昨日は、ピアノのIちゃんとトロンボーンのHさんにリハーサルおつきあいいただく。 朝よじから音だしをして、仕事にいってもどって夜9時からリハとロングランな一日だったけれども、リハはおふたりのおかげでばしっと絵の色調が調った(ととのった)!!
そのあと、理不尽な思いをしているらしい人の話しをきく。 (といっても、私はけして聞き上手ではないのですが。) 時間がすこしかかったけど、自分の評価を最初と最後にするのは自分だから、自分がはずかしくないように☆とゆう話しで、なんとなくくつろいでくれたかも。。
がんばっている方がソンをする・・・とゆう理不尽さに苦しんでいる模様。 傷つき捲っているようす。たしかに、物理的には損かもしれん。。 でも、それってほんとに損なんだろうか。
力がないから発揮できないのであって、だす力もないのになりゆき上のトクをしたところで、それでえられる充実感や自信はぼたもちのようにはおちてこないじゃない? そのさみしさって、なかなか他のなにかでごまかせるものじゃない。 自分に力のないことを自覚して、自信がない、しかもそれを解決する気力もないことほど、落ち込まされることはない。 下手すると”ネガティブスパイラル”におちいってしまうこともあるし・・、自分のなかの柱がたたずにほんの少しのメリットをにぎりしめながらも暗い川に流されて、どこにも辿り着かないよりは・・・小さくても自分の力で柱をたてる方が幸せだと思う。
目にみえるメリットって簡単に消費されてしまうものだから、損してトクとるというか、かけがえのない『生きてゆく自信』をえられるならばけっして最終的に損をすることはない。
自分より弱い人に、傷つけられてる時間がもったいないよ! 傷ついてしまうのはその人の人間的な優しさなんだろうなと思ったの。 てゆうか、傷はほんとはついてないと思うよ。 だって弱いなまくら刀ぶつけられたところで、こちらが『自分でできる』という強い刀をもっていれば、むこうが『はこぼれ』するはずじゃない? 勝負しなくたって、だいたいどっちがいい刀をふれるかなんてお互いわかることだよね。 対等だと思うから傷つく・・・それはその人の博愛精神と優しさからくるんだなと思う。
私は、観光客のように大きな船にのってただいつまでも流れてゆくより、小さくても、ときおりケガをしてでも岸辺に柱をたてて自分の居場所でがんばる人の方がいざというとき、なにかにつけ逃げないし、信用できるし信用されると思います。 ソンとかトクとかいうときに、じゃあ自分に損をさせた立場と、損した自分の立場、どっちの立場になりたかったか?と思うと、ソンをさせた立場の生き方にあこがれることはまったく自分にはないわけだから。 あっちはトクしてるかもしれないけど、そのトク、悪いけど『別にいりません』と思う私です。損はしたくないけど、トクするためだからってその生き方は選べないんですよ☆ほしいものの種類が違うのよ☆
なまくらの刀に切られたからって、傷ついてやるひまはなし!私でよければ、素手でおってやるぞ〜いつでも言ってちょうだい(笑)!!
もっと自分にとって大事なものをもっているんだからさ〜。 いらないものをうらやましがってみせるほど優しくはなれない・・私って理不尽なんでしょうか(笑)?
今朝は早起きするつもりが結局、寝坊こわさにねむることもできず徹夜で朝からおでかけ。 間に合わないほどの寝坊をするわけにはいかないというか、やはり当日の朝実際準備する時間はへらせないので、寝ておくのがベストだけど朝から仕事のときに体があったまってないのはやだから。 1年ぶりくらいに御会いする方々ばかりでしたが、感じが変わったと複数の方にいわれる。毎年似た時期に似たような格好で御会いしているはずなのに、だれだかわからなかったらしい(てつやで影がうすかったのか?笑)。 『髪型かメイクかなんかかえました?』とか、 『雰囲気かわりましたね』などほかいろいろ。
・・・なにもとくにかえてませんが・・特にグッズ関連の新調(?)もしてませんし。久しぶりにあうときの”時候のあいさつ”って感じだったのかな。
しかし、帰宅にむかうときになるともうろうとしていてバスを間違えそうになる! バス停の近くに古本屋さんみたいなのがあり、だまって立ってるとたったまま寝てしまいそうだったのではいって、目にとびこんできた本を購入。 いっさつ100円だったし。 なにかしていないとバスを乗り越してしまいそうだったので読みながら帰宅。・・・なりゆきでであった本でしたが、現状の自分にとってとても示唆にとんだものでなんだか自分の流れがまとまったような気になる(笑)。 自分らしさというのはいつまでも未熟なものなのだし状況は常にかわっていくので、今の自分の感じ方、考え方や状況だけにこだわらずにいたいですが、若干状況めまぐるしい気も(笑)。 めまぐるしさに負けたくないあまり、『忙しくない!』『めまぐるしくない!』といい聞かせているけど実は忙しいのかもしれない・・・いそがしいっていうジは『心を失う』と書きますからね。絶対、そんな自分は認めたくない。いや認めない(笑)
無事帰宅したけど顔あらってパジャマになったら撃沈して、着信にもきづかず眠り続けました...。
