読書日記

2002年02月28日(木) 小林泰三「ΑΩ(アルファオメガ)」(角川書店)を快調に113ページまで読む。

小林泰三「ΑΩ(アルファオメガ)」(角川書店)を快調に113ページまで読む。いろいろと間に用事が挟まった割りには調子よく読めた。
冒頭は山崎豊子の「沈まぬ太陽」の墜落事故現場を思い出すようななまなましくも悲惨な場面である。信じられぬような出来事が起こって、次の場面に変わるとそこは日常的な場所ではなかった。デヴィッド・ブリンやクラークもかくやという宇宙空間の怪しげな宇宙生物が次々に登場してくるのである。
主人公の名前は諸星隼人という。
この聞く人が聞けばにやっとするような童話作家志望者が核となって物凄い話になっていきそうな予感がする。
売り文句はハードSFホラー超大作である。
今のところ、B級のSFホラー映画といった趣であの有名な「ヒドィン」に似ているかもしれない。



2002年02月27日(水) 人間不信の書「エンプティ・チェア」(文藝春秋2001.10.15)を読了、物思う。

人間不信の書「エンプティ・チェア」(文藝春秋2001.10.15)を読了、物思う。
予想通りというか期待通りというか、昨日まで読んだ部分の直後に大きな衝撃が走る事件が勃発する。登場人物たちにとっても読んでいるこちらにとっても意表を突かれた格好になった。ヒェーッである。そこでさっと幕が降り、第四部ハチの巣のタイトルマークが映し出される。残り115ページ程度。
その後の展開は剛腕による力業の連続である。人物を動かす心は繊細かもしれないが事件の展開は豪快である。読んでいる1時間あまりは文字通り息継ぐ暇もないと言う風ですっかり疲れてしまった。中心点目指して急速にその輪を縮めながら螺旋状に飛んでゆくような高い緊密度に読んだ後は茫然自失状態に陥ってしまった。
次第に奔流と化してゆく凶暴な物語。結末の静けさも記憶に残らない。
怒濤の面白さ。
読了後に「このミステリーがすごい!2002年版」の35ページを読んだ。
やはりこの本は危険である。内容をうまくほとんど要約している。事前に読んでいたら全く面白くなかった。この本を買う人は全員既に読んでいるという前提で書かれているのか。危なかった。



2002年02月26日(火) ジェフリー・ディヴァー「エンプティ・チェア」読了目前。

ジェフリー・ディヴァー「エンプティ・チェア」読了目前。
殺人の容疑者の少年と少年に拉致された女性との逃避行。
ライムの科学的分析による推理に基づく追跡行。
少年を逮捕し、女性を救出した後、すでに少年に隠匿されている女性を救出するためにサックス捜査官が少年を連れ去り、物語は再び逃避行と追跡行になる。
その裏で独自に行動しサックス捜査官と少年の命を脅かす男たち。
さらに隠匿されている女性の存在に気がつき暴行しようとする正体不明の二人組。
ライムとサックスの愛情と願いが交錯する中で登場人物たちは女性が監禁されている場所へ集中していく。
思いがけない犯人や犯行などのどんでん返しがきついのがこの作者の特徴であるが、今のところ(といっても、残り130ページのところまで来たが)サックス捜査官の思い切った行動しか目立った変化はない。
この後の動きに注目である。
また、ライムの手術が行われるかどうかにも注目の終盤である。



2002年02月25日(月) 水樹和佳子「ケシの咲く惑星」(ハヤカワ文庫「樹魔・伝説」所収)

を読んでみた。立派なSF漫画だった。金星から帰還した13才の少年の語る家族の物語は冷たく哀しい悲劇だった。愛を取り戻した思った瞬間に二度と戻らぬ奈落に突き落とされるという残酷な悲劇。結局二親とも失ってしまった少年はこの後愛の淵でさまよう者になるのだろうか。それとも慈愛に満ちた愛の化身として復活するのだろうか。
切なすぎるSFセンチメンタル・ストリー。漫画ゆえに格調高い。



