2003年08月11日(月) |
ジャック・タチについての小文 |
ジャック・タチという映画監督がいます。作家としてはどちらかというと寡作で1930年代から40年間に渡り、撮った作品が9本。あれ、寡作でもないのかな。まあいいや。
10年以上前にはじめてタチの映画に出会い、タチどころにタチ作品について情報を収集するようになりました。どこそこの映画館で上映されていると聞けば飛んで観に行き、ビデオソフトが発売されていたと聞けば廃版状態であってもなんとか探し当て入手する。まあ、虜になってしまったわけです、タチの映画(そして映画で流れる魅力的な音楽!)に。
うち7本の作品は今でもビデオで定期的に観ていますが、飽きません。タチの映画は、なにせ40年間ですから、初期と最後期の作品を観比べると、登場する街並みや人々の服装などずいぶん違います。とくに道をゆく車の仕様の移り変わりには、なるほどこれがモータリゼーションというものかと感心してしまうぐらい、激しい変貌を見ることができます(それにしてもタチ作品に登場する車の、どれもなんと可愛らしいことか)。
いっぽう、40年という年月を経てまったく変化していないのが、タチの作風です。あ、作風が変化していない、などと言ってはファンの方々から怒られそう。言い換えます、私がはじめてタチの映画を見て「これはいいな」と感じた、画面から漂う、(獏としていて好きな言葉ではないのですが)「空気感」がまるで変わらないのです。
タチの映画では、タチ自身が主役として登場することが殆どです。出世作「のんき大将」で演じた「スピ−ド狂い」の郵便配達人フランソワも強力なキャラクターですが、やはり一番有名なのがムッシュー・ユロ、「ユロ氏」そのひと。
1953年の「ぼくの伯父さんの休暇」(原題『ユロ氏の休暇』)で初登場したユロ氏は、1971年「トラフィック」までタチ氏のすべての作品で主人公として活躍します(待てよ、すべて、と言ってもその間、1958年『ぼくの伯父さん』1969年『プレイタイム』の2本だけ。途中10年のブランクがあるだなんて、やはり多作とは言えませんね)。
「ユロさん」が登場する映画で、例の空気感はまず彼自身によって醸し出されます。のっぽで、いつもパイプをくわえ、帽子好きで、足下からは横縞の靴下がキュートにのぞく。善良で、呑気このうえないユロさんが、どうしたわけか、つぎつぎと騒動を巻き起こす。観る目は自然とユロさんに注がれます。
ですが映画が進むにつれ、いつの間にかユロさん以外の人物、いや人物だけでなく次々と登場するすべての事柄(無機物すら)から目が離せなくなります。
奇妙な音を立てて開閉する海辺ホテルの食堂ドア、観ているだけでおかしくてたまらなくなる「魚噴水」、どうしてそうなったのか誰にも分からないままカオスに突入していくオープン初日のレストラン、など、など。映画のそこここにあるすべてのものがどうしようもないほど「ユロ(タチ)的」。人にも犬にも無機物にも「ユロさん」が宿っています。主人公はたったひとりの「ユロさん」だったはずなのに、いつのまにか画面いっぱいに無数の「ユロさん」がいるのです。
どうしてこんなことが可能なのでしょう。これはやはりジャック・タチという突出した才能のなせるわざとしか言いようがありません。40年という長い活動期間にも関わらず、どの作品からも常に同じ「匂い」がするのも、この強烈な個性ゆえなのでしょう。
「強烈な個性」と書きましたが、タチの個性は、例えばチャップリンのようには押し付けがましくはありません。フランス人であることが関係しているのかどうか、そこにはむしろ「引きの美学」が感じられます(もっとも、タチ自身はロシア男の祖父とイタリア女の祖母の血を引いているのですが)。
タチ作品においてスラップスティック(どたばた)がどれだけ激しくなっていっても、どんな形であれそこに「暴力性」は見出せません。チャップリンがつくり出すある種のどたばたが、時に「破壊によるカタルシス」を生み出しているとすれば、タチのどたばたにはいつもどこかしら穏やかな「お間抜け感」が漂っています。
タチ作品の「空気感」は独特です。「のんき大将」が発表された頃、あるプレスは「編集があまりにも冗漫で、セリフが聞き取りづらい、笑いに進展がない」と批判したそうですが、「それこそ私たちがはじめてタチ作品に接して感じることであり、多くのひとがそれを『タチ作品の魅力』だと感じているに違いない」とする文を読んだことがあります。私もまったく同感です。
ここまで読んでくださった方のなかには、ジャック・タチという作家に対して、いささかスノッブな印象を持ってしまった方もおられるかもしれません(まずい)。心配無用です。私が書き連ねているこんな駄文とはまったく関係なく、タチの映画は誰だって楽しめるものです。これからの数時間をちょっとした楽しみに費やす心持ちがあり、そして人間が根本的に持つオカシサと善良さを(タチがそうであったように)信じているならば。
もうずいぶん前の正月に、タチの母国、フランス・パリの映画館でタチの映画を観る、という幸運に恵まれたことがあります。入場する私のちょっとした緊張をあざ笑うように、場内は家族連れでいっぱい。私の前の席に座った小さな女の子は、ユロさんがおかしな仕種をするたび椅子からぴょんぴょん飛び跳ねる。会場じゅうの観客がタチの繰り出すギャグに全身で反応し爆笑していました。それは「スノッブ」とはかけ離れた風景で、おおいに安心、得心したものです。
あなたの人生にも「ユロさん」が登場して、道行きを豊かにしてくれるといいですね。彼はあの素敵なテーマ曲とともに、横縞の靴下で呑気に歩いてくれるでしょう。タチ自身は実はいささか神経質で頑固な完璧主義者であったことなどかけらも感じさせずに。
どうしてあんなに泣いてばかりいたんだろう。
誰かに少しキビシイことを言われればもう涙ぐんでる。 ひとの前で話しはじめると声はどんどん掠れていく。
暗闇がこわくて泣く。 仲間はずれにされたと思って泣く。 ころんで泣く。 昼寝から目覚めて不快で泣く。
あんなに簡単に泣いていて、いじめられてしまうのも、当然。 本当に簡単だもの。 本当にあっというまに泣いてしまうのだから。
泣き玉、は、喉から突然せりあがってくる。 止めることなんて、できやしない。
泣くのは、いやだった。恥ずかしかった。
幼稚園、小学校、中学校。泣き癖はまるで治らなかったな。 ずっとこのままなんだと思ってたな。
でも不思議だ、泣いて当然の場面で、なんでか、 泣かなかった記憶が、いくつか、ある。
捨ててあるガラスを踏んでおおきな破片がはだしの足裏に 突き刺さったとき。
泣かずに血まみれの破片を引き抜いた。
車に跳ねられ自転車ごと一回転、頭を割って視界が血に 染まったとき。
病院に運ばれながら、だいじょうぶです、と答えていた。
生まれたときからずっと一緒だった相棒がいなくなったとき。
「泣き虫のしげっくん」はどこに消えたのかな。
消えてなんかなーいね。
今でも、喉をぐっとつまらせてしゃくりあげているのが よく見えるよ。
もう、あまり、恥ずかしくなんか、ないな。
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