xxxxxx 表面張力(仮)

虚実入り乱れても記録
20010802--



2002年08月27日(火)

時間軸の先の方から

 昔の自分に報せたい,と思うときがある.特に,かつての日記を読んでいるときに.
 数年後には,こんなにシアワセな状況にいるんだよ,と.


 吉本ばななのエッセイにそんな話があったけれど,私の場合は彼女ほど昔の自分に対してではない.ほんの数年前の自分.後悔しないようにしないようにと日々しているけれど,その数年間は後悔すること・後悔しないでいるけれども何とも言えないことが山の如くに存在している.
 それらは全て私自身の軌跡であるからにしてなんら拒絶はしないし,戻ってやりなおしたいとは思わない(だいたい過去に対して,あの頃(はよかったから)にかえりたいとかあのときに戻ってやりなおしたいと思うことは殆ど…全くと言っていいほどない).しかしときどき,当時の自分に,その頃は信じられなかったコトが起きていることを報せたいと思う.ほんの少しだけ.ほんの一瞬.
 次の瞬間には,ばかだねえと一人笑って打ち消すけれども.


 なんて恵まれているんだろう.
 かつての自分は決して不幸やら不運やらではなかったけれど,明らかにバカだった.「ばか」でも「馬鹿」でもなくカタカナの「バカ」.軽く明るく自棄だった.発作的に泣いたりしていたけれど,すこーんと突き抜けたような感覚だった.

 頭上には遠く遠く青空があって,それを平坦な谷の底で見上げている.平らなたいらな谷底をゆっくりと歩いている.遙か上には空がある.そのことは知っている.今いる場所には陽があたらない.それでも青空は見えている.真っ暗闇ではないことに安心している.だって頭上には空がある.遠く遙かな空が.
 空の明るさで自分の姿は見えている.はっきりと見えている.何をしているのか分かっている.どういう先があるのかも分かっている.自覚的に,あくまで自覚的に.
 いつもそんな場所にいて.
 そのワタシに,よく知っている人が一回だけ言つた.

「そのまま突き進んだら,あるのは崖じゃないのか」



 その一言で目が覚めた,なんてドラマのようなことは全くなく,どちらかというとそう言うのも分かるけどでも君が(その君がその口で!)言うかねと思わずにはいられなかったその当時.人生全てがうまくいくとは思っていない.能力にはある程度(あくまである程度だが)恵まれ,運に恵まれ,周囲に恵まれ,他に望むのは贅沢じゃないのか.
 多分やっていける.別に少しくらい何かなくても仕方ない.
 それに,どう考えたってちょっとした欠損であって哀しむことではないし.
 本当にそう思っていた.心からそう思っていた.思ってたことは本当だけれど,それでも少しだけ,願わずにはいられなかったように,今なら思う.

 多分ワタシは願っていた.
 自分一人ではどうしても無理なこと.

 救って欲しいなど思わない.人は人を(基本的には)救えない.どうにかできるのは自分だけで,救われたような気分になったときも,「救われた」結果を出すのは自分しかいない.基本的に世界は自己責任だ.
 けれど,どうしたって自分一人では無理な局面もあったり.無理なこともあったり.
 そういうときに顕れる偶然の采配.過去に気づかずに蒔いた種.ふと手に取ったパズルのピース.
 何かに感謝せずにはいられない.周囲に?社会に?カミサマに?

 (このことは逆に言えば,何かを恨まずにはいられない,ということになるだろう.それをワタシは否定できない.私自身はそのようなことを思ったことは幸福なことにないのだけれど.)
 (そういう状況下の人もいるだろう.ただそのときにその場所にいた,というだけで.)
 (ワタシはそれを否定しない.否定できない.)


 先に何が起きるかわからない.どうなっているかわからない.
 でも,それでもいいんだと思う.やっていけばいいんだと思う.この時間軸の先の方で,もしかしたらそこの自分は今の私のように思っているのかもしれないし.


2002年08月26日(月)

自分の場所

 昔から家を出たかった.