2002年02月24日(日) 美崎薫「IT/AVの融合!!動き始めた『記憶する在宅』」(月刊アスキー3月号)に気がつく。

 美崎薫「IT/AVの融合!!動き始めた『記憶する在宅』」(月刊アスキー3月号)に気がつく。以前「パソコンデータの捨て方残し方まとめ方」(青春出版社)を読み、デジタルカメラ利用法やデジタルファイリングの方法に感心したことがある。他の著書も読みたくて多少探したが見つからずそのままになっていたところにこの連載なのでわくわくしている。
「記憶する在宅」とは何か。著者の説明によると、家全体をコンピュータのように加工して、コンピュータに記録できるものはなんでも「記憶」できるようにしたい。その理念に基づいて我が家に大改造を施したのが「記憶する在宅」だそうである。
296ページから298ページまでのわずか3ページにすぎない読み物だが、興味津々である。
AV機器とコンピュータの融合を目指し、DVD-Videoの300枚+1枚チェンジャーを2台さらに多数のチェンジャーをパソコンに接続してそれらをうまく扱える仕組みを検討中であるという。
さらに世界初の電動ビデオ収納システム「VIDEO DRIVE」というのはビデオデッキやCSチューナが床下から電動でせり上がってくるシステムで使用しない時は床下に収納されているので空間を広く使える仕組みである。
全体としては約45項目に及ぶ設備についての一覧表が凄くて面白い。
あるべき未来の情報生活の研究の先取りというところか。
一番面白かったのは著者の家の猫が「VIDEO DRIVE」が持ち上がるといつも間隙をついて床下に入ろうとするという解説とその写真だった。
近くのブックオフが「今日限り文庫本全品100円」セールをやっていたのでふらふらと入ってしまった。
小栗虫太郎「失楽園殺人事件」(扶桑社文庫)
村松友視「鎌倉のおばさん」(新潮文庫)
佐藤多佳子「イグアナくんのおじゃまな毎日」(中公文庫)
をまず買ってみた。



2002年02月23日(土) 宮脇磊介「日本のセキュリティに欠けているもの」(月刊アスキー3月号185ページ)を読んだ。

宮脇磊介「日本のセキュリティに欠けているもの」(月刊アスキー3月号185ページ)を読んだ。
何気なく読み出して恐ろしくなった。今日までは世間や職場の様子を眺めて日本のインターネット普及もやっと、例えばアメリカ並になったかななどとのんびり考えてそれで済んでいた。しかし、この文章を読んでインターネットの一般化は国際的罠にはまる道筋を進むことなのだと認識した。バラ色の未来ではなく自縄自縛の灰色の未来に突き進んでいることに改めて納得した。
昨年の3月から5月にかけて韓国から「サイバーデモ」攻撃があったという。自民党本部、産経新聞社、扶桑社、新しい歴史をつくる会、北海道議会、文部科学省に対して3日間1日5回ずつ数十万人から150万人の韓国国民に呼びかけて集中的にアクセスを殺到させる攻撃があり、自民党本部のウエブサイトは完全にシャットダウンした。この事件を報道した機関はごくわずかで当の自民党議員さえ知らされなかった。
宮脇氏は「その事実を、国民に対してリーダーシップを発揮し、警告を発すべきリーダーたちがまったく知らない。国家の体をなしていないのではないか。」と書いている。さらに「歴史的に見れば、冷戦下では日本は軍事もインテリジェンスも100%米国に依存し、軍事問題などに言及しようものなら日本の政治家は票を減らすばかりか首さえ飛びかねない、という言論環境が長く続いた。そのつけは大きい。」
要するにリーダーシップを取るべき人間に主体性が全くないというわけか。今話題の鈴木のような主体性は発揮できる自民党議員はいる、ということか。
IT革命を言ったのは前の首相森だったかもしれないが言わせたのはCIAだったりホワイトハウスだったりするのだろうか。
何も考えずにITを進めると手ひどい目に遇うことを知らない日本国民を鴨にするために。
パソコン機器から漏れている電磁波は100メートル以内の距離ならば傍受して、どんな画面を表示しているか、どんなキーを打ったかなどすべて記録できるという。逆に電磁波を照射して誤動作させたりシステムを破壊させたりもできるという。
これもSF映画などを観て空想的にはありうるかなと思っても現実問題としては見過ごしていることがらである。
セキュリティの面で日本は非常に遅れたままインターネットや携帯電話などが当たり前になってきている。
ある日突然自分たちがどこかの奴隷同然だったことに気がつくのだろうか。
今、こうしていることもすでにその一部分なのかもしれない。
(宮脇磊介氏は、元内閣広報官。)



