2003年07月31日(木)
激しさや仄暗さがないわけではないけれど
昨日の日記を書き殴ったら、ようやく本当に落ち着いた。 どうしてああも奴には魔力があるのかと思うけれど、当時も周囲がどんなに止めても突っ走っていたのだから、ワタシが弱いだけなのかもしれない。それにしても大変だった。夫がいる身なのにと、何をしたわけでもないのに反省してしまった。 全て内緒だけれどな。 いい加減、カモフラージュ日記を作成しようと思う今日この頃。
奴には当然ながら連絡はしない。あちらからワタシにすることもないだろう。 何かの縁(色恋沙汰ではなく)があればまた何かあるだろうし。じたばたしなくても、そういうものだと思う。何もなければ、それは縁がなかっただけのこと。 あの数年間があれば十分とも思えるし。
夫のことはとても大事で、この穏やかな感情をどう表現したらいいのだろうといつも考える。奴への感情はそれは本当に激流としか表せず、飲み込まれそうな勢いだったと今でも思うのだけれど。 この穏やかさに激しさや仄暗さがないわけではないのに、それを含めてとてもその表面は静かだ。こういうことを考えるたびに、これがよかったんだなあとしみじみ思う。 決して過去は否定しないが、この日々がとても嬉しい。
2003年07月30日(水)
激流の記憶
年内に奴が帰国することを知って数日、やっと落ち着いてきた。
それを知ったのも某経緯で人にあまり話せず、当然ながら本人に確認のメールなどできるはずもなく。とにかくひたすら鎮静化。ときどき空気から立ち上がるような記憶にくらくらしつつ、それでも会うことなく過ぎた時間の長さがワタシを落ち着かせる。
関係のあった期間よりも長く会っていなかった。 それなのにこの影響力。知った直後は本当にぐらぐらした。動揺した自分に気づいて更に動揺。まだ動揺する、という事実に素直に驚いた。 そして「こんなに早く帰ってくるなら」と一瞬でも考えてしまった自分の愚かさに更に驚いた。よい結果などあるはずもないことなど一番よく理解しているのにと笑うこともできずに真面目な顔で思う。それに、こう考えるのはもはや反射の域だということも理解している。
当時、このまま近くにいたらこの関係をずっと続けるだろうことは予測していた。二人とも弱くて寂しがり。毎日毎日顔を合わせる。なかなか奴の「一番の相手」とやらは現れない。関係を続ける条件は揃っていたのだろう。 終わることができたのは、奴が海外へ行ったからだ。なかなか会えない寂しさと不安が、もともと不安定なワタシを落とし、環境が不安定な奴を別の女性へ向かわせた。奴がその女性と最終的にどうなったのかは知らないけれど、ワタシにとってはその存在だけで十分だった。それでワタシの「傍にいる」という存在価値はなくなったのだから。
一緒にいた頃だって、より理想に近い女性が現れれば奴がそちらに向かうだろうことはよく理解していた。それは当然のことだろうけれど、私達の関係性はそんなことは容易く行われるようなモノだった。風が吹けば吹き飛ばされそうな、約束なんてどこにもない。 縛るモノは何もなかった。縛られたくても、そんなことはあり得なかった。奴がワタシのことを好きでいてくれたことはよく知っていたけれど、奴はワタシと約束をするまでには踏み出してこなかった。 それは臆病と言うより、やはりそこまでの感情はなかったのだろう。
奴は自分に相手が出来て安全な立場になってから、約束の言葉を言った。もうワタシが傍にいることはないから、過去にとっての約束の言葉を、もう遅い縛る言葉を。 自分がもうその約束をしなくてすむから。 多分、どこか馬鹿な人だからそんな自分には無自覚で、ワタシのことを思って、過去の関係にセンチメンタルになって言ったのだろうけれど。 ふざけるなと、それを受話器のこちら側で全否定。その甘さだけは許さなかった。 それまでの関係を覆い隠すようなソレを、許せるはずもなかった。