 私は家族に恵まれていて,とてもシアワセに育てられていて,家族のことは好きだし大事なのだけれど,それでもどうしても出たかった.甘やかされている自分を知っていたこともあるのかもしれないし,単に一人暮らしにあこがれていただけかもしれないのだけれど.ずっと一緒にはいられない,そう感じていた.
 その一方で,生まれ(は微妙に違うが)育った場所を離れる,というイメージを持てるようになったのは,だいぶ後になってからだ.家の側には川が流れていて,土手には四季折々の草花があって………中略………そんな風景.異なる場所で生活をする,ということはなかなか,考えられても感じられなかった.引っ越し・転校,ということをしてこなかったからだろう.多分,転勤族の親を持った子供はまた別の感覚を持っているのではないかと思う.


 今の私は,全く異なる環境で一人で生活している.おそらく,大事な家族と一緒に暮らすことはもうないだろう(将来的に両親と暮らすことは可能性としてあるが,そういう意味ではなく).
 数ヶ月だというのに,既に自分のペースで生活を繰り返している.これから更にそのペースは形作られていくだろう.それを他人と共同で作り上げていくとしたら,その相手は多分,一緒に生きていくと決めた人間.
 家族が大事なことにかわりはないけれど.



 今の恋人と将来一緒に生活していくかどうかは分からない.先のことなど知らない.現時点での私は,そうだといいなと思うだけ.
 一人で生きていくのも構わないけれど,一緒にやっていこうとお互いに思える人がいたら自分にとってはいいだろうと思う.甘い夢ではなく,曖昧な期待ではなく,現実的に.
 懐かしい場所から離れて,大事な家族を出て,別な場所で(もしかすると別な人と共にいられるような).
 自分の場所を手に入れたくて.



 まとまらないまま,ここで終了.


2002年08月23日(金)

夏の造形物

 家で恋人が御飯を作って待っている.
 彼はまだ夏休み中なので,会社に行く私を見送った後,家に残って家事他,をしてくれている.主にしているのは夏休み中に晴れて購入したPS2のよう.喜々として「かまいたちの夜2」をしている.私にも勧めるが,怖い画像が出てくるのは好きではないので気分はイマイチ.
 先程のメールでは,ゲーム中の彼はどうも私に殺されたらしい(恋人はゲームの主人公とヒロインに二人の名前をつけている.微笑ましいやら以下略).おいおい.


 仕事はどうにかこうにか進めている.やり直しの憂き目にあったが,どうにかこうにか.
 でも今日はもういい.帰ることにする.



 世の中には哀しいことばかりではないと思うのに,それでも哀しいことはイヤに目につく.どうしてこんなに哀しいことばかりなのだろうと思うのは,それは私が弱いからだろうか.単に弱い方から見た世界なのだろうか.
 種の保存の本能の喪失?弱いモノは更に弱いモノを際限なく潰していく.
 どこまで?

 それをしないために,厄介なまでに大きくなった脳みそがあるのだと思っていたけれど.



 自分が,色々なことを見ないフリできるようになったことには気づいている.気づかないフリまではできなかったようだ.でもそのうちにできるようになるのだろうか.私は何も見ていなかったと,自分に言いきかせて信じ込ませるようになるのだろうか.
 そうやって,自分のコトにも気づかずに.人のことにも気づかずに.




 もう風化して土になっているような気がするのに.
 わざわざ水を加えてこねて形を作っているのだろうか.


 おろかもの.


2002年08月22日(木)

少年時代

 さようなら,夏休み.
 もう少し君と戯れていたかったよ,夏休み.



 ということで休み明け.
 今後ともよろしくお願い致します.


2002年08月16日(金)

ぼくの夏休み

 ぎりぎりまで仕事をして夏休みゲット.
 すいません.一週間近くは更新ありません.休みます.

 ビバ!夏休み!
 目標としては発熱しないように休むこと.ああ切ない.


 それでは皆様,しばしのあいだごきげんよう.


2002年08月14日(水)

相関関係

 忙しかった.その一言につきる.

 月曜から始まった3日間のセミナーは外部からの人々がメインである.こちらはホスト役.私は少なくともそう認識しているので,その認識の元で動くのだがまあ忙しいっつうかなんつうか.
 それに加えて日曜から発熱していたため,更に鬱陶しいことこの上ない.リゲインを飲んで出勤した昨日が一番熱が高かったのは何故だ.


 発熱はおそらく疲れで,暑さ負けしているのでその一環だろう.もともと疲れやすい体質で仕方ないのだが,毎朝,鏡をのぞくと少し腫れぼったい顔をしている自分にうんざりしていた.
 カラダが「微妙に」弱い.
 幼い頃に極々軽いとはいえ慢性腎炎をこなしているため,どうしても疲れやすいし疲れがとれにくい.何故だかよく知らない自分に今気づいたが,そういえば何故なのだろう.幼い頃からそう言い聞かされていたために考えてみようとしなかったな.