2002年02月22日(金) マイケル・シェイボン(菊地よしみ)「ワンダー・ボーイズ」(ハヤカワ文庫)を20ページ。

マイケル・シェイボン(菊地よしみ)「ワンダー・ボーイズ」(ハヤカワ文庫)を20ページ。
ワンダー・ボーイズとは語り手である作家の主人公が執筆中の小説の題名であることがじきにわかる。
「私が初めて知った本物の作家は、」小説を読むのが好きならこういう書き出しには惹かれるものがある。そういえば漫画家の萩尾望都の短編にこういった風で始まるものが多かった印象がある。一人称で告白調の内容は読み手を一気に物語の核心に運ぶ効果がある。その作家はオーガストなにがしというペンネームにふさわしくホラー短編を量産し、子供を目の前で失った事が原因でサナトリウムに永久入院している妻の医療費を稼ぎ出していて、主人公が子供の頃一緒に暮らしていた祖母の家に間借りしていたのだった。
初めて知った本物の作家はごく身近な存在だった。
ある日、作家の入院中の妻が病院の窓から飛び下りて死んだ。少年と祖母が同居している作家の部屋をたずねると作家は既に銃で自殺していたのだった。
冒頭はこのような回想で始まる。
次に時間が飛んで現在作家であるとっくに成人した主人公の「今」が語られていくことになっている。
村上春樹の初期の作品の語り口を思い出していた。妙に口当たりの良くてイメージ喚起力の強い文章である。
映画化されている。(まだ観ていない)



2002年02月21日(木) 歌田明弘「デジタル・ライティングへの招待」鹿島茂「衝動買い日記」「情報系これがニュースだ」を続けて

歌田明弘「デジタル・ライティングへの招待」(アスキー出版局)鹿島茂「衝動買い日記」(中央公論新社)「情報系これがニュースだ」(文春文庫)を続けて拾い読み。
どれにも共通している話題はパソコンである。2002年の現在から見れば古いといえば古すぎるというものもあるがパソコンの話題はこれからも尽きないと思われる。
「デジタル・ライティングへの招待」は1994年の本なのでさすがに古くさい。題名に惹かれて買ってしまった。MS−DOSの世界をまだ引きずっている。インターネットではなくパソコン通信の段階である。一太郎dashとVZエディターを比較して論じるのは当時は面白かったはず。
「衝動買い日記」は2年前の本。雑誌連載はさらにその2年前から1年前なのでパソコンに関してはやはり昔を感じる。19番目の話題が「パソコン」購入。豊富な蔵書を有する勤務先の大学の図書館にインターネットで検索することと19世紀のフランス文学を収録したCDROMを使用することという二大目標のためにパソコンを購入した筆者だが、すぐにパソコンがフリーズ。それ以来メール以外ではほとんど使っていない由。
「学問の未来がここにないことだけは確かだ。」とまとめている。
「情報系これがニュースだ」は、第3章「電脳図書館」第4章「電脳書斎」に注目。1,995年に書かれた文章だが意外にもそれほど古びた印象が少ない。2年前の文章と言っても通用するかもしれない。独創的な部分はない代わり、文章で読ませる。
全体では25章あり、部活動の話題まで取り上げ、頭の中だけで書いていない事がわかる。取りとめなく読むのにも適している。



2002年02月20日(水) NECのNb7/5というノートパソコンをまだ

 使っている。相当古い型だ。画面は640×480の256色表示なのでデジカメの画像をフルカラーで見ることができなかった。そこで表示を24ビットのカラーに変更しようとしたらacl7543.drvが必要だという。しかし、ウインドウズのシステムの中にもバックアップしたフロッピーの中にもなかった。市販のウインドウズ95もノートパソコン以前のものなので入っていないらしい。 ふと思いついて、ヤフーで「acl7543」を検索してみた。2件あった。
directXの5をインストールすれば必要なドライバも一緒にインストールされると書いてあった。自体は現在出回っているものではないが、古い雑誌の付録のCDROMになら入っているはずと言う。
ベクターの1998年前期版「パック・フォー・ウイン」に当たってみると、10枚枚目のCDROM中にあった。
コピーしてインストールした後、画面表示の変更が可能になっていた。
今回は単刀直入な検索が成功した。以前にもこれで悩んで検索をかけたことがあったが、その時はノートパソコンの機種名「Nb7」だった。100件以上のヒットはあっても、使えるものは見つからなかった。directX5に触れていても「古い雑誌の付録のCDROMの中に」という具体的説明はなかったからそこまでだった。
今回はドライバの名前で端的に引くだけで必要な知識を得ることができた。
それにしても感心するのはNXつまりDOS/V化する前の9801を使う人が結構いそうなことである。
今日はまったく読めず。メモ代わりに他愛ないことを書いた。



