今日もよくダレてます | |||||
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2015年11月23日(月) |
最近、とても疲れる。 年齢的なこともあるとは思うけど、先生の言った通り、両親のあれやこれやで気が張っていたのが落ち着いたからと思う。 薬は頭の回転が鈍くなるから先生には内緒で、朝は飲まない。 夜も。 眠れないと困るから寝る前の眠剤じゃないやつしか飲んでない。 それよりも、hiroにくっついて肌を合わせるとチカラが抜けてほっとする。 鬱期なのか、しんどくてこないだは一人で泣いた。 どうして当たり前のことができないんだろう、と、自分を責める癖をやめたいけど、頭の中はそれでいっぱい、歯磨きやお風呂もしんどい。 ましてや、オシャレとか無理で、毎日着るものに困る。頭が働かないので、わからなくなる。仕事でも気の利いたことができなくて、後でああと後悔する。 そんなのを察知したのか、あまりにも痩せて、MAXより10キロ以上痩せたのを見てたからか、昨日お買い物に連れて行ってくれた。 安いのを探すのは、前回同じところに行っててhiroも知ってて。 これどう?なんて見つけてくれた。 痩せると靴もぶかぶかになる。 その話をしてたら、靴も探してくれた。 うれしい。ネットで見つけたのでまだ家に届いてないけれど、hiroは私より私に似合う物を見つけてくれるので、楽しみだ。 ドンキに寄ろうよと言うので行ってみた。 時計の所で止まった。 もう何年も前に時計をプレゼントしたのだが、壊れてしまい、メーカーに修理依頼もしてた。 白いもので今やすっかり黒くなってもいる。 自分で分解してまで直そうとしてた。 一方私も時計をプレゼントされた。何年前だろう。 とても気に入っていて、ブレスレッドみたいで、いろんな人から褒められ、どこで買ったの?とよく聞かれた。そのぐらいオシャレに見える。 最近しないのは痩せてしまって時計がぐるぐるまわるし、仕事をすると机にいちいちぶつかってしまうから。 ドンキで何気なく今流行りの時計を見ていた。 hiroがほしいのはGSHOCK。 なぜなら、主にサーフィン用だと思うけれど、タイドグラフが付いてるから。 タイドグラフ付きを探した。 まぁ、ここで買うことはないかもしれないけれど、実物を見れるからいいよね。 そしたらhiroがペアのがいいと言った。 初めてのことのような気がする。 嬉しかった。 今まではそんなことなかったような気がする。 あったかな? でもできたら嬉しいな。 |
2015年11月18日(水) |
久しぶりにゆっくり眠った。 何もしてないけれど、ここが山場だという日々に、両親に申し訳ないが今は無理、後でやるからと宣言した。 宣言したら、自分の気持ちの中にあるモヤモヤ、いつもどこかにある両親への心配を忘れることができた。 その後に三連休取れて、あんなに眠れなかったのが嘘のようにぐっすり。 日曜の朝、こんな気持ち良い目覚めは久しぶりだと、ベッドから起き上がってテレビをつけたら違和感があって。 そのまままためまいが起こった。 まただよ。 目も前のものが縦にグルングルン回転してもう体に力が入らずひたすら収まるのを待つしかない。 以前何度も起こしてる。 だいたい半日から10時間かな。収まるまで。 めまいは起こした時で無いと診断できないと言われて、結局いろんなお医者さんを巡ってもストレスですねで終わってて、困ってた。 いつも朝起きてしばらくすると起こる。夜にはならない。 吐き気もする。怪我を覚悟で部屋を転がるのが精一杯。 口もうまく回らない。 脳だとやだなと思ってる。 今回は慣れたもので、そのまま動けないので父を大声で呼び、近くに吐けるゴミ箱を置いてもらい、収まり辛うじて数歩歩けるぐらいになった所で再度父にお願いして救急の病院に行った。 問診票もぐるぐる回るので当然書けないし、父も慣れたものですぐ車椅子に乗せてくれた。 担当医がたまたま丁寧に診てくれて、私の話も聞いてくれて助かった。 本当は入院させられそうだった(笑) それでもよかったのだが、両親のことがあるので帰宅し、耳鼻科に検査に行った。 同じことの繰り返しで、ただ今回幸いしたのは翌日もまだどこかフラフラするなと思ってたら案の定眼振があったみたいで。 だが耳鼻科の先生はなんとなく信用のおけない感じで、また原因不明になるのかと思った。 以前は脳外科の先生に、精神科の薬を見せたら態度が一変して頭ごなしに怒られた。苦痛だった。いろいろな病院に行くたび、お薬手帳を見せると、ヒク先生の多いこと。 ふと、思いついて叔母に電話した。 この叔母は叔母たちの中で私が子供の頃から信頼してる叔母だ。 実直で少々頑固かもしれないが、嘘や偽りはない。 確かめまいで医者に行ったと言ってた。 