているのはもう元にはもどらないのかもしれない。仕事で常に力が加わっていた場所。曲がってしまった。使いすぎだった。ただでさえ仕事で僧なのに加えて、ギターひいたり、フルート吹いたりして、常にその部分を横に曲げていたから、リューマチの腫れとともに軟骨が磨り減ったのだ。



2013年01月14日(月) 宙ぶらりな時間

なんと12年前からもこのサイトを使わせてもらっているというのに、有り難いもんだ。途中の分をきれいに削除してしまうなんて、私らしいブレもここにある。実際のところは一度この日記はもう削除して、もうないはずだった。 忘れていた頃になってあるとき、ふとムーンリバーの歌詞を訳したものを検索したときに、なんと自分の、しかももうないはずの日記に書いていた訳詩が出てきてびっくり仰天。 リンクしてみたら繋がって全部ある。
やっぱりほとんどを消してから、また書き始める。

 伊勢白山道というサイトを読み始めなかったら、こんなにブログに親しみも覚えないままで過ごしたかもしれない。 ネットで触れる言葉に命を感じること。一人だけでは深めることが簡単ではないかもしれない。

年明けしての連休というのが、今日が初めてだった。明日までのわずか2日間。これがもう30歳からのずっと当たり前のパターンなのだけど。その30歳というのが、もう22年も前のことなんだなあ・・。 1月も小正月という15日を迎えるとやっと、気持ちがほ〜っとするのも、体に染み付いた気分だと思う。

思いっきりぐっすり眠ったんだな。目が醒めたらまた、朝と勘違いしてしまった。得したといえば得だけど・・。

また、葉っぱが伸びてきた。おととしの冬に買ったシクラメンの小さな鉢。ずっと、緑が耐えないまま、過ぎてきた。土がいいのか、一緒に買った同じものは、とっくに終っているのに。何かが宿った感じがして不思議な気持ちでいつも眺めている。


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