懐かしい遠い光景。しかし遠いけれど今でも感情の輪郭は明瞭で。 あの弱さも少し卑怯なところも不器用なところも自分自身に振り回されすぎるところも全て大事に想っているし、許せない部分も含めてそれでもシアワセを望んでいる。ワタシはそのシアワセに関与できないし、しないだけだ。 動揺はする。動揺はするけれど、それはもう仕方ない。 あの頃の激流のようなモノではないけれど、今はたゆたゆと満ち満ちているモノがある。ワタシはそこに浮かんでいる。時折、昔の流れを思い出すだけ。
2003年07月25日(金)
指標
結局、書き込んでしまうワタシ。まあいいか、という軽さ。細かく履歴なんぞをチェックしない人だし夫は、という認識。 カモフラージュと今後の為に、もう一つ日記を借りようかと考えていたけれど、エンピツでは無料版の貸し出しは無期限で休止しているので少し悩み中。有料版は年間900円。特に高くもないし今後の予定を考えると借りてもいいかなとは思うのだけれど、ほら、とにかく基本が無収入の立場なので。さてどうしようかな。
ちなみに今後のコトとは、HPを作成できるようにする勉強とか画像加工・作成の練習成果の発表の場を作ろうかなと。それは今でも趣味レベルでできるけれど、もう少し何とかしたいぞコンチキショウと考えていたりする。それに加えてまあグラフツールや某表計算ソフトなども勉強しようと。 これまで研究に携わってきたので、これらのことは自己流でどうにかできてはいる。人からの話だけで推測するに、おそらく少しは働けるんじゃないかなとは思う。 ただ、客観的に実力を示すモノがない。自分でもよく分からない。これまでの仕事で評価されたのは分析技術や直感的な能力だから。 性格改善からそういうことまで、まあ少しずつ。
ここ数日、何故かだらだらと無気力だったのだけれど、ようやくどうにか動けるようになってきた。もうすぐ梅雨もあけるようだし、早く青空を見たい。
2003年07月22日(火)
黒真珠
友人と『Hamlet』を観に行く。久しぶりの三軒茶屋。キャロットタワーに向かう道でやっと思い出す。そういえば来た事あるじゃん。 前回は、大学院に戻って奴と喧嘩したんだよなあとしばし感慨にふける。あのときの喧嘩は派手だった。終わりを覚悟したどころではなくて、終わったと思っていた。 今となっては懐かしい。
舞台のセットが興味深く、カラクリ箱のようで面白い。始まる直前、友人と何だ何だとしばし観察。御批判もあるようだけれど私は好き。 ハムレットは長髪で少し驚く。しかし今回最も驚いたのはオフィーリア。女性なのかと心の中でどよめく。すごく可愛い。後からパンフで確認。この方、歌舞伎で絶対観ているはずなのだけれど記憶になかった。目当てが別にいたからかしら。舞台後、友人と語り合ってしまう。
ちなみに、『Hamlet』の公式HPは以下のとおり。リンクは貼っていないです。 http://www2.horipro.co.jp/hamlet/
休み中に誕生日があったので、夫と銀座でデート。T真珠でアクセサリを買ってもらう。ありがとう夫。ここで買い物ができるなんて夢にも思わなかったよホントに。 かわいらしいアクセサリなので、普段着でも大丈夫なモノ。ありがたい。とても嬉しい。 それにしてもあのような店にいると、少しだけお金持ちな気分になるから不思議。包んでくれている間にお茶まで出してくれたりするからだろうか。
ちなみに今はネットカフェ。夫のPCはセキュリティがしっかりしていて、たかが履歴を消すくらいではだめなので。夫にばれてしまうので。 早く自分のマックの環境を整えよう。 これくらいの秘密は持っておきたい今日この頃。
2003年07月18日(金)
弱者と強者の境目が明瞭なもの
やりきれなくて気が滅入る。そんなニュースの多い今日この頃。 おそらく昔から実はあり、でも最近はそれが露わになってきただけなのかもしれないけれど、それでも溜息の出る報道ばかりが流れているのはやりきれない。そんなに昔はあったっけ?と首を傾げてしまいたくなる。いや、事件によっては昔からあったとは思うけれど。事件によってはやはり最近の傾向なんてのもあると思う。 朝からがっくり。はう。