今日も打ち合わせだった。。 そして、ライブ会場も北5西25の『インフオーマル』にすっきり決定! 下見ツアーは成功! Iさん、Tさん、S谷さんそれぞれ気にいってくださったようでよかったです。
Iさんは、自分の短気ぶりに自信がある(?)とのこと・・。 でもね〜、短気なことをslightly answering(間髪いれずにいいかえす→ムキになりやすいことのたとえ)と訳されることがありますが、器楽奏者にとって、『slightly』はスムーズなタイミングのよい反応や表現をあらわす言葉でもあるんですよぉ! トランペットの楽器の機能の売り文句にもしょっちゅう『slightly』は使われているのをみかけます。短気万歳ですね♪ そのあと、ちいさなこえで 『わたしは、おそいの...のろいの』とつぶやいていたS谷さんもチャーミングでした。私はそんなS谷さんをまた格別にアイシテル♪今日はお酒をのまないと、滝にうたれて誓ってきたらしいです。 滝にうたれるまでの誓いが必要なんだね・・ぷっ。 Tさんは、ワンピースきててヘアスタイルに変化が。 私もにた髪型とにた格好をしてみたくなった(安易な・・)。
また世話になるつもりのくせに土産ももたずにいった(ちらしもっていったけど笑)のにいろいろとサービスしてもらい・・。 ソーセージとつぶとカブ、おいしかったよー。 私が若干超早起きでだるくなっているのを見抜いたのか、頼んだドリンクには美肌効果があるという『ローズヒップ』を加えてくれていた。 明日はもう少しうるおい美人になっているかもしれないね〜。だといいな(楽天家)。
あれこれ、話しかけ過ぎたためか旧友S氏(インフォーマル勤務)はあちこちひっかかって転びそうになっていた。大丈夫かとたずねると 『気をひきたかったんだー』とか、そくざに強引な言い訳をするとこがやはり『slightly』・・・いそがしいとこ無理させて、すまない(笑)。
フライヤーをみたマネージャーさん(ミキティと勝手によばせてもらってます)がアルバムを購入してくださることに・・そして、ライブの告知と関連づけてアルバムを宣伝してくださるそうです。ありがたいのう。 こちらもしかるべくがんばらねばならないのう。 取り締まり役の方々も、りっぱなソファーに座ってらして遠目にはかなり迫力あったんですけど、紹介していただいたらすごく気さくで、想定外に柔和で、『楽しい事がすき!』って感じがしました。
ご試聴協力店として後日詳細をお知らせしたいと思います。
まずJ社へごあいさつにいき、お土産ももたないでいったくせにアルバムをたくさん購入していただき(笑)あげくにおやつをいただく。 想定外に発展的なアイディアを用意していてくださり、感動しました。 さっそく聞いて下さってコメントのお電話も☆
音楽がおすきで、御自身も日本舞踊の名取りでらっしゃる女性社長さんなので、アドバイスもアーティストがわとプロデュ−スがわにたった配慮があり、勇気をくれるコメントもくださって、なにより実行力があるからこそいえる言葉の数々に勇気をもらいました。
そしていったん帰宅してまた打ち合わせに。 とある、快適なおそばやさんでした。
S音響さんとの『できあがり音源交換会』だったのですが、 ”おいわいだから”といってまたお買い上げいただきました・・・これじゃ交換したことにはならないと思うんですが・・。 お気持ちもらったぶんもっとがんばります!! あなごのテンプラ全部わたしが食べちゃってすみません。
そしてそこでもまた想定外に発展的なアイディアが用意されていたのです! いぜんとあるてんぱっていた本番(笑)のライブレコーディングをお引き受けくださったんですが、そのときの私の様子と演奏を記憶しておいてくださり、これからの私にとって適確な企画を御考えのようでした。 わくわくする内容です♪ そのほか会話のテーマは『殺気立つ』ことについてでした(笑)。 生気が強いひとは殺気も強いのかなーと思いつつ、逆をいえば殺気の強いひとは生み出すときの力も強いのかもしれません。エネルギーの根源としては同じところにあるからかもしれないなあ。 清濁あわせのむというと、汚いものも飲むのか?みたいにへんな潔癖主義気分になるときもあるけど、そうではなく、すべてをつつむとか照らすんだぐらいの気概でいたいものです。 きれいに完成されたものだけ受け付けるのって、冷たい考えだと思う。
偶然なんですが、この前の日にその企画にのせたいという曲(5年ぶりくらいにひっぱりだしてきて)を偶然自宅でなんとなく聞いていたので、タイミングもよくイメージしやすかったんです。 不思議なこともあるんだなあ。
2007年08月27日(月) |
とりのささみは買いどき? |
なんか最近ささ身が買いやすくなりましたね〜☆ ナツの料理にはあわせやすいので多用しています。
とり肉は、持久力のある筋肉を育てるんだよ〜。 せきづい反射的なカンいっぱつの反応のよさも感性の表現としては大事だけど、じりじりねばるゆとりも集中力をひろげたり、ゆるやかな機転をきかせるうえで大事! テンションだけじゃ長くは吹けないし,『自分の本能的にいちばん気持ちよいタイミング』だけでは解決できない類いのアクシデントに弱くなる。 反射とねばり、両方身につけないといけないなーと思います。