2002年02月19日(火) ニール・スティーヴンスン「スノウ・クラッシュ」(ハヤカワ文庫)を6ページほど

ニール・スティーヴンスン「スノウ・クラッシュ」(ハヤカワ文庫)を6ページほど読んでみた。
あまり近未来という感じはしない。相当遠い未来のアメリカのピザ<配達人(デリヴァレイター)>の話で彼はユニフォームは銃弾を跳ね返し、超小型の矢を超スピードで飛ばす超小型・超軽量の空気銃持っているのだ。名前をヒロといい侍の刀で武装しているので日本人風である。いろいろな設定や小道具がいっぱい出てきそうな期待感を持った。
今日は「エンプティ・チェア」をリンカーン・ライムがいわば田舎の事件に乗り出そうとする32ページまで読んで、中断。
また、品川嘉也「頭が突然鋭くなる右脳刺激法」(青春文庫)を最後まで飛ばし読みした。題名の通り、右脳を使う方法が具体的に紹介されている。
左脳しか使っていないと老化が早いそうである。
今日は職場でスポーツ・テストのような事があって疲れた。最後にシャトル・ランというテストで20メートル走を50回やったような形になって終わった後しばらく体の調子が悪くなった。
明日の朝起きたら筋肉痛が来そうな予



2002年02月18日(月) 隆慶一郎「見知らぬ海へ」(講談社1990.10.25)は面白かった。

隆慶一郎「見知らぬ海へ」(講談社1990.10.25)は面白かった。
最近また時代小説を読むようになって思い出すのは隆慶一郎の作品だ。すべてが傑作だった。今あらためて読み返してもその魅力は減じていないだろう。
「見知らぬ海へ」は未完の作品の中でも短い方だが、勇壮な面白さに富む物語である。
海賊奉行向井正綱が率いる向井水軍の破天荒な物語でこれからというところで途切れていながらも名場面が多い。
病によって閃光のようにこの世から飛び去った隆慶一郎の絶筆のひとつである。
あの頃、集英社の「青春と読書」に隆慶一郎の闘病記のようなエッセイが掲載されてからしばらくしてその死を知って驚愕したことを覚えている。
予想だにしなかった死だった。



2002年02月17日(日) 「SFが読みたい!2002年版」(早川書房)を購入、すぐに熟読した。

「SFが読みたい!2002年版」(早川書房)を購入、すぐに熟読した。
熟読とはいっても、この手の本の読み方には慎重さが必要だ。読んでいない本の粗筋や批評をうまく避けながら、たとえ目にしても記憶に残らないように読んでいかなければならない。読んでいない本の方が圧倒的に多い場合は、だから熟読できない。
結局、読んでいいところだけの熟読となった。
最近は時代劇を中心に読んでいるので、「時代劇が読みたい!弐〇〇弐年番」(時代書房)を購入すべきだった。
国内編ベスト20で読んだのはたった一作品。
海外編ベスト20にいたってはゼロ。
なんともはや。
かえってこの本の読者としてふさわしいのかもしれない。少なくともほとんど読んだ人は買う必要がないように思える。
62ページのSFマガジン読者が選ぶベスト2001国内編では2作品。海外編はやはりゼロ。34年間SFマガジンを買い続けてきた者としては、情けない次第である。
裏表紙の過去10年のベストSF国内編でやっと四作品読んでいた。海外編でも三作品読んでいる。よかった。しかし、これで考えてみると1995年くらいからSFに対する粘りがなくなったようだ。日本のSFはその年に評判になり本当に面白そうな作品のみ。外国産はダン・シモンズの「ハイペリオン」四作品のみとはっきりしている。
ジャンル別のまとめ、対談もあるファンタジー編、ビデオ紹介、書籍目録と内容的な充実度も高いだけでなく、読み物としても十分面白かった。



2002年02月16日(土) 有栖川有栖「紅雨荘殺人事件」(「本格ミステリ01」講談社ノベルス所収)を読む。

有栖川有栖「紅雨荘殺人事件」(「本格ミステリ01」講談社ノベルス所収)を読む。
冒頭の不思議な書き出しが気になって読み始めた。ある意味での遺産目当ての殺人事件を描いた本格ミステリで、チェスタトンの「ブラウン神父」ものに通じる世界を構築している。この著者については、冗長という先入観があった。今回、その予想は覆された。60ぺーほどの長さの中編を苦もなく読み通すことが出来た。
語り手の有栖川有栖と探偵役の火村英生助教授のやりとりを中心にその他の人物たちもよく描かれている。
本日購入の本。
小林信彦「オヨヨ城の秘密」(角川文庫)
川上健一「女神がくれた八秒」(集英社文庫)
五味太郎「大人問題」(講談社文庫)
クライヴ・カッスラー(訳=中山善之)「アトランティスを発見せよ上・下」(新潮文庫)



