2004年10月05日(火)
薄い薄い膜
ある日記を読んでいて、瞬間だけ、激しく泣いた。それはもう、しゃくりあげる程。 すぐに落ち着いて、ティッシュで涙を拭き鼻をかむ。それでもう涙はこぼれない。大丈夫、私は落ち着いた。自分をそう確認して、また文章へ目を戻す。その日の日記分だけ読み、次はまた今度にしようと画面を閉じる。そして大きく息を吐く。 私の背中には、いまだにあの日の光景が張り付いている。薄く薄く膜のようになったソレは、離れることなく皮膚のようになっている。分かってはいたことだけれど、今日はそのことを強く強く意識した。 自分よりずっとずっと大変なこととはいえ似たようなことになっていた人の話を読むと、私の内側で(私の場合は胃の付近)ぶわっと空気の塊のようなものが膨れあがる。共感? 同調? 何と言い表せばいいのかわからないそれは、ぐわぐわと私の全身を支配する。そして私は気づくのだ。自分が日頃、背中にある薄い薄い膜を24時間休む間もなくずっと意識し続けていることを。
それでも、もうそれは仕方のないことなのだ。 諦めるということでもなく、ただ認識として私はそう考えられるようになっているのだ。そこまで私は落ち着いた。表面的には何も残さずにいられたその幸運さにただ感謝する。内面的にはもうそれは仕方のないことだから。 薄い薄い膜は、これから更に薄くなるだろうけれど、それが無くなることはないだろうことを知っているから。それを認めているから。 そしてそんな膜は、見えないだけで誰にでもあるだろうことも知っているから。
2004年10月01日(金)
それは思考の停止なのか衰えなのか
私はいつか日記を綴ることをやめると思う。それがいつであるかどうかは別にして、それは確実なことだ。 web上に日記を書き始めてもう4年になる。最初の日記はもう残していないけれど、当時から私は「海棠」として日々の出来事を思いを思考を書き連ねてきた。溢れて止まらない言葉達。身近な人には話しづらく、けれどどうしても語りたい独り言。それは密やかでありながら騒々しい露出趣味。客観性を欠いた自己表現。言葉にしていればどうにか流れ出るその汚泥。 けれど、もう「海棠」の役目は終えているような気がしていた。 それは夫と付き合い始めた頃から? 研究を諦めた頃から? 精神的に安定を得てきた頃から? 奴の面影が遠く遠く薄くなった頃から? 夏が怖くなくなった頃から? 何が欲しいのかよくわからない自分をはっきりと自覚した頃から? 私の中には今でもはっきりと海棠の部分はあるけれど、「海棠」が語る言葉はとても少なくなってきている。私自身の言葉が少なくなってきてるのかもしれない。それは思考の停止なのか、衰えなのか。言葉にしてどこかにいる誰かに伝えたいという欲求が薄れてきているだけなのか。
生活自体はうまくやっている。先日などは友人に驚かれつつ、夫と海外旅行までしてきた。私がそういう活動的なことができると思っていなかった友人は「そこまで元気になって本当によかったね」とメールをくれた。 そろそろまた勉強を始めないといけない。夫に伝えた「やりたいこと」もそろそろ仕上げないとならない時期だ。そして生活の基盤をもう少しきちんとしておかないと、と思いつつ、ふとした時間にぼんやりとする。 空は高く、肌寒い風が吹き抜ける秋。 私を諫めた銀杏並木を見ることはあるのだろうか。
日記を辞めるときには、私は必ず宣言する。それだけは決めている。辞める一月前くらいにはきちんと宣言して、きちんと幕引きをしようと、それだけは「海棠」を始めた頃から思っていた。 まだやめはしない。その宣言はまだ先のことだけれど、こういうことを考えるようになったということは、もう折り返し地点は過ぎたんだなと思う。
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