集中しようとすると視野がせまくなるときがある(自分の気質ではそう)のであえて!集中しかけてるときにそれを『開く』みたいな感覚で練習すると単純にまずはさらう回数が必要なものとか、ねばれるみたい。
ささみ効果かな!?(笑)
血が迷うとかいて『ちまよう』とよむ。
↑だから何ってつっこまないでくださいよ〜。
わたしがさいきん血迷ったこと1。 新しい水着を買うとそれを来て、写メしてくる子がいる。 お顔がド−ル系でかなり容姿の整った女の子なので、露出してようと、ポーズとっていようと違和感がない。 そして一瞬自分も水着きてポーズとってその子におくろうかなっと思った・・・いくら相手も女性とは言え・・・、おろかな・・・ 間違ってます(笑)。
血迷い2 近所のバス停で炎天下、ふらつきながらバスをまつさなか、 徒歩で集団移動するジャージすがたの中学生が通りかかり、わたしを 『きれいなおねいさん♪って感じー』 『まじきれーっす、うーす』 『スタイルいっすね〜』 と言いながら歩いていった。 体育系の部活の顧問の指導による社会福祉の一環(地域の人々に幸せを与えなさい的な)だったのかもしれないが、 『え、それってこの場合わたしのことかな』と一瞬にやついてしまった自分・・・血迷っていると思われたくなくてうつむいてしまったこと・・なさけない(笑)。
ちまよった自分を告白する事で、『ちまよった自分にさよなら』をはかる・・それってむしろちまよってんのか?合掌。
2007年08月24日(金) |
上弦の月をみた翌日。さわやかな朝♪ |
上弦の月から満月にむかうこの時期。 わたしは昨日の夜、月をみてました。
(って、ずっと月をみてたんじゃないけど) 上弦の月のときは、『それまで自分があたりまえだと思っていたことを、本当に必要なことかどうかみなおして整頓する。』のによい時期なんだそうです♪
ぱっとうかんだのはいくつかの、あたりまえだとまでは思ってないけどけして『うるわしくはない』『ほこらしくはない』いくつかの習慣(笑)・・ を、やめるべくさっそく開始!
そして今日の朝はとてもさわやかですごくうれしかった。
必要か、必要じゃないかって、すごくシビアな言葉。 なにかを判断するには便利な言葉かもしれないけど、『あったほうが、ないよりは豊かである』ならば、シビアに必要とまでいかなくても『あっていい』と思う。
最近すべてにおいて『必要か、不必要か』を判断するのがあたりまえだとなぜだか思っていたから、そのような判断が常に必要かどうか考えると、今のわたしには必要無いから、やめてみたんだよ〜(笑)。 すっごい楽だしむしろ掃除がはかどるのはなぜなんだ!?
2007年08月23日(木) |
レポート『やきもち』 |
今月にはいり、2通りの話しをきいた。 当事者がネットと遮断されているのをいいことに日記に書いてしまいます。
テーマはその感情がリアルタイムな人には指摘してはならない言葉らしい(と最近知った)がつかわれがちな(笑)『やきもち』についてであーる!!
●自分の恋人が、自分以外の人といる時間やあるいは密度が高くて、さみしい気分を味わっている。 ●あるいは、自分はべつに悪い事(?)はしていないんだけど、恋人がさみしがっている(笑)。
まったく別の組み合わせのふた組のカップルが似たような局面にあり、両方の立場の話しを聞いたのだった。そこでわたしの感想をまとめてみる。
後者の人はそのような状況で前者にとい詰められると、自分にやましい点がないとなおさら、 『いわれのない焼きもちはやめてくれ。』 みたいなことを共通していうものらしい。 前者は 『焼きもちなんかじゃない!だいたい,・・はいつも・・・(以下略)』といって怒る。
しかし!!! 『自分に対する焼きもちを指摘する』それが逆効果であることを、後者の状況の人はたぶん知らないのだった。。 なぜなら、それをいっても後者の人の好意をつたえている言葉ではなく、前者の人の自分に対する好意だけを一方的に観察して見抜いているかのような言葉だからである(無理矢理りくつっぽく書いてるけど笑)。 指摘することでなおさら、指摘された方は自分が見下されているような気まですることがあるのだな。 見抜いて指摘した結果、前者の人は『いっそう悲しみをましている』うちはいいけど、しまいには怒ってしまうらしい。。 なぜ、怒るのかというと、すでに低くなってる自尊心を傷つけられているからではないでしょうか。
前者は、自分の順位付けが低められているような気持ちを味わっているのだから、後者本人はそれを指摘してはいけないのだ!たぶん! 発見される事によりその『やきもち』が存在することが現実になるのは、 『星は発見されることにより名前がつけられ、その存在が認知される』 のと似ている(似てねーよ)。
後者は、恋人が求める尊重具合がたりなかったことをなるべく早くフオロー実践するか理解を求める、自分の好意をそれまで以上に確実に伝えるしか、解決はできないのではないか(むりやりレポート調)。