久しぶりに話した。 違うのは、叔母はフワフワめまいで私が回転なこと。 私のほうが長時間なこと。 一緒なのはまったく動けないこと。 吐くこと。 まず言われたのは突発性難聴のこと。 あ、私もなった、思い出した。 すると、叔母の話ではなった時にすぐ治療をきちんとしたかどうかで、予後が変わるということ。 あの時はすぐ入院しなさいと先生に怒られたが、元旦那がお前が入院したら家のことを誰がするんだと怒鳴られて、入院できなかった。安静どころじゃなかった。以来耳鳴りはものすごくて聞き取りにくいことも多々あるがそんなものだと思ってたら、叔母も同じだったようで、それを先生に家と言われた。 が、結局対処の薬しかないけどねだって。 ご近所に私とよく似たパターンのめまい持ちさんがいて、メニエールだそうだ。 叔母はちょうどその時自分の息子の突然の離婚で参っていた。 離れて暮らす人の心配ほど辛いと思う。 叔母はとても我慢強い。屈強に耐える意味ではピカイチだ。 だからなぜめまいになったのか理由が当初はわからなかったが、振り返れば、ストレスだったんだろなと言う。 そんな身近な話でのストレスが原因とわかれば、濁して言われたストレスとは受け止め方が変わってくる。 全然ストレスかかってると自覚がない時に起きるんだけどというと、叔母もそうだと言っていた。 なんだか安心した。 危険だから運転に気をつけろと言われてはっとなった。 一度通勤中に起こったから。 hiroといる時はストレス感じないけど(笑) 運転はhiroにお任せだなぁ。 自覚なし。 予想以上に体のほうが悲鳴を挙げたんだな。 突発性難聴の時もそうだったな。 先生がなぜこんなに深刻そうなんだろうと逆に不思議に思ってたぐらい、自覚なしだった。 あの頃の自分は本当によくがんばったやつだったけれど、今は全然で、キャパが狭くなったということか。 不甲斐ないな。 でも叔母がお前はまだ若い、私なんか棺桶に半分足突っ込んでるんだからねって言われて笑っちゃった。 叔母はじっとじっといつも耐えてる人だった。 それでも前向きな人だった。 自分を着飾ろうともせず、全てを家庭に捧げた。 ズルもしない。言い訳もしない。 そして今がある。 かなわないなぁ。だから信頼してるんだけど。 ズルしないのが一番かな。 久しぶりに長電話して笑って終わった。 すごく安心した。 |
2015年11月14日(土) |
大きな仕事の山場を越えたhiro。 身近で見ていてすごいなぁと思ってた。 でも大きな仕事は重なっていて、助っ人が来た。 その人の仕事の進め方とhiroのとは違う。 几帳面で役割がはっきりしていて。 会社の名前を背負っていて、下で働く人たちは黙々となっちゃった。 hiroは違う。 几帳面ではないけれど、人との付き合いが、関係が、よい距離を持っていて、お客さんも下で働く人たちからも信頼されている。 下で働く人の愚痴を聞いた。 助っ人の人とは関わりたくないそうだ。 仕事はするだろうけれど、心は開かないだろうな。 そう思えさせる言葉だった。 私だからきっと言えたんだろう。言っても差し支えない所にいるから。 以前苦労するかもと言ってた方の言いたいことが分かった。 なるほどなぁ、と。 しかしhiroの周りは笑顔が出ることが多い。 受け取る電話もそうで、hiroの人となりを現してるし、どういう関係を作ってるのかがわかる。 私はずっと接客を常にしている仕事ばかりで、そういう目に肥えている。 見ていてやっぱりhiroがいいなと思った。 仮に、私が客なら、私が上司なら、私が部下なら、関係者なら、長年付き合いをして行く中でhiroのほうが安心できる。 ただあまりに離れて仕事をしているためにその評価は努力ほど報われてるかどうかが問題で、どこの企業も一緒だが、その時々で方針が変わり、ここ数年で部外者のような私ですら、ここは迷走してるぞと不安になるぐらいの変わり方過ぎて、風向きが怪しい。ちょっとhiroが弱気になってるみたい。 周りは信頼してるのにな。 あの彼が黙々としてるのにひろと話す時の言葉のトーンが変わるのに、hiroは気づいてるのかな。 人を育てるのが苦手だと言ってたけど、声かけひとつで心も変わる。 きっともう少し彼に近づけば、彼もそこそこついてくのではないかと思ってる。 先日、バブル時代に毎日飲み歩いてたようなおじさんと一緒の酒の席で、おじさんに合わせて、今だったらセクハラと言われそうな勢いに、スナックのチーママ風にしてやったらおじさんにはウケた。 こういうことは昔はよくあったことだし、どんだけ自分を貶めてもそれは表だけであって、自分の心は一切開かない。自分の心だけは私の聖域で踏みにじることはできないわけで、多少足をさすられようが、何も感じない。その部分がただの肉となるだけで。血すら流れていない気がする。 