2003年09月26日(金)
言葉になる以前のモヤが蠢いて
ユニクロのカシミアのセーターのCMがいいなあと、テレビをぼんやり眺めながら思う。そういう演出なんだけど、確かにいいな。 あのCMを初めて観たときは夫と二人で部屋にいて、確か夜で、言葉なくぼぅっと眺めた後で夫が後ろからぎゅうと抱きついてきた。うん確かに、そうしたくなる。 セーター自体はたくさんあるのでいらないんだけど、温度を欲しくなる。
この一月ほど、どうしようもなくぼーっと無気力で、その無気力さにさすがに凹んでいたら夫に慰められる。そういうこともあるよと頭を撫でてくれる。夏バテじゃないの?そういうこともあるよ。 凹みながらもありがとうと笑う。夫はそういうことでは責めない。無気力さを責めるヒトがいることを知っているだけに、とてもありがたくて感謝している。
実際に、日記を書く気力もないしノートに記録する気力もないし、本当に最低限の家事を繰り返すだけだった。家事すら億劫だったりもして。ああどうしようもない、そう思ってはぐるぐるしていた。 いつもそう。以前からそう。変わらない変わらない変われない。 それでもそう認識してくれている夫に甘えないように、甘えすぎないように、ありがとうの安売りをしないように、動こう。眩暈のしない日は、せめて。
昔を思い出してみたりみなかったり、何をするでもなく部屋の真ん中に転がっていたり、読みたくもない漫画を眺めていたり、ネットの海に溺れていたり。 過去はワタシを助けてなんてくれない。時間はワタシを古くするだけで。 動かないと、腐っちゃうよ。腐臭を放ちながら溶けちゃうよ。何かを成し遂げるヒトはすばらしい人間だとは、ばりばりと生産的に生きているヒトはヒトとしてイケテルとは、一概に言えないけれどそれでも今のワタシよりずっとずっといいよ。多分いいよ。そんなヒトになりたいわけでもないんだけど。
言葉を吐けるだけ吐き出して、少し、楽になる。 ワタシの中で、言葉になる以前のモヤがぐるぐると蠢いているんだ。
2003年09月22日(月)
大事に想う男の前だけで
実家に帰ると、妙に力んでいる自分に気づく。どう力んでいるのかというのは説明しがたいのだけれど、きちんと、これまでの自分と思われる空気を壊さないようにしているというか何というか。 家族には決して言わないことがある。誰だってあると思う。 親には言えない。悪くて知らせられない。そんなコト。 数年間、そんなコトをきっちりと後生大事に抱えているので、もうそのスタイルは止められないようだ。まあいいんだけど。それはもう、抱えた時に覚悟していたし。それでいいんだと、最善なんだと思ったんだし。 家族のことは大事に考えているし、大切だし感謝している。けれど、だからできれば一緒にいないようにしたいと思ってきた。 情けないけれど、まだ時々表面に出てくる腐臭を隠しているのは、結構、きつかったので。 あああ。言葉にすると、ホントに情けねえな、ちきしょう。
だからワタシが力を抜けるのは、大事に想う男の前だけで。けれど力を抜くようにできたのは、今の夫が初めてで。 夫には頼り切っているなと思い知らされるのは、こういう時だ。 このままでいいとは考えていないのだけれど、どうすればいいのかよく分からない。負担にはなりたくはないのだが。難しい。
2003年09月17日(水)
隠れている感情がふと背後にいたことに気づく
反吐が出る。 出るんだけどどうしようもないし、夫にぶつけるわけにいかないこの憤りを、仕方ないので書き散らしていた。一段落したことはした。したけれど。ああもう!そういうヒトは多分たくさんいる、いるんだ。それは事実だ。その中で、生きていかなければならないんだ。
自分の内部に隠れている感情は、こういうときに顔を出してくる。それは夫を悲しませる。夫に対してのことでは決してないのだけれど。 何度も何度も見なければならない。仕方ない。仕方ないんだ。 せめて自分やその周囲のヒトだけは、そうあることのないように。そして被害に遭わないように。できたらそんな哀しいコトがなくなるように。
ここ数日、決めたことはできていない。周期かもはや。 最低限のことをしていよう。せめてせめてせめて。
2003年09月14日(日)
本と映画とサイレントヒルと
夫が背後で『サイレントヒル3』を楽しんでいる。 以前から欲しがっていたので、先日、ワタシの貯金の方から購入した。日頃、遅くまで働いてくれている夫への感謝の気持ちでもある。あるんだけど。 怖いです。 化け物?については予想ほどではなかったのだけれど、風景が怖い。不気味。ああこんな世界に飛ばされたらマジでイヤだよワタシなんて瞬殺だよと思いながら、びくびくして眺めている。見るのもやるのもごめんだけれど、ストーリーは気になるのだよ。 遊園地が特に不気味。そのうさぎの着ぐるみの中身はどうなんですか?ううう。
せっかくの休みなので、DVDを借りてきてみたり、図書館から本を借りてみたり。 夫が薦める『荒野の七人』は確かに面白かった。「男気が溢れまくりの映画だから!」と意味不明の推薦だった。でもよかったよ。うん。 本では『9坪ハウス狂騒曲』を。こういう家もあるんだと面白く読む。読み物、としてより家にかなり興味。HPあり>>>『デザイン住宅 9坪ハウス』 まだこのマンションに住み始めたばかりだし、将来的に定住するのかどうかまで考えてはいないけれど、一つ、動物と一緒に暮らしたい、というのはある。どうなるか、まだまだ先のことだけれども。