前者の人には、 『いや、そういうつもりはないと思うよ。むこうもさみしいしきついはず。あなたが必要なはず』 というようなことをいい、 後者の人には、 『自分も思い通りにならなくて密着できないのがきついってことをわかってもらわないと、誤解がほどけないんじゃない?』 というようなことをいった。
結果。
それは、余計だったし無駄だった(笑)。はい、ごめんなさい。
わたしは両方に、 『あなたは、平和だから、人を信じるようにもともとできてる(なんだそりゃ)からいいよねっ。わかりあえない苦しみわかんないよね。まっすぐに生きてさ、やきもちとかわかんないよね。どうしようもなくこじれてんの、想像つかないよねっ。人はみんなあなたみたいにシンプルに素直(←ほめてない)じゃないよ。』 みたいになぜだか同じように、なぜだが似たような言葉の順番でしめしあわせたようになじられ、ひどく勘にさわったらしく、めちゃくちゃおこられた・・ははは・・・まさに無神経にふんじゃいけない地雷をふんだ状態・・ふんでごめんなさい・・・。
余計な口出しをしてすみませんでした。外部の人間があれこれいうもんじゃないですよほんとに。 それってお話きくときの基本ですよねっ。 いや、人間の基本ですまったく。
『まあきっと、後から笑い話になるときがくるよ。』 『相手に素直につたえられるときがきっとくるよ。』 と必死に言った言葉は、届いたのでしょうか。 わたしはそこにハイライトをおき、力説したかったのだが・・・なにせ不器用なので・・・のうてんきに聞こえたみたいね。ていうか、すべてが余計だったのね(笑)。
だってせっかく出会った二人なのだろうに、もったいないじゃないですか? とか、心配しているのをよそに、とっくに仲直りしていることを願う。 わたしは北国うまれなので、口下手ですからうまいことはいえない・・。(←そのわりに変な逃げ口上使う)
余計な地雷ふんだけど、でも、お星様にお祈りはしたんだよぉ。 それしかできなかった。
2007年08月22日(水) |
Jぽっぷはピュア?(笑) |
今日は中学生のみなさんと休み時間にゆっくり交流。
普段、どんな音楽をきいているか? という話しになり、 『ロミ☆マシーン』『かと☆かずき』『Kim☆ru』など、ごめんなさい、わかりませんでした。 唯一『ミスチル』だけわかりました。世知にうとくてすみません。 こういう番組とか雑誌にのっているから、先生もみつけてくださいとそわそわ話す子たちに、次までに調べておくと約束をしてしまった〜。
『先生は〜?』ときかれたので、おとといいただいたばかりの 『スキマスイッ☆』(全力美女でいてくださいとのことで笑)というと・・・そのうちお二人は、
『おおお〜・・・Jポップ。』 『うちも、むかしはまってましたJポップ』 『Jポップきいて、んで、スキマスイッ☆ってのが、ピュアだ〜』 『うん、ピュアですね〜』とか、こちゃこちゃ言っている(笑)
とある子は、ラジオに詳しいらしくて、地域で一番ラジオマニアであることに自信があるんだそうです。 実際にかなり、くわしくていろいろ教えてもらいました。 おもしろかったです♪
2007年08月21日(火) |
石屋製菓からの謝罪を道が拒否。誰へのアピールですか? |
札幌市は謝罪をうけ、現市長は、『札幌の宝。』といい、回復を願う見解をだしたそうですが、道は拒否したらしい。 拒否というのは顔もみてやらんという門前払いを意味する。 顔もみないというのは 『人間とみなしませんよ、あなたは人でなしなことをしたわけだから』というくらいの冷たさのように感じる。 おわびうけとるくらいしてあげてもいいじゃないですか。
なぜに、拒否? 行政処分がかたまっていないと、謝罪はうけとれないのって意味わからないから説明してほしいです。 『体面を汚された。』というような,”不快感をしめした””現知事のコメントと記事もお門違いだと思う。 さすが、夕張をきりすてた切り捨て型の、女性知事さんだ(笑)。 母性がないのが、彼女の売りなのだろう。←これセクハラ発言かしらね。 つまりは、道とは家族ではなく、彼女は無関係な他人としての心をもっているようにみえる。 じゃまだから、いらないから、不快だからきる。 合理的なようだがある意味ヒステリックだ。←あ、これもセクハラ? ヒステリーは、おこしたくないですね(笑)おこしてもいいけど、なおしたいものです。鬼婆あになっちゃうじゃないですか? 夕張を切り捨ててしまえば、 『昔道の発展に貢献した事実があっても、いらなくなったら捨てられる』 つまり、 『いまいくらがんばっても、時代が変わってしまえば功績はなかったのと同じにされる。』 という恐怖をあたえる。そんな土地でがんばれるか? 切り捨ててしまえば、活性化にはつながらないというデメリットもあるのにね。
わたしは共感できない。
傷つけられたらしい『北海道の食ブランド』ってのも知事のオリジナル造語だよ〜(ちなみに札商のフードマイスターにものってないそうです。)。 中央だったら公人が定義されてない言葉を使えば、揚げ足をとられるこの時代、道はまだおおらかなのか?
