古畑亜紀の日記
日々の雑記帳です。思い付いた時に
気分にまかせて書きます。

2005年02月07日(月) マエストロとの遭遇 in ちえりあ

嵐のような、一週間でした。。でも、休みはなくてまたハジマリマス!!

なんか大変なんだけどすごいわくわくする。
昨日のコンサートでは、一番前にすわった子供タチが「指揮のまね」をしていた。四拍子なんですが、シンコペーションがあらわれると倍速三拍子みたいな感じに「振り分け」していた。マエストロ誕生か??


雪の中、ご来場くださった私の友だち、グジェリ音楽事務所の黒田さん(濃い楽譜&濃いサングラス最高。客席でめだちました)、なおやロッソさん(ラッパの先生)、応援する会のみなさん、本当にありがとうございました。

そして、企画の宣伝に御協力くださったひつじの会の飯田先生、雪まつり雪像の製作と重なった中ユニークな企画を実行され、マエストロとの遭遇をかなえてくださった青少年センターの方々に感謝いたします。

昔からの音楽仲間(同級生)脇沢先生と梅川くん、青少年センター館長(通称きりたんぽ事件)にあえたのも嬉しかった。長生きすると再会の感動が大きいですね!ありがとう!!



2005年02月06日(日) 謝るが勝ち!ってこともある。

「そんなばかな・・」と一瞬感情が波立つようなことがあったにしても、その相手に、「あなたを傷つけるつもりはなかったけれども、自分のしたことは悪かった。」と認めてもらえるだけで立ち直ったりもするものじゃないかな、と思った。
実際、そういう誠意は伝わるもので、「そうか、この人にも立場がある。」なんて思ったりして、うけいれようと思うし、あまりストレスは長引かない。
でも、そういう人もいるけど、そういう人だけでもない。自分に責任がないとか、そういうことを言う前にやってしまったこと、その結果の起因が自分にあるんだったら、なぜひとこと悪かったって言えないんだろう。逆に自分の信用がなくなる、ということは恐れないんだろうか。それとも、例えば「あなた程度に信用されてなくても別段困らないので、かまいません」とまで思ってるんだろうか。
悪気がなければ、人にいわれてやったことだから責任がなくなるんだったら、「あの人に物を横取りしてこいといわれた。それがあなたのものだと知らなかった。いわれたとおりやっただけで責任はないし、あやまらなくてよいでしょう」って話しにはならないと思うんだけど。
謝ることで、自分の落ち度を認めたらなにかしら不利になる、という考えだけが正解ではないような気がする。
落ち度を認めないのは品行あるふるまいとは思えない。
悔しさや大変さをかかえた人が、落ち度を認める姿がむしろ、落ち度をもったヒトというよりも、豊かな人格の持ち主に映って、その姿に感動する人間だっている。実際私は感動した。

この一瞬の自分の気持ちだけで、誰かのキャラクターを限定するつもりはない。誰にだって素直な気分の日と、そうじゃない日とあるし。

でも、迷惑かけたら謝ろうよ。立場は関係ないと思う。
いじっぱり、という言葉があって、自分も相当いじっぱりで素直に謝ってないことたくさんあった。でも、そういう空意地っていうか、「弱さ」からくる意地は捨てた方が、いさぎよいし、かっこいいし、魂が強いってことなんだなっと思った。同時に、言い訳をするヒトにはなにか弱さがあるのだからいじめてはいけない。





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