2002年02月15日(金) テッド・チャン「七十二文字」(SFマガジン2002年3月号)を読む。

テッド・チャン「七十二文字」(SFマガジン2002年3月号)を読む。
粘土の人形が名辞を使うことで動き出す。七十二文字のヘブル文字を書いた紙を人形に差し込むだけでその人形が動く。その七十二文字のヘブル文字を名辞といい、文字の組み合わせ方や使い方によっては驚くべき力を秘めている言葉の配列を言うらしい。
そういう、いわば魔法の言葉の存在が当たり前の世界の物語である。
人間自身も小さなホムンクルスとして既に誕生していて、卵子と出会って大きくなるのを待っているという世界である。人類がすべて実験室のビーカから生まれてくような印象を受けた。そうであれば、人間はネズミように増える一方ようだが、実際には五世代経る中で不妊症の卵子ばかりが生まれ、人類全滅まであと五世代ということが判明しているのだ。
主人公は自動人形の手先を器用に動かす名辞を獲得している気鋭の命名学者。さまざまな事件を経て彼は人類を絶滅から救う方法のヒントを得る。
日本で言うと今流行の陰陽師が科学者や研究者と同様の存在として認知されているのと似ている。
物語の展開そのものに独創性はない。設定と表現・描写に新しいものがある。結末を楽しみにするのと同じように描写と表現をじっくり味わうのがよい中編小説である。
「あなたの人生の物語」に続いてこれも現代人にふさわしい慈雨のごとき作品。
翻訳者は、嶋田洋一。



2002年02月14日(木) ジェフリー・ディーヴァー「エンプティ・チェア」(文藝春秋)の冒頭を

ジェフリー・ディーヴァー「エンプティ・チェア」(文藝春秋)の冒頭を読んでみた。
最近、知人の家族の死が続いている。しかも、この一年間はすべて父親である。このリンカーン・ライムシリーズ三作目の冒頭では、エド・シェーファー保安官補が容疑者を捜索中にスズメバチの大群の中に踏み込んであえない最期を遂げる。彼にも家族があり、彼自身(五十一才)父親だったのだろうかとつい思ってしまうほどだ。
彼は身を守るために必死に川に向かって疾走しているつもりだった。しかし、実際にはハチの毒がまわり、倒れて足をばたばたさせていただけだった。気がつくと死が目の前に来ていたのだ。
何か今のこの国に似ている。助かるつもりで小泉首相を支持していたのに、実は自らの首を自ら締めていたことにようやく気がつき始めた。しかし、目の前には死が・・・。
死を目の前にすると、今度はそれに気がつかないふりをするかもしれない。
「エンプティ・チェア」の方はこの後の展開に期待できる。
後藤正治「スカウト」は、第一章の始めの方。木庭教の生い立ちが語られる。
小松左京「さよならジュピター」(ハルキ文庫)をなぜか引っ張り出して、序章 火星の部分を少し読む。振り返ると小松左京の長編には軽い偏見がある。短編ほど優れていない、と。だから読み残しがかなりある。そのブランクも埋めていきたい、と突然思ったのかもしれない。



2002年02月13日(水) 後藤正治「スカウト」(講談社文庫)をようよう読み始め、

 後藤正治「スカウト」(講談社文庫)をようよう読み始め、30ページまで進。
筆者とスカウトの木庭教(きにわさとし)が一緒に高校野球の試合を見る場面から始まる。高校野球のことやスカウトの仕事のことを具体的に触れながら、徐々に木庭教本人の人間像に迫っていく感じである。
1ページに必ずこちらの興味や関心を引く話題や挿話、文章がある。今日は30ページで読むのを中断したが、これは面白くなるという期待・予感は強い。
単行本自体は1998年に刊行されていて既に評価は高いはずである。
今日は他に、五條瑛の「プラチナ・ビーズ」(集英社)、デニス・レヘイン「スコッチに涙を託して」(角川文庫)も覗いてみた。前者は三人称の堂々たる開幕で奥行きのある物語を予感させ、後者は主人公と思しき語り手の一人称で洒落てはいるが、ややこしい展開の探偵物語を想像させた。
やはりこれでは一冊の本を読み終えるのは難しい。