道じゃなくて、あなたのキャリアに傷がついたとしか考えてナインじゃないのと思った。 道知事になるということは、道民全体の母親か父親のような立場になるのだとすれば、どんなときでも子供の未来を信じて、バカにされても石をなげられても必死に守るものじゃないのか。 不祥事はおきてはいけない。 しかし、不祥事がおきたら、実績すべてを不祥事と関連づけてたたき落とし、謝ることさえ受け入れられないような土地では、『がんばろう』と思いにくいじゃないか。 つぶせば解決になるのか?
子供にできがいいとか悪いとかは関係ない。 家名に泥をぬるような子供でも子供なんだよ。 当事者である、企業だけではなく、親なんだから、知事も一緒に謝罪したらどうですかと思う。 不快感を示すのは、わたしでもできます(笑)。 知事は、おかしを買ったお客さまじゃないのだから、フィーリングとか感想を示してないで、責任を示してほしい。 責任をとるのが、仕事でしょう。 知事はただのコメンテーターじゃないんだから。
自分がほんとにあやまらないから、人が謝ることの重さもわからないんだよね。 もしも宮崎で似た事がおきて、そのまんま東だったら、すぐさま謝ると思う。 自分のことのようにあやまる姿勢に、 『この人はきっと守ってくれる。』と県民は信頼するし、『だから裏切りたくない』と考えるんじゃないかな。 そして、不祥事をばねにしていくのが本当の知性。 ただ、失敗した企業をたたいてつぶして、そっぽむいてるのは、時代がもとめる正義感の象徴ではないと思う。 無計画で安易な正義感は発展的ではない。
『道は、こんな企業ゆるしません不愉快だし迷惑だから』 としていれば道は誰かに尊敬されるんだろうか。 ゆるしませんじゃなくて、まずは一緒に謝るのが先だろ!!と思います。
なにか汚点があれば、汚点の共通点だけをとりだし、 『ミートホープと同じ構図』←同じ構図だけを力説せず構図の違う点も語れ。 『コンサの練習所への出費だって痛くはなかった。』 ←イタイか痛くないかどうかどうして、記者さんにわかるんだ。なぜ断言できるんだ。せめて疑問文するべきじゃないですか? 『シェア1位にあぐらをかいた結果』 しまいには、上記のように大雑把な批判をしているのは道内シェア1位の新聞紙の記者さん(笑)。
ミートホープは、スポーツのスポンサーになっていないし、お金があれば誰もがスポンサーになるわけではない。 ミートホ−プは、社員を先に解雇したが、石屋製菓は親族以外の社員の今後も守ろうとしている。
もしも、なにか失敗してしまったら、スポンサーになったことまで黒い思惑にされてしまうなら、他の企業だって、こわくてお金だしたくなくなるよ(笑)。
北海道に活力を与えてくれた実績はたしかなのだから、不祥事とごちゃまぜにして『ただのイメージ戦略』とおとしめるようなことをして、やってくれたことまで黒い出来事にしむける意図がわからない。 イメージアップ、知名度をあげるのだけが目的ならスポーツのスポンサーにならなくたって他の方法があるじゃないですか? 批判の方法において、非常にがさつな稚拙な、シェアNo.1の新聞社さんのあくまでも1記者による記事だった。 記者さん全員がそういう感性と技術レベルではないことを祈る。 でも、不快感しめしたいです(笑)。
駒大の監督が、野球部と接しては行くものの、監督という立場を退くことを発表。 1次予選敗退時のバッシングは目にあまるものがあった・・・過去に与えてくれた夢と感動を逆手にとり、恩恵をあだで返すような、手のひらをかえすような冷たさ。 浦和レッズの地元ファンだったら負けたときやじはとぶけど、次は絶対勝てよって、負けても味方なんだよ!!と応援するはずだ。
勝ったときだけ 『われら道民は仲間』で 『うまくいってるときだけ応援します』 が基本なのか〜? そんな冷たい、結果だけ買い取るような応援で、ほんとに辛いときは冷たくあたるような心が北海道なのだとしたら、そのまずしさを経済力のせいにはしたくないし、不況のせいにもしたくない。 心はかえていけるものなんだから。
逆境の土地で米をうみだした根性とねばり強さは、今の状況がすべてではないと信じていたから生まれたもの。
不祥事はよくない。野球も勝った方が正直うれしい。
それでも、与えてくれた感動、夢、実績を汚すような言葉はやめてほしいと思います。いますぐに。 悪いことは悪い。 でも、悪くない事まで事後にあれこれごちゃまぜに汚す行為、むしろ『人の失態に乗じて言いたい放題』で汚いと思います。
永遠に勝ち続けることよりも、今日もまた元気に、優勝をめざしてがんばる姿が実際に有り続けることが一番大切な事なんだよ。
夢をあたえてくれた子たちが苦しいとき、こちらが夢をみせてやれなくてどうするのか。
2007年08月20日(月) |
お知らせその2『コンサートピース』が試聴できます! |
さっそくですが、先日リリースされましたアルバム『コンサートピース』につきまして、下記の松本整骨院さん(吉田宜史さんの御紹介で)ご試聴協力いただけることになりました♪ありがとうございます。