稲城市の小学生監禁の事件である。昨夜、夫と少し話していた。 ワタシの場合、どうしてもある方向に過敏になっていて、それはレイプとか幼児虐待とか監禁やDVや集団暴行や「いたずら」(柔らかく表現されているけどそんなんじゃないから侵略だから暴行だからたとえ外傷はなくとも)といった方向性の事件。聞くと力が抜けてぐったりしてしまう。 何というか、弱者と強者の境目が明瞭なもの。いや世の中それしかないのかもしれないけれど、ある閉鎖された状況下ですごくすごくそれは表面化すると思う。その関係が目の前にあるようで本当にげんなり。共感しすぎて、そんな自分に落ち込んでしまう。それは過剰すぎる反応だとは思うのだが。 その過剰な反応を夫の発言等にまでしないように、深呼吸して話をしている。ワタシのこの感情はぶつけるモノでもないしぶつける対象はない。だってただやりきれないだけ。
某巨大掲示板なんかでは「自業自得」という話も出ていたようだけれど同情できないという話もあるけれど、確かにそういう部分はあるのだけれどそれでも悪いのは明らかに犯人だ。愚かで安易な行動をしただろう。それは確実。でも悪くはない。その安易さや愚かさにつけ込んだ犯人が責められるべき対象。そういうモノなのかもしれないけれど、それでも。 公開捜査になる前でよかったと思う。このような事件ではその先が生きづらい。自分の内側で嵐が続くのに、外側でも嵐が続いては本当にキツイものがあるだろうから。 被害者には反省しなければならない部分は勿論ある。今回の行動はとても危険で考えなしだろう。けれど過剰に自分を責めることはないし。今は何より神経を休めるべきだし。過剰な報道や、某掲示板であるような不必要な個人情報流出はないといいなと願うばかり。とにかく、生きて帰ってきてよかったと思う。その後の日々がどんなに辛くても。
夫と話していたけれど、それにしても渋谷などへの繁華街への敷居が低くなったように思う。情報は簡単に手に入る。そして惹きつけられる情報が溢れている。お金は簡単に手に入る。それは安全な顔をしてやってくる。 殆どのヒトは「私は大丈夫」と根拠のない自信があるようで。それは「そんなことが私の身に起こらないでしょ?今までなかったもん」というような。 そして多くの場合は何事もなく。でも、何事がある場合だってそこら中に溢れている。
価値観なども変わったように思う。変わったというより、すごく極端なことになっているような。私が思春期だった頃もそんなもんだったようだけれど、情報やお金が入りやすくなっている分。より身近になっている分。 夫が「お金でしか手に入らないような楽しみしか知らないってのは気の毒だね」と気の毒そうではない口調で言う。それもそう思う。お金で得られる快楽はとても手軽で刺激が強い。でも楽しみはそれだけではないのに。もっと楽しいことなんて周りにあるのに。 その楽しみを見いだせない環境なのかしらん。それはとても寂しい。
子供の教育が大変な時期だろうなと思う。お金が欲しいからアルバイトをする。とても正しく見えて、でもとても安易だ。生活を保障されている子供にとって、その思考は特に(生活が保障されていなければまた別)。 そのお金は何に使う。その使う対象は本当に必要なのか。その快楽は本当に大事なモノなのか。そこまで考えて初めて「お金が欲しいからアルバイトをする」に辿り着くのではないのか。かしら。ねえ。 更に、いわゆる「知らないヒトについていってはイケマセン」という教えを越えた犯罪を仕掛けてくる悪い人なんて大勢いる。教えるヒトの考えを上回って仕掛けてくるのだろうし。 そして誘惑は周囲に溢れている。大人だって惑わされるのに。 安易で愚かで刺激的。なんていう。
ああでも書いていて、少なくとも快楽って「必要」とかではないか。必要ではなくてもう体に心に染み込んでしまうしね。難しいよーぬー。 しかも書いていて自分に悪影響。深刻モードになっているですよ。口調を変えてみたけれどそれでも拭い切れません。ぬー。
