2006年03月29日(水)
和食三昧
夜中、夫と二人で料理番組を見ていた。テレビ画面を眺めていた夫が一言、 「明日の御飯はこれだな」 と重々しく口にする。そうですね。私もそう思っていたところですよ。 そんなわけで、次の日の御飯は決定。そのままその次の日の弁当にもなったので妻としてはとても楽なような、しかしゴボウのささがき(二本分)に時間がかかったのでそうでもないような。 材料は根菜だらけ。炊き込み御飯、豚汁(のようなもの)、筑前煮のような煮物、ゴボウと牛肉の煮物、漬け物。ゴボウ二本を使い切るとは思わなかった。まだレンコンが少し残っているので、これはきんぴらにでもしようか。それとも細かく切って御飯と炒めるか。
2006年03月15日(水)
日々の塵芥
夫が、空気清浄機を購入したいと言う。 狭い部屋に何を考えているのだとしばらくの間は拒否していたが、理由を聞いてなるほど、それはワタクシのせいでしょうかと項垂れる。 布団に入ると咳き込んで眠りが浅いとのこと。 調べるとそれは確かにハウスダストかもしれず、健康診断などで医者に訊いてみるとハウスダストじゃないかと言われ、夫もそう考えるようになったらしい。 そんなこと、早く言いなよ。 そう言うと夫は目を伏せて、ちょこっと言ってみたって君は掃除してるって頑として言うじゃないか、と呟く。 私が頑としているのはアンタの言い方にだよ、とはさすがに言えず、仕方なく病院でアレルギー検査することを条件に空気清浄機の購入を決定した。 この狭い部屋に。 この荷物が溢れている狭い部屋に。
だいたい、結婚前に訪れた夫の実家での彼の部屋は恐ろしく散らかっていたのだ。散らかっている、という言葉では生温い。足の踏み場もないとはこのことだ、と言わんばかりの部屋だった。結婚の挨拶に訪れて、部屋に招待されたはいいが居場所はベッドの上だけだった。 あれではお義母さんも掃除できなかったに違いない。 そして夫が自分で掃除していたとは到底思えない。 あんな部屋に居住していた人間が、ハウスダストでいらっしゃると? そう言われて簡単に信じられないのも致し方ないと思う。
私自身は、整頓はしておく方だが埃についてはそう気にしない。積もる前に掃除はするし、見ればさっと布巾で拭くが、基本的にはマメではない、と自覚している。 が、かつての夫の部屋より綺麗である自信はある。 考えられることは、カビ。 私も夫も一軒家に暮らしていたので、マンションの気密性には本当に驚いたのだ。気を抜くとカビで黒ずむ恐ろしさ。昼間は寒くても窓を開けたりしているし、水滴を残さないようによく拭いているのだが、それでもカビを発見してはがっくりする。もちろん、普通の壁にはえたりはしないのだが、結露するような場所は要注意している(そして黒ずみを発見する)。 だからこそ、ハウスダストなのかカビなのか、それとも花粉なのか、アレルギー検査をしてくれと言っているのに。土曜なら行けるでしょうと言っているのに。
布団から何から全て掃除機で埃を吸い取ったところ、夫は「よく眠れる」と喜んでいた。これなら空気清浄機を買わなければ良かったと思ったが、これを毎日はできないなと思い直す。そして本日、空気清浄機が届き、やっぱり部屋が狭くなったと一人で部屋の模様替えをしている。
いや、健康が第一だから、それで夫が楽になるのならいいんだけどね。
2006年03月09日(木)
ただ歩みを止めなければ
毎晩、次の日の弁当の準備をする。 そうしないと寝坊したときに非常に困るからだ。作り置きできるものはそうしているし、冷凍しておけるものは一度に大量に作っては小分けにして冷凍している。御飯も冷凍しておくと、いざというときに炒飯やチキンピラフにできる(それらの具も冷凍しておく)。最近、夫は夕飯を家で食べられないので、夕飯も弁当にできそうなものにする。というか、私が弁当の残りを食べているようなものだ。 夫は、忙しい。 ただこれまでと違い、やっと仕事に張り合いが出てきたそう。それを聞いたときにはほっとした。結婚してからしばらく、仕事にやる気がでない時期が続いていたからだ。結婚のせいだろうかと考えた頃もあった(少しはあると今でも思っている)。毎晩遅いし、家で夕飯を食べられないから、弁当くらいはと熱心に作っている。 人は数年単位で変動すると思う。やる気や、落ち込みや、どうしようもないスランプや。自分がそうだったからこそ、余計に思う。私など一つのことから一歩離れるのに十年かかった。そういうものなんだ、そういうこともあるんだ、と思えるようになってから、少しずつ楽になる。 今は駄目でも諦めなければ、いつか少し楽になるときがくる。そう思える。
2006年03月07日(火)
横顔も部屋も抱いていた感情も
キリンビールのCMを観るたびに体が揺れる。子供の頃からずっと好きな曲。かれこれ二十年近く好きなのだが、よく考えると渋好みの子供だったなと思う。 カラオケでこれを歌ってくれた初めての人は奴だった。歌の上手な人だったから、聴いていてとてもしあわせだったのを覚えている。歌っている横顔。少し明るい部屋。それはもう遠いとおい昔の出来事だけれど、こんなにも覚えているものなのか。
2006年03月01日(水)
駅ビルから歩いて帰る時の風は冷たかった
母と姉とひさびさに会う。 こちらの方に用事で来るというので、大きな駅ビルで待ち合わせて食事。その後、母と姉の強烈な押しに負けて服を買ってもらう。娘とは、本当にいつまでたっても娘なのだなあとしみじみ感じる。 姉は仕事のために途中でいなくなり、母とお茶をしてしばらく話した。 コーヒーをアメリカンで飲むようになった母を見て、母が、そしておそらく父が年をとったことを思い知る。 心配だけはかけないようにしたいと思う。そして、今後、一緒に暮らす可能性はそう高くはないがそれなりに近い場所に暮らして、何かあったら駆けつけられるように。 今後のことをつらつらと話す。子供の予定はまだ、ない。自分が子供を育てるということがまだ恐ろしく感じるけれど、体には期限があるのでいつか決断をしなければならないことを、ときどき考えている。でも私は大丈夫なのだろうか。自分の経験を重ねて、私は子供を目の届かないところへ送り出すことを恐れるように思う。それを考えると憂鬱になる。私はまだ。
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