治療時間中、かけてくださるそうです(笑)。 かかっていなくても、リクエストしていただければご試聴が可能とのことですので、通院されているかた、治療ついでにアルバムをきいてみたい方(?)『ききたいなー』とおっしゃっていただければ幸いです。
☆松本整骨院・はり治療院☆ 電話 0144-82-2485 ファックス0144-82-2485 〒059-0905 白老郡白老町大町3丁目2-38
休診日:日曜 施療時間:平日 AM8:30〜12:00 PM1:00〜7:00 土曜 AM8:30〜PM3:00 祝日 AM8:30〜12:00
http://sogopage.com/spon/0144822485.html 携帯電話用URL http://sogopage.com/0144822485
白老駅から徒歩数分です。お近くのかたも遠い方も(笑)ぜひどうぞ。 保険が適用できるそうです。
2007年08月17日(金) |
『コンサートピース[Concert Piece・古畑亜紀]』(KJHA-1008)CD発売開始 |
猛暑からややのがれた感がありますがみなさんいかがお過ごしでしょうか。
お知らせが遅くなりましたが、トランペット(わたしがふきました・・・笑)のソロアルバムをリリースさせていただきました。 7月28日に発売され、みなさんのおかげでじわじわとひろがっています。 すでに御予約もしくはお求めになってくださっている方がた、イチ早いご購入ありがとうございます。
トランペット奏者にとってマスターピースのひとつであるブラント、オリジナルはバイオリンのための作品のコレルリ、20世紀を代表するひとりバーンスタイン。 トータルで曲目をならべていただいた際のイメージも一見ユニークですがプロデューサーの鬼才ぶりにより、各曲の旋律、調性感や多彩に用意されたリズムが最大に生かされる構成になりました。
マスネ、プッチーニ、ドビュッシーにつきましては、原調のもつ秀逸な普遍性をいかして、トランペットのために自分でアレンジいたしました。 フリースのアイディアはほとんどがピアノの佐藤さんによるものです。
また、このアルバムではプロデューサーの原田健司さんのオリジナル作品を演奏する機会にもめぐまれました。 かといってつくり手の意志をおしつけてくるようなプレッシャー(笑)はなく、奏者側の感受性に信頼をおいてくださったことが、とても印象に残っています。
ピアノは、佐藤佳絵さんです。佐藤さんの音楽に対する真摯な姿勢と優れた演奏技術、機敏な反応に助けられ、わたしも一日の収録で集中することができました。 原田健司さんのプロデュ−スにより、たくさんのすばらしいスタッフの方々の御協力をへてひとつの作品になりましたことに感謝しております。
以下は収録されている曲順番どおりです。
**********************************
W・ブラント/コンサートピース第2番 Op.12
A・コレルリ/ソナタ第8番 ニ短調 プレリュード アルマンド サラバンド ジーグ
マスネ/歌劇『タイス』より ”タイスの瞑想曲”
プッチーニ/歌劇『ジャンニ・スキッキ』より”わたしのお父様”
バーンスタイン/ロンド・フオー・リフィー
ドビュッシー/亜麻色の髪の乙女
原田健司/マスカレード(ピアノソロバージョン)
原田健司/イヴニング・グロウ
ベルンハルト・フリース/モーツァルトの子守歌 k.350
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発売元・製作は、株式会社ケージェイプロダクション。 この日記からはいまのところ直接リンク表示がわたしの技術ではいまいちすっきりとできなかったの・・(笑) 入手方法もいくつかございますので、当面の(?)お問い合わせは、日記のメールフォームをお使いください。
いただいたのを、食べ終わってさみしくなっていたら『あいこ』をス−パーで発見!! すごいうれしかったので二つも買ってしまいました。 もったいなくてなかなか食べれない。
あいこって名前もかわいいですね☆ 来年はぜったい『あいこ』自作農します。 アツサに根がゆだってまいったらしく、今度は白いくちなしが休眠中。バーベナも一日で倒れた・・・けど必ず蘇らせてみせる!!蘇るまで、待つ!!
あるとき、知人と会話していたところ、 知人との会話のなかで、 『プライドなんていらない。二足三文のものだから。捨てる。もっと大事なものがあるからっ』 と熱弁する言葉をきいて、めちゃくちゃうけた〜。
なるほどね。二足三文か〜。それって早起きとおなじ値段(笑)
たぶん、プライドって、『もつ』『もたない』とつなげられるけど持ち物じゃないので、自分で捨てるも捨てないもないんだなとも少し思う。 だから捨てなくても、大丈夫じゃないかな〜。
景色はどんどん変わっていくけれど、大事なものはけして逃げていくことがないものだからね。
いろんなことがあるんだけど、そこにいる自分も判断ミスなのかなって思うから、卒業します♪
学校じゃないから、単位たりてなくてもいつでもできるもんね。
おひさまがぴかぴかな最近、太陽をみて決めたことだから大きくは間違ってないと思う!?