そういえばここで書き始めて2年経ちましたですよ。お世話様です。今後ともよろしくです。長々書いているなあと思いつつ。少し気分を上げて終わらせませう。ぬー。 でないと朝からめりめりと。むぅ。
追記: 多分、最初に「アルバイト」と出て内容が知らされていなかったとき、多分ぽんっと思い浮かんだのは売春つうか援交だと思うんですけど、っていうかそうなんですけど(それでとてつもなく滅入っていた)。 子供の売春の法律については少し疑問。まあ今回は売春目的のバイトではなかったですけど(被害者が考えていたのは)。 自主的に売春した子供に対して罰はなくとも、なんかやることがあるでしょうとは思う。売春していた成人女性は罰せられるんでしたっけ?子供だってそれなりの年齢なら考えがあってできますからね。自主的な売春なら何かその子供に考えさせる対処は必要な気がする。ただし背景に大人がいて「せざるを得ない状況」ならまた別。もしくはそれまでの児童の経緯で「するのがもうなんつーか当たり前じゃないの?そうじゃないの?」という所まで自分を持っていかされている場合も別。でもややこしくなるのかな? ていうか、売春している成人女性を罰するなら買う方も罰しろよ。
2003年07月13日(日)
食べて・うつつに
土日はのんびりと。 風邪気味の夫と図書館へ行き、適当な量の本を借りてくる。夫は推理小説(短編集)、ワタシはエッセイ。趣味が出ている。これらをベッドに並んで読んでいた。もうごろごろと。こういう休日はいいなあとしみじみ。 御飯は簡単に。二人ともそんなに食に執着はないよう…というか拘るときとどうでもいいときに落差が激しい。この休日のメインはのんびり読書。ワタシが一人台所に立つこともなく夫が以下同文。夕ご飯は松屋へ。結構好き。味噌汁がついているのがお得感。
松屋はなんとなく思い出深い。大学生の頃、バイトに行く直前に慌てて御飯をかきこんでいたのは松屋。女一人で、しかもスーツで。 抵抗がなかったわけではなく、早い安い旨い系の店へ入ること自体が初めてで抵抗ありまくりだったのだが、バイト中に空腹の虫を鳴かせるわけにもいかなかったのでとにかく平然とした顔を作って入っていった。時間があれば喫茶店でもよかったのだけれど、授業の後に駆けだして行くような慌ただしさでそんな時間はなく。バイト先の仕事前にパンをパクつくのも厭で。 別に恥ずかしがることもないように思うけれど、女性客が少なかった店で目立っていたように感じるお年頃。自意識過剰気味。今なら特に何もなく。ああ若かったのね、ということで。
大学院に入ってからは吉野家の方が近かったのだけれど、松屋も少し離れたところにあった。ついでに言えばてんやも。なかうも途中でできた。 奴とよく行ったのはどこだったろう。どこも同じように行ったような気もするけれど、少し離れていたせいか、二人きりで行ったのは松屋とてんやだったように思う。 松屋へは夜中しか行っていない。分析作業の最中に、お腹が空いたと実験準備中の奴がやってくる。一緒に行く?と訊かれれば当然、尻尾を振ってお供した。歩くヒトも少ない時間帯。静かな大通りを歩く。 実験準備が終わっているときには奴はビールを飲んでいた。帰りには少しご機嫌になっていて、だからワタシの分析は進まない。
それも今は遠い映像。ワタシは分析をすることはもうないだろうし。今後、奴に会うこともあるのか分からない。 牛飯をほおばるワタシの横では、夫がカレーを食べている。カレーは家カレーの方がいいなあと呟く夫に、なら今度作るかなと言う。こうなると思っていなかった日々が目の前に。これが今のワタシの日々。 家に帰れば、またのんびりと本を読む。二人でベッドに転がって。
2003年07月11日(金)
散漫な思考で