2002年02月12日(火) 小林信彦「オヨヨ島の冒険」(角川文庫1974.9.30)を読み終える。

小林信彦「オヨヨ島の冒険」(角川文庫1974.9.30)を読み終える。表紙の絵と本文中のイラストは小林泰彦で巻末の解説は石川喬司という豪華さ。イラストは18枚もある。
絵に描いたようなご都合主義の展開と人を食った小道具やギャグの連発で一気に読ませる力を持っている(自分が一気に読めなかったのは事情がある)。
「人類は、むかしから、パイを手でぶつけ合ってきた。あのパイ投げを、予は、さらに近代化する方法を夢みてきた。」(180ページ)
このオヨヨ大統領の言葉はマルクス兄弟からの引用なのだろうか。
読むべき人が読めば、いわゆる「原典」がいっぱいあるような気がするのは、気のせいか。
オヨヨ大統領に気を取られて、後藤正治の本が後回しになった。五條瑛の本と「エンプティ・チェア」も同様だ。佐野眞一も、芦辺拓も、いぬいとみこも、上野瞭も、と挙げるときりがない。
一番読みたい本を後へ後へ回して、結局読めず仕舞いであの世へ持っていくのだろうか。



2002年02月11日(月) 「オヨヨ島の冒険」は冒険スパイ小説だった。

「オヨヨ島の冒険」は冒険スパイ小説だった。ただし、今となっては古風な、しかしエレガントなそよかぜのような物語。かつてテレビで人気を博した「ナポレオン・ソロ」シリーズやロバート・ワグナーのシリーズものを連想した。日本ものでは「スパイ・キャッチャー」シリーズ。
主人公である女の子ルミが一端は誘拐されたが、すったもんだの末に無事逃げ帰ることができたと安心した途端、今度はその父親が行方不明になる。今度も誘拐らしいと、死んだことになっていたが実は孤島で生きているという祖父に助けを求めるべく一同はルミを先頭に出発するが・・・。
という具合に話の展開は早く、気がつくと原爆が話題の中心にあり、世界征服を企てる国際的陰謀団が登場してきて、いよいよ古風な雰囲気が増してくる。
冒険物のエッセンスのような、楽しい作品である。
これが角川文庫で出たのは昭和49年(1974年)で、最初に朝日ソノラマから出たのが1970年、今から32年前のことになる。
小林信彦氏のフアンでありながら、軽んじてまったく読んでいなかった。読もうともしていなかった。ここに深く深く(同じ言葉を繰り返すと嘘と思われるが)深く反省する。
こんなに反省しても163ページまでしか読んでいない。まだ読み終わっていないのでした。反省。
それにしても文春の連載エッセイの去年分はどうしていまだに出版されないのでしょうか。何か出版社的理由・事情があるのだろうか。



2002年02月10日(日) 小林信彦「オヨヨ島の冒険」(角川文庫)につい目を向けてしまった

小林信彦「オヨヨ島の冒険」(角川文庫)につい目を向けてしまった。大沢ルミという小学生の女の子が語り手になっている軽妙な物語。
「あたしって、すごく、不幸な星の下に生まれたんじゃんないかと思う。だいたい、うちのパパは・・・」という独白で始まり、おたふく風邪の話、小学校での友達との悪戯の話、家での笑い茸事件、猫のダイナのことなど軽快にいろいろなエピソードの紹介から本筋の話が具体的になっていく。
小林信彦氏の本は去年・一昨年と「文春」連載のエッセイが単行本化されたが、今年はまだのようだ。氏の本はほとんど一度は読んでいるのでエッセイ集の発行が待ち遠しく感じられる。
考えてみると、未読の本はもう「オヨヨ」シリーズしかない。
少しずつ読んで次の本が出るまでつながねばならない。

昨日はああ書いたが今日液晶ディスプレイを入手。午後、また電器店に出かけ、決めてしまった。I・O DATAnoLCD−AD17CES 購入である。
15インチのモニター使っていたので4インチほど前よりも画面が広く、鮮やかに感じられる。