あいこっていう名前の、厚田産のトマトをいただきました☆
なんていうか、だ円のなんともいえない形も愛らしいです。 そして、すっごく甘くておいしい♪
大事に大事に食べていたんだけど、食べ切っちゃいました。 だ円形のものをみると、『あいこ』を思いだします(笑) 来年『あいこ』を育ててみようかと思います。
早朝から深夜にいたるまで隙のないスケジュールで、毎日連絡メールと電話で電池が帰宅前にきれていた。 (っていうと仕事ばかりしていたみたいだけど、なかには強引な個人的遊びスケジュールもはいっているので・・・えばるつもりはない)。
あそばなくても十分全身がすでにきついこの時期にあえてビアガーデンにいく(笑)。
私は『世界のビール』広場なのに、飲む前からもうろうとしていたのでなぜだか習慣から”とりあえずサッポロクラシック”を頼んでしまい、ギネスとかレーベンにすればよかったと激しく後悔することからはじまる。
サッポロの方は御存じのとおり、このところ雨ふりがつづいているので、もちろんビアガーデンにも雨がふりました。 しかし・・・メンバーが『状況にポテンシャルを左右されない』ことをモットーにしているたたきあげライフどまんなか”中堅倶楽部”の面子でしたので、傘とかビニールシートというサバイバルな道具で、のりきりました。 のりきったわりにみんなぬれねずみだったけど・・.
『雨になんてまけたくない。』とか、 『他の人たちが帰って最後になるまで残る』 『ぬれちゃった方が、湿気とかのべた付きがかえって気にならない』 などという、達成する意味が有るのかないのかわからない意地と、ただしい方向なのかどうかもわからない、若干無駄にも思える前向きな視点・・(笑) きっと、あきらめたときに雨がやむのでは?と思いながら、こらえていたらなんとかふりやみました。
『やまない雨は、ないんだよ!!』
など、雨がとまってから強気になる私に様子にピアノのKちゃんは前髪のわけめがおかしくなってるのも気にせず、 『そうだよ!!かならずやむんだよね!』と、目をぴかぴかさせながらアハハハ〜って笑ってました。 Kちゃんは自分のコトはしっかりした思いやりのあるおねえさんで、みんなにおねえさんとしてふるまっているらしいつもりだったことが、アルコールの勢いでわかる。 Kちゃんは、思ったようにかまわれないと”捨て台詞”をはきだしたり人に雨水をかけて嫌がらせをしたりとんでもないことをするんです。 しかし嫌がらせをしたチェロのUくんに、結局ビニールシートをいれる袋をもらって、それをたたんでもらって、あげくにぴかぴか光る小鳥の笛を買ってもらってもらい・・機嫌がよくなっていた・・(それでも自分はおねえさんだとおもってるらしく、その後の宮越屋で私に100円くれた爆笑)。
そして、やはりいきおいで、変わった編成でコンサートをすることを決定。
『テントの下なんて、弱い人間のいく場所。』 『木陰にテーブルうつすなんて邪道。』 など、ただの強がりをまるでポリシーのように貫いた結果・・。 傘でフオローしきれなかった、野菜スティック用のマヨネーズが薄味になっていたのが、印象に残っています(笑)。
2007年08月05日(日) |
続)コト−&コマンド− |
この日記、ブログじゃないので画面上では直接対話できないんだけど、けっこう反響があった『コト−&コマンドー』について、続編です♪
いただいたメッセージには『コト−派』が多かった☆
私は、しいていえば『コマンド−派』です!!しつこいけどシュワルツネッガーのファンとかじゃないよ!!
実写版コト−先生は、 ”『妻子も幸せにできないやつに、いい仕事ができるか。』っていう考えもあるけど、僕はそれは違うと思う。家族を大切にするからって五時で病院からかえっちゃう医者より、何時でも、困ったときにいてくれる医者のほうが患者さんにとってはいい医者じゃないですか。”
と言ってました。はっきりしていて素敵。 そのプロとして貫く信念が爽快!必要とされていることにこたえていくのだ、というその信念を理解しついていく家族もすごい!! 病院に依存させるのではなく、あくまでも本人のバイタリティをひきだし自分で健康増進の意欲をひきだすようにはたらきかける言葉の数々も、胸があつくなります。
じゃあなんで私はコマンド−派かとゆうと・・ コマンド−は、たぶん、昔十分に稼いでいるのでいま毎日でかける必要がないんですよね。まずそれもちょっとうらやましいですね(爆笑) そうじゃなきゃ毎日お嬢さんのそばにいるくらしなんて普通できないです(笑)。 そして、戦闘にかかわるという仕事の性質も、一旦エキスパートになったものの自分の本来の願いとは一致していないことにコマンド−はいつしか気がついたんじゃないでしょうか。 全身で一生懸命やってきたことが、本来の願いとは違うと気がつく事も、路線をかえることも、勇気が必要なんじゃないかと。