なんというか、堕落した一日。 一日交代制などというのだろうか。勤勉な奥様と堕落した奥様。それでも一応、時間内に最低限の家事は済ませるのだけれど、どうも希望通りというか理想通りというか、こうありたいという奥様にはなかなかなれず。単に本人の問題。誰も交代していないし。 蒸し暑い一日で、脳みそも溶けているよう。
そろそろ本当に真剣に結婚式について話し合わなければならない。先日会った母親は、本人達の好きにしなさいどうでもいいからというスタンスをとりつつも心配な様子。いや好きにはするけどね。でも、最大の理由は(双方の)親達のため。 見せたいのですよ。きちんと新しい家をつくっていますよっていうか、そういうところを。 ウェディングドレスに執着はない。どちらかというと、友人を呼んでの二次会の方が執着あり。理由は色々。でもそのときだってドレスは着なくていいやとすら考えている。夫が見て喜んでくれればそれでよし。
母親は、ワタシがよしとするならば専業主婦でもなんでもいいらしい。小さい頃からあれだけ言い聞かされたこちらとしては、なかなかその考えから逃れられないモノなのですけれど。精神的に追いつめられていた数年間を見て、そう考えたのでしょうかお母様。 ワタシとしても、少しずつではあるけれどこの生活にこの状況に対して安定してきた今日この頃。金銭的には働いた方がいいだろうけれど、これでもいいかなとも思う。 でもまだ、可能性を考えていたい。ていうか、資格を取ろうよ。
つれづれ。 まとまらないまま。
2003年07月10日(木)
過剰反応
昨夜、夫と喧嘩。長崎の少年事件で意見の食い違いというか、なんというか。 直接関与していない事柄に対して、夫はどちらかというと醒めた冷めた見方をする人。ワタシはというと、基本は醒めているように思うのだけれど方向性によってはかなり過敏に反応してしまう人だ。力が抜けてしまってゲンナリする。怒りを通り越して悲しくなってしまう。 夫の突き放しすぎて茶化すような言い方に過敏になっていたワタシが過剰反応し、その言い方はいやだよ、と一言ですむ話を変に言ってしまい、その言い方と夫を放っておいて悲しがるワタシを見て夫が怒る、という順番。なんつーか。 夫には以前からよく、どちらが大事なのかわかっているのか?と言われてきた。どちらか、というのは「直接関与していない事柄への悲しみ」と「そんな妻に変に当たられて悲しくなる夫」のどちらを大事にするんだ、ということなのだけれど。つうか当たってはいないのだけれど。
いつもそう。夫の言い方に違和感を感じてもしくはカチンときて、それを伝えようとするのだけれど変に考えすぎて妙ちきりんなコトになり、結果、夫が怒る。別に大事にしていないわけでもないんだけど。でもやっぱり、変な言い方で伝えられる夫の気持ちを考えられていない分、その時点のワタシは夫を大事にしていなかったのかしらん。まあそういうことだろうな。夫は特に、言い方がかなりきついことはあるけれど、ワタシの気持ちを蔑ろにしていることはないから。
多分、少し過敏な部分なんて誰にだってあるのではないかと思うのだけれど、それにキーンと触れてくる事柄はとてもきつい。流れ込んでくるコトをそのまま流そうと流そうと頑張れば頑張るほど、どよどよと残ってしまう。溜まる。 どよどよしている妻を見て、夫が明るくいられるはずはないのに。ううう。
本日の目標。目の前の日々をとにかく生きよう。明るく楽しく。ワタシの目の前の日常に悲しいことはないのだから。
2003年07月08日(火)
人々はワタシの中を素通りしていく
ようやく家計簿4月分入力終了。それでもまだ2ヶ月分のレシートが横に。項目を細かく細かく分けてしまうのが遅い原因なんだろうけれど、そうしないと落ち着かない。夫に話したら「その通り」と言われる。 仕事をしていた頃もそうだった。無駄に(そう一概にも言えないけれど)細かくしてしまって作業が遅れる。でも細かくしないと納得できない。落ち着かない。ああだから使えない人なのに、と何度も思った。ならよせばいいのに。 のんびりした生活をしていて忘れていた。やっぱり性格は変わっていない。