 閑話休題.

 だから体力がないが,その代わり他は丈夫で,少なくとも風邪はひかないし熱もなかなか出ない.肌は爺ゆずりで弱いけれど,アトピーで苦労した友人を知っているので特に何とも思わない.
 ただ,それでも時々思う.もう少し使える人ならいいのにな,と.
 そうして次にすぐ思う.そうやって体力のないことに全てを押しつけてしまうのは安易な逃げ方だと.やめておけと.



 このことは考え始めると長くなるので,今晩はこの辺で.
 帰ります.熱が下がっているといいなあ.


2002年08月09日(金)

影のない絵/やりなおしの日々

 分析の仕事が一段落.
 といっても,仕事は滞り山のように積み上げられている.背後で「はやくーはやくー」と囁いている.つげ義春?風に表現するなら真っ黒の人が背後に静かに立っている.しかも大勢.部屋が狭くて入りきりませんよアナタ.
 明日の花火大会大作戦を先輩と話していたら,同僚君が「海棠さんがこんなにてきぱきしているのを見るのは…」と曰った.首を絞めて訂正させたが,多分事実なんだろうなと自分のせいのくせに一人前に落ち込んでみたり.自分のせいだろ明らかに.

 人に言われた仕事はできるのに,急かされない仕事は遅い.計画性がないんだよ.
 社会人の先輩である恋人に「毎朝,今日一日の計画をたてるんだよ」と言われる.しかし既にしてきているのだが.何故.




 さわやかに晴れ上がった夏の青空は好きだ.遠くまで濃い青.痛いくらいの太陽光線.
 そこでは過去も現在もいっしょくただ.ごちゃまぜに混沌と闇の中だ.ときどき熱気にあおられて,陽炎のように過去が目の前に浮かび上がる.
 自己責任の大爆笑.
 いつまでも離れない足下の影.

 影は暗闇なら見えないからと愚かさ一直線の道に一歩だけ足を進めたこともあったけれど,それでもどこかでわかっていたのではないかと今なら思う.
 どこにいても影が離れることはない.

 たかだか一歩で大袈裟だよなと思うけれど,足を引っ込められてよかった.どうしようもなく馬鹿で愚かで安易でも,引っ込められてよかった.
 (それについては心から周囲の数少ない優しい人々に感謝している)
 (感謝しかできなくても,それしかできないなら心から.引っ込めさせてくれた人々に)

 今の私はどう考えても過去のワタシがしてきたことによって築き上げられているわけであり,このままで生活していこうとするならもうそこは腹を括るしかないわけで.
 呑み込んでやっていくことなわけだ.そういうことだ.

 それにまあ,影のない絵画なんて現実味ないし?



 やりなおしの日々を生きている.
 その日々がどんなにイヤな時でも辛いときでも,それでも最終的に心の隅で,その日々をおくれることに感謝しながら過ごしている.やり直す前も後もシアワセでいさせてくれた家族に,友人に,周囲の人々に,そしてこれから一緒に生きてくれると言ってくれた恋人に.
 シアワセに生きている.なんて果報者なんだろう.


2002年08月06日(火)

抱き合えば傷だらけ

 ベッドから起き上がろうとして腹の激痛に思わず転げてしまった。

 隣で寝ていた恋人が驚いて起き上がる。どうしたのと訊かれても、あれ、もう痛くはない。ただ腹筋の要領で起き上がろうとすると痛いのだ。一瞬、内臓が変になったかと思うくらいに痛いが、何度か動いてみると、どこが痛いのかはっきり。


 腹筋。



 その事実に恋人と顔を見合わせる。どう考えても原因は明らかだ。



   症状:腹筋の痛み(筋肉痛?)
   原因:遠くへ幾度もトびすぎ?



 ・・・馬鹿二乗。



 恋人がしみじみと「ごめんねー毎回満身創痍だね」と言う。いや単に二人ともバカだからでしょう。


 八月の最初の日記がこのような馬鹿でどうしようもない話で始まってうれしい限りである(削除するけどな)。私にとって八月はどうしようもない憂鬱な月であるから。



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