どんなに価値があるものでも、もっと大切なもののためには捨てる覚悟をもてる、それを実行できるいさぎよさのようなもの。 生き方の形として認められるレベルに達するには、コマンド−レベルの戦闘力がないと戦線から離脱したか衰えて引退したかととられてしまいがちでしょ。 だから、コマンドーのように無敵な人が戦線離脱するというストーリーが、逆に映画として描かれ憧れるにふさわしく美しく、 『戦わないことは、できないことから逃げることではない』 というメッセージが感じ取れて、バイオレンスもののようにみえるけど見た後暖かい気持ちになるんじゃないかとおもいます。
最強になった自分でも、最強を示すことよりも大切にしたいものがある。 必要なときは使える実力を維持しながら普段は平和にくらす。
いつかそんな自分になれたらいいなあと思います。 まあ、いつかじゃなくて今すぐなりたいんだけど(笑) 強い王ではなくやさしい王様になりたい。 目の前にいる人の涙を見過ごすことがあってはならないと思うんです。
離すためじゃなく、つなぐ為に神は人間に手を与えられたんですきっと。 だから私はできることをさくさくやっていこうと決めた今年の夏!! まずは吹いていかなくちゃ。見過ごさないことを肝に銘じながらね。
2007年08月04日(土) |
やさしい王様になろう。(平岸高校クリニックにて) |
今日は吹奏楽コンクールイチジ予選前最後のクリニックを、平岸高校で。 高文連でも推薦され全道大会に出場するとのこと。 先月末のキタラでの録音もきかせてもらいましたが洗練されたバランスのよいしあがり。 とても好きな演奏でしたので、コピーしてもらってきました♪
トランペットにとってはおそらく鬼門の某所も、誠実にたちむかって堅実に吹き切ってました!
リーダーのOさんはなんでも吹けます(笑)が、とても楽譜にたいして誠実でしかも人の音を大切にする『すばらしい本能的なやさしさ』のあまり、自分のご都合のよいように勝手な処理をするような吹き方はしません。 吹けるのにそれを選ばないのは、優しくて同時に強いからなんです。 それはセクション全体にもいえる。 それはすばらしい、かけがえのない音楽的な長所だしアンサンブルに必要なセンスなんですが、その心が伝わる『適切な吹き方』をしなければ誤解されることがあります。 そして、深いところにある気持ちを誤解されてへこむ(笑)・・・あまりにもつらいことなので、かなりへこむし、最後の支えの自尊心までぼろぼろになるんですよね。 だって、吹きたいから吹いてるわけですけど、喜んでもらいたいという気持ちで吹いている子だから。 そして、トランペットが好きだから、自分のせいでトランペットの魅力をうけいれてもらえないかもしれないという恐怖に対しても非常に敏感になるんだな。
今回はコンクールステージにはのらない1年生がいます。 他の楽器にうつるかどうかたずねたらぽろぽろ涙をながしてことわったらしい。 その子についても、Oさんは『あの子が吹いてるときの目の輝きが強いから大丈夫。』と言い切りました。 今日も、合奏にはでていませんでしたがひとりで目をきらきらさせて練習していましたよ。 ハイトーンをこわがる子には、『自分ががんばってる姿をみせて、むかっていく姿勢をみてくれたらなと思う』と言った。 その子も、数カ月でかなりりんりんとむかっていくようになりました。 あなたの姿は伝わったんだよ。
・・・・・わたしはそんな暖かくて芯のあるOさんが・・・・だい好きだ〜〜!!!!!!!
今日は、へこまないためにも適切な表現方法をいろんな角度から技術的に伝えてきました。 単体としての器楽的な技術はあるので、これからはみなさんのだしたい心をより適切に場面にあわせて伝える実践的な演奏技術をもっと伝えていきたいです。
いままではちょっと不器用にもみえることのあった『やさしさ』が最高の武器として君臨する日はもうすぐそこかもしれませんね。
にいってきました☆
高校生の頃、ダリの絵をみると面白くて、想定外でわくわくしたことを思いだします。
しかし・・大人になって感性が刺激を重視しなくなったせいなのか、ただの今日の気分なのか、わくわくするというよりもその突出したエキセントリックさに違和感を覚えました。
なぜ、ここまで描ける、画才としてはあまりある天才がこの表現をえらぶのか? やはり、『自分の心にしか写らない絵を描きたい』という執着心がなせるわざなのかもしれません。
でもなんていうか、もっと素直に安定した美しい絵を見たい・・
なら、ダリにいくなよ(笑)!!
そうおもいながらも、やたらと時間をかけて巡回し(なんだかんだいって夢中ともいえる)じーっと見ていたのです。
一番印象に残っているのは、中世の絵画のような、母親が赤ちゃんを抱いて微笑みながらうつむいているすごく優しくて暖かい、ペンで描かれた挿し絵用のデッサン。
シンプルなのに美しく、一目で『いかにもダリ』な絵ではありませんでしたが、そういう絵柄の作品が他のエキセントリックでシュールな作品と同じ画家のダリの作品であったことに、安らぎを覚えました。 個性よりも、共通点を素直にみせている小さな額が、『超現実』な優れた才能を露出しているもののなかで、むしろいっそうその天才ぶりを納得させるものであったのです。
素直な心の表現で納得させることが、一番高度な技術なのかもしれませんね。
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