昨日は家事を終えたらぷっつりと緊張感が切れてしまって堕落したので、今日こそは頑張ろうと決意。少し寝坊したけれど弁当も作成し朝のスープも作成し出勤する夫を見送る。なかなかよろしい。調子よし。しかし午前中のうちに挫折。 ふと目が覚めてみたら正午。 午後はそれなりにきちんとできたのでよしとする。よしとしよう。うん。
晩ご飯は野菜中心に。基本的に野菜だらけの和食が我が家の食卓。若者夫婦とは思えない低カロリー(多分)。醤油とごま油とみりんの消費量が激しい。もうなくなっていた。 今日はさらに料理用の日本酒と小麦粉と塩とビールを購入する予定。重いに違いない。シェイプアップ。
夢の中で、大学院時代の後輩の名前が思い出せなくてぐるぐる困っていた。ふと目を覚まして、携帯で確認してしまう。 人の名前がなかなか覚えられない。基本的に、人々はワタシの中を素通りしていく。少しだけ残った友人達だけが中にいる。昔の恋人がいる。 こういう人間でいいのか悪いのか。昔からこうだっただろうか。それともあれから変わってしまったのだろうか。
2003年07月07日(月)
最近の遊び事
朝から雨である。洗濯をしようというこの平日に雨。休日に晴れれば夫と散歩に出かけられるのでそれはそれでありがたいのだが、洗濯日に雨なのはちと痛い。 電力不足の夏、水不足も怖いので降ってくれないと困るけれども。
昨日はネットにはまり、夫が寝ている横でひたすら検索。大昔の血が騒ぐのか、時々漫画にはまってしまう。昨日はベルセルクのセルピコに。予想通りに女性に多くうけているようで、彼女らの感想を読みながらそうよねそうよねと頷く。 イラストを描いてみたりとか文章を作ってみたりといったはまり方はしないのだけれど、なんというか、同じような感想を持っている人と同調したいよう。そうなのよそう思うよねそれがいいのよね、といったような言葉。単にミーハー。漫画のキャラにミーハー… いやでも、いいよセルピコ。ジュドーが好きだった人って、その後にセルピコを好きになることが多いのではないかしらん。偏見だけど。ええ偏見なんだけど。 読んでいる人にしか分からないことばかりで恐縮。
夫とUOについて会話。彼は学生時代に遊んでいたそう。少し興味。 でもこれ以上遊んでしまったら、いつ家事を。いつ結婚式の準備を。
2003年07月06日(日)
夏休み最終日
朝の7時近くにやっと眠り、起きてみたら昼。そして夫はワタシが寝る時に見た姿勢のままゲーム。寝ろよ。つうか風呂はどうした? どうもコツを掴みかけてきたので「このまま頑張ろう」とやっていたそう。いやそれはいいんだけど、一睡もしてないよ、君。明日は月曜。夏休みをとってくれて4日間も一緒にいられたけど、でも休みは終わるんだけども。 現在、夫は入浴中。恐ろしく汗くさいのでとにかく入れと追いやった。もう眠いのを通り越しているそうだけれど、寝ないでいられるだろうか。疑問。 結婚式の話はいつになることやら。二人とものんびりしているからこのままずるずるになりそうで、少し不安。二人の気持ちはいいんだけど、親達と世間様に対しても、とにかく式を挙げないと(主に親のため)。
休み中はディズニーランドに行ったものの、基本的にはインドアライフを堪能。DVDを借りてきては映画三昧。ネット上の某所から落としてきては昔のアニメ三昧。 そろそろ落ち着こう。明日からは日常。夏休みはしばらくないし。
晴れていると「洗濯しないと洗濯洗濯」という気分にかられるけれど、自分が起きたのは昼だから間に合わないから乾かないからと諫めてみたり。だいぶ奥様。かなり奥様。 結婚して3ヶ月。うまくいっていると思う。
2003年07月04日(金)
同じ匂いのする傷モノ同士の関係性は恋愛には発展しにくい