2002年02月09日(土) 吉川良太郎「ボーイソプラノ」(徳間書店)に手を出す。

吉川良太郎「ボーイソプラノ」(徳間書店)に手を出す。開巻のプロローグは路地裏を疾走する猫が語り手である。この猫の前世は人間らしく、それらしいことをしゃべり続けていると、不気味な牧師とその牧師を捕らえに来たギャングの手先との緊迫する場面に遭遇することになる。
未来のフランスにはびこる一種のマフィアの事件を描けばそれだけでもSFになるが、単なるギャング抗争劇ではSFとしての意味がない。
結末の趣向が楽しみな作品である。
最近とみに目の調子が悪いのでパソコンのモニターを液晶デイスプレィに替えようかと郊外の大型電器店に出かけた。しかし、どれがいいのかもわからず、またふんぎりもつかずただちょっと見て帰ってきた。
コーチャンフォーに寄って、新潮文庫新刊の北村薫「謎のギャラリー」を買おうと思ったが、妙に目の焦点が合わないせいか、読書欲が減退、結局こちらも買わずに店を出てしまった。



2002年02月08日(金) ジョー・R・ランズデール「ボトムズ」(早川書房)を今日中に完読する予定は崩れた。

ジョー・R・ランズデール「ボトムズ」(早川書房)を今日中に完読する予定は崩れた。100ページ近くで時間切れ。発見した死体が黒人の売春婦だったことから主人公の前にどろどろに絡み合った大人の世界が垣間見えてくる。殺人犯人が誰かという謎は一応物語の中核を占めるが、登場人物たちの生活や人間像なども丹念に描かれ、読みごたえ十分である。
創元推理文庫の「狂犬の夏」の方も少し目を通してみた。
マキャモンの「ミステリー・ウォーク」や「少年時代」にあった超自然的な要素はありそうでなさそうな感じである。



2002年02月07日(木) 後藤正治「スカウト」(講談社文庫)の解説はすばらしい。

後藤正治「スカウト」(講談社文庫)の解説はすばらしい。柳原和子の解説ー後藤正治讃は十七ページに及ぶ長文で堂々たるまさしく「解説」である。「スカウト」のそれというよりは題名の通り著者への愛情に満ちたエッセイ風解説としても優れている。これを読み著者へのイメ−ジは一変した。ボクシングのノンフィクションが得意な作家から奥の深い、個を大切にし、一人の人間を描き出すことに傾注する秀でた作家へと変貌をとげてしまった。
俄然読みたい作家の一人になったのだった。すぐに「遠いリング」も買ってきた。
思えば「編集者の学校」に登場していた。この中でインタビューに答えてこんなことを語っている。
「僕はギリギリのところで生きている人に惹かれます。」(225ページ)
卒然として注目の作家の一人になった。
しかし、すぐには読み出せない。ランズデールの「ボトムズ」(早川書房)を読み始めて65ページ。こちらも手が放せないもしくは目が離せない状況にさしかかりつつある。スティーヴン・キングの「スタンド・バイ・ミー」風世界が始まりそうな兆しがあるのだ。



2002年02月06日(水) 「編集者の学校」(講談社2001.10.29)をやっと読み終わる。

「編集者の学校」(講談社2001.10.29)をやっと読み終わる。現在活躍中の編集者、作家、ジャーナリストたちが大集合した稀有な本である。インターネット上の「Web現代」連載したものを紙の本にまとめるとこんなにボリュームがあるのかと驚く。
登場順で、見城徹、田中健五、安原顯、大島一洋、花田紀凱、嵐山光三郎、岡成憲道、荒木経惟、ねじめ正一、伊佐千尋、佐野眞一、小林道雄、白井佳夫、吉村昭、吉田ルイ子、鎌田慧、朝倉喬司、加藤仁、大谷昭宏、塩田満、後藤正治、吉岡忍、溝口敦、野村進、立石泰則、高山文彦、江川紹子、足立倫行、須田慎一郎、海老沢泰久、吉田司、本田靖春、田原総一郎、櫻井よしこ、佐高信、野口悠紀雄、津野海太郎、下山和男、伊藤真の面々。安原顯、佐野眞一、高山文彦、吉田司、佐高信の五人は最近気になっていることもあり、印象が強かった。安原顯氏は、日本の「今」を警告とともに鋭く厳しく要約・紹介しており、この中でも一番声が大きく感じられた。
編集や作家を志すものではなくても、日本の一端を知るために読むべき本の一冊である。