夫がヘザーちゃん(サイレントヒル3の主人公)と戯れている間、久しぶりに『キャラミル研究所』で遊ぶ。バージョンアップ?したようで、新しいタイプ分けになっていた。 ワタシは「KIF/COOL」らしい。ああなるほどそうかもしれないね。 ちなみに、前のバージョンでも試してみる。以前(確か2年以上前)はタイプ8に分類された。さあどうかしら人間変化したかしらもう2年も経ったんだし一時期働いたしそれなりに変わったわよねわよね… タイプ8でした。 これを成長がないと見るか、これがワタシと納得するか。
2003年09月12日(金)
後ろを振り返る
ノートに記録をつけ始めた。 日々の記録。それはこのような日記ではなく純粋に記録だ。勿論、こんな文章を二年以上(10月で三年になる)続けているようなヒトなので、その日の気分や考えたことをあっさり書き加えているけれど、何より重視しているのは予定と実行の結果の記録である。 二週間の予定を大まかに決めて、それなりに沿って行動するように。できなかったらその分を、どこに持っていくかを考える。何が今した方がいいのか、快適か、楽しいか。 その他、食事の記録と運動の記録。体重変化などは夫が確認したいようなのでPCに入力しているけれども。
別の場所にまた日記をレンタルすることを前は考えていたけれど、PCよりノートの方がはるかに手軽だ。何より書き始めて、久々に手で文章を書いていると思った。入力とは別の快感。 ただ、それなりに漢字を忘れている自分に気づいて反省もしてみたり。痛。
今のところ予定を全然こなせていないのだけれど、これもまた「欲張りすぎ」な自分を省みるいい機会だと思うことにして慰めている。日常はもう少し、ゆっくりじっくりこなしていかないといけないものらしい。 どこかで隠れて燻り続けている焦燥感や、目まぐるしく変化する感情の波、不安感、無気力。根底に流れる諦め。自分の中身を穏やかにするためにも、少しずつ。
時間ができたときにノートを埋める。したこと。考えたこと。必要だと思うこと。その理由。できなかったこと。原因。 単語が並ぶ。じっくりと書いていこう。こうやって綴るのはとても楽しい。 省みる時間。
2003年09月09日(火)
しなくても別に支障はないけれどした方が確実に快適なコトを
特に日々は何もなく移りゆく。 体調について問題なし。日常生活について基本的に問題なし。応用的にはもう少し生き生きとした方がいいかとも考えるので実はマイニチ反省の日々。 日記も書く気分ではなく。ぶっちゃけ動く気分でなく。基本の家事をこなしてそれを確認してまだ大丈夫と自己認識する毎日。要するにだらだらとしていたのだけれど、現実にはやらなけばならないコトつうかやった方が快適で気持ちの良いコトが山積みになっている。 ワタシ自身について具体的にあげていくと、押入の最適な配置を考える(そして実行に移す)とか色々なモノのファイリングとか棚の配置換えとか襖から布きれへ変更とかシンク下収納をどうにかするとか以上家事部門。将来的に仕事ができるように勉強を毎日少しずつでも必ずするとか仕事に関係ないけど好きに勉強するとかアクセサリーを作ってみるとか運動をするとか散歩してみるとか以上個人的生活部門。他多数。ちなみに、本当にシュフの生活なんだと書いていてかなり実感。閑話休題。 これらのことは、別にしなくても毎日の生活は滞りなく過ごせる。過ごせるんだけど。
この「やらなくても別に支障はないけれど、やった方が確実に快適」なコトがとても難しい。こういうコトを面倒だからとやらないでいると、どんどん生活が味気ないモノになっていくような気がする。日々を楽しめない。そういうこと。 ここ数年のワタシの目的は「しみじみと日々を愛して生活できるような人になろう」だったのだけれど、それが行いやすい(と思われる)生活になった今でもそれができていない。研究に追われることもないし仕事に埋没しているわけでもないのに、どうしてなのだろうと考えると、やはり自分自身に目を向けざるを得ない。これまでも今も、やはり環境でもなく他人でもなく、自分のせい。
これまでは言い訳があった。大学院時代は研究と能力と卒業とで忙しくて見ないでいられた。仕事をしていた頃も同様。忙しいからと自分に言い訳して、見ないふりしていた。 見ないふりばかり。そうやってここ数年、具体的にはここ8年。 結局、そうならないようにそう安易に考えないようにしてきても、そこに行き着く。そこ。それはもう、そのように安易な、唾棄すべき安易な回路を作ってしまっているからだろうか?
何度も何度も、書いているように思う。書き続けているということは、もう当然のように失敗し続けているということか。 それでも、書いてからしばらくの間くらいでもきちんと生活できるなら、その成果はあったと思うことにする。何度書いても構わない。 しみじみ生活しよう。地に足をつけて、それは怠惰で退屈な日々ではなく、きちんとした日常を。
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