一人の男友達がいる。 友達、という関係では厳密にはない。大学時代のサークルの後輩で、やはりどちらかというと先輩後輩の関係なのだろうとは思う。けれど、彼に寄せる信頼はその関係ではない。友達でもないのだけれど、特にあう言葉がない。 その彼は、夫と高校時代からの友達で(当時は知り合いレベルだったのか?)。大学でのサークルも同じで。 大学当時は夫よりその彼との方が仲が良かった。
確か講義が終わった後の暇な、歓談ホールでの時の話。 彼の生活の中でおそらく、今でもその話を話したのはワタシ一人だろう。そのときからワタシは絶大な信頼を彼に。具体的な事柄で頼りになるとかそういうことではなく、本当に心から、心だけの信頼を。
それは同類項で括弧で括れる同士だから。
ワタシの事情は酔っぱらったときに話したような記憶がある。話した、というレベルでもない話し方で、伝わっているのかも確認していないけれど。 ただワタシの方は基本的に人にはぺらぺら話す方で、それはその事情の「事実」よりもその事情で明らかになったワタシの腐った内側の方がワタシにとって大きな問題だったからだ(と思う)。ワタシは事実は話せても、その時のワタシの内側は話せない。多分、誰にも。 閑話休題。 だから、抱え方は微妙に大きく異なるのだけれど、そして彼としてはワタシと同類項などごめんこうむるお話かもしれないけれど、それでもワタシは勝手に彼に信頼をよせる。
彼は決してワタシを傷つけない。最大級の傷をつけられるコトを、彼はしない。 ワタシはただ彼の傷口に触れないように、できたら癒える方向性で、ぺたんこの靴を履いていた。比喩として、そして現実でも。
こういう関係だから、ワタシと彼とでは恋愛になど発展しなかった。一時期、どうしてもワタシがぐらぐらしていたときに血迷って提案してみたこともあったけれど、彼は賢明な判断をした。 同じ匂いのする傷モノ同士の関係性は、恋愛には発展しにくい。 絶大な信頼があっても、無理。恋愛とは大きく違う。なりえない。
少なくともワタシと彼とでは無理だった。ワタシのことだけを言えば、ワタシが無理だった。彼に求めるモノが恋愛と質が違う。 そしておそらく彼の方も。彼は決して踏み越えてこなかった。
彼の事情の後日談は一回だけ数年前に聞いた。それ以後は知らない。 なかなか会わないし、会ってもそんな話をすることなんて、殆どない。訊こうとも思わない。 ただずっと、彼にも大事な人があらわれないかなあと祈るだけだ。同じ匂いの人間でなく、でも心から信頼できる人が。傷なんて裂けたって、それでも一緒にいられる人が。
2003年07月02日(水)
この日々があることにとても感謝をしている
ときどき、昔を思い出してみる。 自分がこうしていられるのが不思議になる。特殊な環境にいたわけでもないし、特別災難にあったわけでもないけれど、こういう穏やかな日々を自分の先に想像していなかった。 何も想像していなかった、と言った方が正しいのかもしれない。大学院に進んだり、就職先を決めたりしながらも「先」を実感できることはなかったように思う。「今」しかなかった。今これを決めないと先に進めないから、様々なことを決めてきただけ。 なんでだろう。忙しく働いていたって研究していたって、穏やかにいられる人は大勢いるのに。
大学時代のワタシの印象は、地に足のついていない人、だったらしい。 夫と当時の頃のお互いの印象を話していて、彼はそう言う。他の人もそう感じていたそう。基本が不安定な人間だからねと言うと、「そうだからだろうね」と頷く。 まあそうだろうなあと苦笑。多分、どこから見てもそうだったろう。今は?と訊くと、ずっと落ち着いたよと夫は笑う。
基本はおそらく変わらないまま。 それでも、どうにかうまくやれるようにはなるものだろうし。 一緒にいてくれる人に、一緒にいてもらえるようにしていたいし。 穏やかな日々。
|
|
index
ご来訪、ありがとうございます。
あまり更新されませんが、その期間はおそらくきっと、元気にやっています。
|
サイト説明
内容
不定期更新日記のみ.
リンク
貼るも剥がすもご自由に.
自分
海棠
連絡方法
メールはこちらから
|
|