2002年02月05日(火) 鳥羽亮「浮舟の剣」(講談社文庫2001.11.15)を一気に読了。

鳥羽亮「浮舟の剣」(講談社文庫2001.11.15)を一気に読了。巻末の郷原宏による解説がすばらしく力のこもったもので圧倒される。
文庫で270ページ。2,3時間あれば十分読み終えることが出来る長さに好感がもてる。
昨日言ったモジュール形式は大げさにしても分かりやすく読みやすい構成で、読み出したら止まらなかった。
主人公が自分よりも腕が上の敵方の侍に勝つために工夫を重ねて挑戦する過程も説得力がある。
欠点は面白すぎること。
青井夏海「スタジアム虹の事件簿」(創元推理文庫)を読み始める。7年前に自費出版された本らしい。まだ20ページしか進んでいないが、なぜか女優の八千草薫さんを連想した。



2002年02月04日(月) 鳥羽亮「浮舟の剣」(講談社文庫)を読み始める。

鳥羽亮「浮舟の剣」(講談社文庫)を読み始める。いわば志に反してまたしても時代小説にみいられたというところ。しかし、面白いものは面白い。
鳥羽亮もこれだけはずれがないと認めるしかない。
今回は特に好調な滑り出しで気がついたら100ページ近く読んでいた。
掏摸の懐返しの事件。連続して大店を狙う押し込み強盗の事件。大店の警備をする始末屋の腕利き達が襲われる事件。凄腕の辻斬りの事件。
ミステリーで言うところの「モジュール」形式にのっとりさまざまな事件が結びついていく面白さと剣士たちが繰り広げる決闘場面の見事さが最後まで興味をそらさない。
「穏猿の剣」同様全編堪能できるに違いない。



2002年02月03日(日) 五條瑛「30$WEEKEND」(別冊文藝春秋2001夏号)を読んでみた。

五條瑛「30$WEEKEND」(別冊文藝春秋2001夏号)を読んでみた。最近この作家の評判を雑誌で読み、さらにラジオで新作「スノウグッピー」が良好である批評を聞いたので、気になって去年の雑誌で探してみた。
話自体はたいしたことがない。事件の真相は平凡で「火曜サスペンス」並。しかし、場所が米軍横須賀基地の中であることと主人公の二人に特色があることが読み手に言葉の端々まで注意深く読むことを要求している。日本人が知らない国際的事件が日本国内で結構起きていることを暗示しているようだ。
丸谷才一の「コロンブスの卵」(ちくま文庫)の「徴兵忌避者としての夏目漱石」を途中まで読んだ。「こころ」の先生の自殺に対する不可解な思いを綴ったものである。
最近、1冊の本を最後まで読み通すことができなくなってきた。



2002年02月02日(土) 池波正太郎「忍者丹波大介」(角川文庫)を34ページまで。

池波正太郎「忍者丹波大介」(角川文庫)を34ページまで。豊臣秀吉の没後、まだ天下の帰趨が決していない時期に島左近が独断で家康に暗殺者を差し向ける。その島左近の側近が実は家康の間者で、くの一を使って家康に急報させる。ところが、途中で丹波大介たち甲賀忍者に捕らわれて・・・。
最初から一筋縄でいかぬ展開で裏の裏、そのまた裏まで考えながら読まないと堪能できない、損をする時代小説である。
人物の方もその個性をしっかりと書き分けられている。冒頭の島左近とその側近の柴山半蔵もほんの数ページで人間の雰囲気が伝わってきた。
池波正太郎といえば、あれとあれとあれというくらい代表作が定まっているきらいがあるが、単独作品でこんな傑作がまだまだありますよ、というところか。
司馬遼太郎でいうと「梟の城」にあたるかもしれない。

昨夜、また「木更津キャッツ・アイ」(TBS)を観てしまった。贅沢な時代、国である。「ヤクザ球団」という映画は実在するのだろうか。(大笑い)



2002年02月01日(金) 「ミステリマガジン」拾い読み。

「ミステリマガジン」拾い読み。まったく本を読めないので巻末の特集「私のベスト3 2001」を食事をしながら眺める。物凄く直接的かつ情熱的な文章を見つけ、そうなのかと思った。
文化人類学者青木保氏の文章である。237ページ上段にこうあった。
「日本ミステリイも大盛況を呈してきましたが、私にとっては五條暎氏の作品を知ったのが一大収穫でした。この才能、すごいと思います。もっともっと読みたいと次作を首を長くして待っています。」
これほどのことを書かれる作家の作品は当然読みたくなってくる。どんな作品なのだろう。


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