それを見たhiroはスナックのママさんみたいと言ってた(笑) hiroのためならそれぐらいなんだって平気なのにな。 男性にはわからない心理かもな。 このおじさんが気持ちよく去ってもらえればそれでいい。 そういえば息子と同じ年の子がまた帰って来た。 数年前はおとなしくしてたけれど、あれからみるみるうちに成長してた。この子はイケるねとhiroと言ってた子。案の定存在感と自信をつけてきた。 その子もhiroの元にいたわけで。 人を育てるのは大変な作業で、合う合わないもあれば、明らかにダメだなぁこれはという人材もいるので全てうまくいくとは限らない。 今の彼はあまり向上心がなく、美味しく行きたい派。 褒められて当たり前なとこもある。今の時代謙遜はいらないのかもしれないが、あったほうがいいわけでそこをまだわかってないあまちゃんだ。 もう少し言葉を変えてあげて。 と、hiroに言いたいのだけれど、なかなか言う機会がない。 まだまだ仕事はあるわけでそれをこなすのも一苦労だし。 私は言われても平気なのは、こうやってhiroを知ってるからだけど、初めての上司なら勘違いされちゃうよ。って、心配になる。 うまく言えないけれど、いつするの?と距離を置いて聞くより、いつがいいかな?と寄り添うようなそんな言葉一つで変わるのになぁ。 私も何度も経験したけど、それは一定の枠組みがある中での話で、hiroの仕事とはスケールが違うから難しいんだよな。 でも彼からhiroがよい上司だと思ってもらえたらと願う私がいる。 もう少し落ち着いたらなぁ。 あともう少し。 |
2015年11月01日(日) |
想定内です。 そう言われてた。 ですよね。 自分でもわかってた。 こないだの先生との会話。 とにかく疲れてて、頭も回らないし、何も感じない。 気も回らないし、単純なこともできないし、 すぐ忘れ、ひたすらしんどくて、やる気なし。 力尽きたって感じ。 そりゃそうですよと先生。 両親の生活が一段落した。 兄弟がいたらなぁと思ったり、いやいやそれで揉めるのもよく見てるし、ひとりでよかったのかもとも思うけれど、老いた時の準備をまったくしていなかった両親の行く末を判断するのが、自分一人の裁量にかかっているというのが、重責。 わかってはいる。 一人では無理だし、いずれは何処かの施設に入ってもらうしかないけれど。 祖父母は健康的にゆっくり老ていったため、母のようにいきなり体が不自由になるとは思っていなかったので、不安の中からスタートして、何もわからないまますぐいろんな判断を迫られた。 今でも心の重荷になっているのが、最初の救急病院でのやり取り。 言葉が話せるだけマシだったけれど、リハビリもすぐ始まったけれど、食事もトイレも人手がないとできないし、ここからどこまで回復するのかもわからないまま時は過ぎ、いきなり面談があると言われ何のことかわからずに言ったら、婦長と名のつく年配の女性から、自宅ですか?施設ですかと聞かれ困惑した。 どんな生活になるのか、まったく予想のつかない私は黙ってしまったら、お叱りを受けた。 いろいろな事情のご家庭があると思う。 私も私の病気を悪くしないために先生から無駄に母に接触するなと言われてきて、ほぼ別生活、両親は両親の暮らしが、私には私の暮らしが長年ある。 そんな色々な家庭の事情に一切関係なく、その婦長は怒りまくって、在宅介護をしない人間は酷い人間だ、お前もそうだろうとものすごい剣幕で言われた。 人非人とものすごく非難された。 あれが重りになっている。 それからいろいろと新しい経験のたびに、しまったともうようなことが出てきて、連絡ミスや解釈の相違、母の病気というより、そういったことで絶対に今の返事では不安が残るなとか、簡単に言ってるけど本当かなと、ー裏の裏まで読んでいかないと、また主張しないと、こちらの望むことが伝わらず。 在宅を選んだのは、父の涙だった。 なんでこんなことに、おれは悔しいよ、酒を飲んで言った。 父も軽度のアルツハイマーだ。 母のいない間、意味がわからないことをしてるのもしばしばあって。 見て見ぬ振りして。 いざ母が帰宅となっても、父が面倒を見る。危険もたくさんある。 母にも父にも。 夫婦で過ごせる時間を作りたいのが目的。 しかし、最初はうまくいかず。母は病院でリハビリしていた環境と家が別物なのもわからなくて、父は母の細かいケアうまくできな時があり、喧嘩してた。 何度も父や母に話して、ここまで来て、やっと緊迫した心配が今に時点でなくなったこの頃。 その疲れが一変に出て、動けなくなった。 毎日毎日朝からしんどい、動けない。 食事もまともにできない。 食欲がないから。 凹んでるというより、何も感じない。 まだまだ解決しないといけないk問題があるけれど、暗礁にアゲッパ。 動く気力がない。 |